十二話◇秋の空模様
……青天の霹靂……とまでは言わないけどさ
「いらっしゃい、アシェルくん」
「本当ならもっと早く来たかったんですけど……ダリルさん、お元気でしたか?」
久しぶりに302号研究室に訪れた僕を優しく出迎えてくれる声に、少し前のめりになって顔を眺める。
枯渇していたダリルさん成分を補給したいのと、また疲労を溜め込んでいないかのチェックのためだ。
クロードと一緒にフェリクスを空に打ち上げたり、ヒューゴの気が済むまで壁係をやったり。
休日には寮組の三人と街に出てみたり、あとは寝る前にアリシアと軽い近況報告をし合う習慣が出来たりもして。
(夏季休暇が明けたら、すぐにでもダリルさんに論文のお手伝いを申し出るつもりだったんだけど……上手くいかないもんだなぁ……)
みんなとの関係もそれぞれ大事にしなきゃと決めた僕だったけど、圧倒的に時間が足りなかった。
ダリルさんを見つめるその背後。
窓の外では、澄み渡る高い空がほんのりと夕日に染まり始めていた。
「うん。もうあんな無茶はしてないから、大丈夫だよ」
穏やかに告げるダリルさんに、ホッと胸を撫で下ろす。
二人でタルトを作ったあの日、ダリルさんは作業に没頭するあまり、見るからに憔悴していたから。
「それなら良かったです……! いつでも来ますなんて言って、全然顔出せなくてごめんなさい」
「アシェルくんが謝ることじゃないでしょ? わたしなら大丈夫だから、気にしないで。それに……」
「なんですか?」
気になるところで言葉をとめられて、僕はつい先を促すように問いかけた。
ダリルさんは、楽しいことでも思い出したのか、柔らかく目を細めて笑った。
「ふふっ。アシェルくんが楽しそうなの、高等部まで噂になってたよ? 危ないことしてるなぁとは思ったけど……元気そうなのは分かってたから、来れなくても仕方ないかなって」
「っ、そうなんですか!? ……クロードのせいだ。恥ずかしい……」
まさか高等部にまで噂が出回っているなんて。
しかもダリルさんに、僕がいつもじゃないけど友達とバカなことやってるのが知られてしまうなんて、信じたくない事実だった。
(嘘でしょ……どこまで詳細に伝わってるんだ? まさか、フェリクスを打ち上げた事までは……伝わってない、よね……?)
頼むからそうであってくれと戦々恐々としていると、ダリルさんはのんびりとした調子で話を続けた。
「アシェルくんはまだ中等部なんだから、研究ばっかりじゃなくて、お友達と遊ぶのも良いことだよね。今まで勉強しかしてこなかった分、もっとちゃんと楽しんでいいと思うよ?」
彼の言葉は、すべてがたぶん、正論だった。
だけど僕にとっては。距離を感じるような、まるで『線引きをされた』ように感じてしまう言葉だった。
「でも僕はっ…………もっと研究棟でダリルさんと過ごしたい、です……」
足元の地面にヒビが入ったかのような感覚に、なんとか踏ん張って意志を伝えたけれど――
「ふふ、またそんなこと言って。ダメだよアシェルくん。アシェルくんの世界は、もっと広いんだから……こんなところにずっと籠ってたら、見えるものも見えなくなっちゃう」
「……え……ダリルさん? それって、どういう意味なんですか……?」
震える声が、勝手に漏れる。
今度こそ足場が崩落していく気配に、指先が冷え切っていくのが分かった。
(なんで? なんでそんなこと言うの? 嫌だよ……聞きたくない! 今のは冗談だよって、笑ってよ……)
「うーん。そのまま、だよ。アシェルくんの研究は本当に素晴らしいものだけど、それだけじゃなくて、楽しいこともしてほしいし。それに……わたしがいなくなっても、ちゃんと周りに――」
「僕はっ! あなたがいないと生きていけないっ……。違う。もしダリルさんがいなくても生きていけたとしても、そんな道歩きたくないっ……!」
これ以上聞いていられなくて、僕はとっさにダリルさんの言葉を遮って踵を返した。
「あっ! アシェルくんっ……!」
「……っ」
走り出そうとした僕を、ダリルさんが手首を掴んで引き留める。
以前に逃げ出した事があるせいで、今度は予想の範疇に収まってしまったようだった。
(なんでっ! 突き放すようなことを言ったくせに、行かせてくれないんだよ……。離してよ…………このままじゃ、もう……)
鼻先がジンと熱を持って、感情の決壊を知らせてくる。
逃げ出したいのに、僕は、ダリルさんの手を振り払うことなんて……出来ない。
「待って……待ってよ。わたしが悪かったから……今出て行かないで……!」
必死に僕の手を掴むダリルさんの手も、微かに震えているみたいだったけど。
何もかもが揺れている僕の錯覚なのかもしれない。
「だって、ダリルさんが……」
(いなくなっても、なんて言うから……)
ただ唇が動いただけなのに、それだけで堰を切ったように溢れだす涙。
止まらない奔流が無機質な床に叩きつけられて、小さな雨音がする。
「ごめんね……泣かないで。アシェルくん、もう言わないから……泣かないで……」
「むり、です……僕だって……泣きたくて泣いてるわけじゃ……」
「……うん。ごめんね、アシェルくん…………ごめんね……」
そっと抱きしめられて、僕は聞き分けのない子供みたいに泣いていた。
◇ ◇ ◇
「少し、落ち着いた……?」
「…………いいえ」
ダリルさんのジャケットをびしょ濡れにしたまま、僕はまだ彼にしがみ付いていた。
僕が泣き止むまで、ずっと優しく頭を撫でたり背中を叩いたりしてくれていたダリルさんは、本当は呆れていたりするんだろうか。
「そう……かな。涙は、もう止まった……よね……?」
「まだこのままでいてください」
「う、うん……」
ボロ泣きしてしまった恥ずかしさと、一度は突き放された悲しさと。
色んな感情が渦巻いていたけど、今はこんな顔を見せたくないというのが一番強かった。
(それに、もう少しだけダリルさんの体温を感じていたい……)
ほんの少しだけど心が浮上した僕は、許される限り腕の中に居たくて、ぎゅっと胸元に頭を押しつけた。
「……っ、ええと……うーん」
かすかに身じろいだダリルさんは、困ったように言葉を探していた。
剥がされるまで離れるつもりのない僕は、余計なことを言わないようにじっと押し黙っていた。
お互いの心音しか聞こえない距離で、沈黙は僕にとってなんの苦にもならないけど。
それは僕のエゴでしかないことも、ちゃんと分かっている。
しばらくそうしていると、考えがまとまったらしいダリルさんが小さく息を吐く音が聞こえた。
「ねぇアシェルくん」
「……なんですか?」
そろそろ離れてって、言われるんだろうか。
聞きたくなくても、僕はダリルさんに名前を呼ばれると、どうしても返事をしてしまう。
「可能性ってね、たくさんあるんだよ……。減っていく選択肢もあるけど、これからまだまだ増えていく選択肢の方が、きっと多い……」
「それは…………そう、でしょうね」
思っていたのとは違う言葉だったけど、また距離を取ろうとしているように聞こえて、素直には受け止めきれない。
拗ねているのが丸分かりな声が出てしまったけど、さっき粉々になったばかりの理性では制御の仕方が分からなくなっていた。
「うん……それだけは覚えておいて…………あれ? アシェルくん、こんなの前も付けてた?」
「え?」
ダリルさんの問いに、少し離れて顔を上げると。
「綺麗な羽根だね……」
「あ……それ……」
鞄に付けていたウィシュラの羽根飾りを指先でそっとなぞって、ダリルさんが優しく蜂蜜色を細めた。
僕は、この羽根飾りをもらった時のこと――
友人たちにそれぞれ不満を抱えさせてしまっていたことや、きちんと謝罪と埋め合わせをして和解したこと、結果として研究棟にしばらく来られなくなっていたことなんかを、鼻にかかった声のままで少しずつ話した。
ダリルさんは時々相槌を打ちながら、穏やかに、静かな笑みで聞いてくれた。
「ふふっ。アシェルくんは、愛されてるね?」
「まっ、まあ……そう、かもしれません……。でも僕、それにちゃんと返せていなくて……」
話し始めてからは、向き合って座っていたけど。
直球な言葉に照れ臭くなって、あと自身の不甲斐なさが露呈したことも恥ずかしくて、少しだけ視線を逸らしてしまった。
「それでもみんな、アシェルくんのことが好きだから、そばに居てくれるんだよ。ふふっ。きっとみんな、きみのそばに居るのが心地良いんだろうね?」
「そう……なのかな……」
何もかもを肯定してもらえたような、ぬるま湯みたいな優しい言葉に。
嬉しい気持ちと、喉を裂くような激しい衝動とが湧き上がってきた。
(あなたは、どうなんですか……?)
「きっとそうだよ!」
何も知らない彼は、無邪気に告げる。
僕は、曖昧に笑ってみせるしか出来なかった。
「……だといいんですけど」
(ダリルさんも……僕のそばに居たいって、そう思ってくれてればいいのに……)
ふと窓の外を見ると、赤く色づいた葉が数枚……風にさらされて宙を舞っていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(局所的に大雨になっちゃいましたね……)
よければまたアシェルに会いに来てくださいね!
☆乙兄の更新は週2回(火・土 20:00)の予定です。




