【幕間】お嬢様と笑えない影
――影からそっと
「なぁお嬢。俺には贈り物、ないの?」
「え、J……あなた、なにか欲しかったの?」
昼番、夜番という言葉を盾に、渋るKを立ち退かせてからJが徐ろに告げた言葉は。
アリシアにとっては『予想外』以外のなにものでもなく、少女は宝石のような瞳を大きく瞬かせた。
「そりゃあさ? あんな顔で惚気られちゃ、羨ましくもなるってもんだよ。それで、ないの?」
「ごめんなさい……。あなたはわたしよりもアシュから貰った方が嬉しいんだと思って、何も用意していないの……」
男が軽い調子で投げた言葉に、少女は思いの外、真剣に落ち込んだ様子で。
慌てたJは、あながち間違いでもないアリシアの指摘を、冗談めかして引き合いに出した。
「や、まぁ……ね? そうかもしんないけど、あれじゃん。アシュ坊にそういうの期待するだけ無駄っつーかさ? だからオジョーサマならもしかしてって、思っただけだよ」
「気がつかなくて、悪かったわ。でも変ね……。『Jのピアスを魔道具に改造してあげたい』なんて言っていたのに、アシュったらまだ切り出してもいないなんて……」
「え。……そう、なん…………」
図らずも知り得てしまった情報に、Jは間抜けな声を漏らしたが、言い切る前に言葉を止めた。
「へっ。アシュ坊のことだから、どうせ研究と女神さんのことですぐに忘れちまったんだろ?」
そして、悪態をつきながら、形容しがたい顔で笑う。
アリシアは内心だけで素直じゃない影に苦笑いをして、話題を変えるために口を開いた。
「アシュにはまたわたしから言っておくわ。それよりも……J。あなた、アシュとフローレス様に何かあったのか、知らない?」
「は? アシュ坊と女神さんが、なんだってーの?」
二人の間に何か、と言われてJの頭を過ったものは。
到底、目の前の無垢な少女に聞かせられる類いの事情ではなかった。
平時と変わらぬ様子で飄々と返したJだったが、もしもアリシアが知る由もないはずの『少年の若さ故の暴走』に関連する言葉を口にしていたら、おそらく冷や汗が噴き出たことだろう。
「数日前……アシュはまた、放課後にあの方の研究室に行っていたでしょう?」
「ああ」
当然、アリシアの言う『何か』がそんなことを指しているはずもなく、Jは強張りかけた肩から力を抜いた。
だが、続けられた少女の言葉は、Jにしてみれば違った意味で緊張を抱かせるものだった。
「あの日、アシュは隠せているつもりだったのかもしれないけれど……。泣いたあとだったの」
「泣いた……? え、普通にしてなかったか……?」
呆然とした声で返す男に、アリシアは神妙な面持ちで言葉を紡いだ。
「分かるわ、双子だもの。……それに。フローレス様の研究室から泣いて帰ってきてから、またアシュの様子が変わったの」
「それは……そうなのかもな」
曖昧に返しながら、Jはここ数日のアシェルの様子を思い出していた。
(確かにまた、のめり込んでるっちゃそうなんだよな……。普段から大差ねぇかと思ってたけど、違ったかもしれねぇ……)
些細な変化に気付けなかった己自身に苛立ち、Jは舌を打ちかけて、思い止まる。
相棒の女から『お嬢様の前で舌打ちをするな』と再三に渡って注意を受けていることを忘れてはいなかった。
「しおりの薬品についても解決はしていないし、それなのにまた研究に没頭して……。夜はわたしとの時間を取ってくれているけど、他はずっと変なの」
「……泣いたっつー件は、また探ってみるけどよ。確かに最近のアシュ坊はやばいかもしんねぇな……まるで――」
「初等部の三年間を、嫌でも思い出すでしょう?」
男の喉元まで出かかった言葉を少女が引き継ぐ。
それは、二人がアシェルの行動に対して、同じ懸念を抱いていることに他ならなかった。
「……っ、ああ。確かに、そんな感じだな……」
「アシュは、また焦ってる。気持ちは分かるわ……だって、フローレス様は……」
「オニイサマも女神さんも、次の季節には卒業してんだもんな……」
言いにくそうに声を震わせたアリシアの言葉を、今度はJが継いだ。
居心地の悪い沈黙の中、先に口を開いたのはアリシアだった。
「こればっかりはどうしようもないわ」
「だからって、やり過ぎなんだよアイツは。イデアイデア言ってすぐに篭りやがって……」
心配と呆れの入り混じった顔を向き合わせ、示し合わせたわけでもないが、溜め息が重なる。
ふと苦い顔をしたJが、思い出したかのようにアシェルの異変の片鱗を吐露した。
「聞いてくれよお嬢。アシュ坊のやつ……。イデアとかいうのに深入りするようになってから、隠匿かかってんのに俺らのこと見えるようになってきてるんだぜ?」
「っ、冗談でしょう? 精神世界というのは……そこまでの変化を、現実にもたらすの……?」
口元を覆う指先を震わせて、驚愕に目を見開くアリシア。
その様子を見ても共感しかないJは、遠い目をして囁くように呟いた。
「……どんどん手の届かねぇところに行きそうで、怖いよな……?」
「そう、ね……」
同じく囁きで返したアリシアは、しばしの間、逡巡するように押し黙った。
「ねぇ、J」
「うん?」
「あなた、もしもまたアシュがあの時みたいに閉じこもり過ぎていたら、引きずり出してくれる?」
少女なりに考えた末の結論に、男はそれは果たして自分に出来ることなのだろうかと、やや自嘲気味に息を漏らした。
「ハッ…………荷が重いけど、まぁ。やるだけやってみるよ」
そして、常より薄い口先だけの笑みで続ける。
「お嬢の頼みだしな?」
「それだけじゃないと思うけれど……」
悪気なく本心を暴かれて、気不味い男は乱雑に頭を掻いた。
これ以上は踏み込んでもらっては困ると、気持ちを落ち着けてから、露骨に眉を下げて男が嘆く。
「そこはそっとしといてくんない? 俺だってこう、なんか色々と複雑なんだよ」
「ふふ。確かに少し野暮だったかもしれないわね」
察しの良い少女は、それ以上何かを言うこともなく。
そろりと寝具の中へと滑り込み、華奢な身体を横たえた。
「おやすみなさい、J。あなたにしか頼めなくて、ごめんなさいね……」
「いーよ。借りならKから返してもらうから」
「まあ。Jってば……」
「お嬢は気にせず、良い夢見なよ」
そんな軽口を叩きながらも、どこか不安が残ったままの室内。
四半刻も経たぬうちにアリシアの安らかな寝息が聞こえてくるまで、Jはじっと息を殺して自身の落ち着かない心音を聞いていた。
(……まずは明日にでも、なんで泣かしたのか女神さんに聞きに行かないといけねぇかな……?)
業務外の労働が多くて困る、などと。
無理に戯けたような思考でもって、己の均衡を保ちながら、影の長い夜は更けていった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(作者が泣かせたんですけど、代わりに詰められてください、ダリルさん……)
よければまたアシェルに会いに来てくださいね!
☆乙兄の更新は週2回(火・土 20:00)の予定です。




