【幕間】お嬢様と忍ばない影
――蛇の道の影
鏡写しのようだった幼少期とは異なり、顔立ちにも性差や気質の違いが見られるようになった双子を眺めながら。
影の女は人知れず安堵の息を漏らしていた。
Kの大事なお嬢様は、"異常なまでの執着と探究心"で机にかじりつく彼女の片割れに、日を追うごとに不安を募らせていった。
(ようやく、ですね。お嬢様……)
溜まりに溜まった寂しさと焦燥は、いつしか限度を越えて。
少女の胸の中で形を変えたそれは、ついには抑えの効かない"怒り"となって噴出した。
鈍感が過ぎるが、基本的に善良であり『妹への愛情』には偽りのない当事者は。
妹の内心を受け止めて、今まさに"贖罪"の最中であった。
「待ってアリシア! これ、さっきのと違いが分からないんだけど……!?」
「何を言っているのよ、全然違うじゃない。ほら、よく見て。ちゃんとわたくしに似合う方を選んでちょうだいね?」
「流石お嬢様はお目が高くていらっしゃる! こちらはかの有名な――」
屋敷に呼ばれた商人の長い講釈を聞きながら、少女は目を輝かせて、少年は目を回す。
逃がさないとばかりに兄の片腕を抱き込む少女の笑顔は、Kの見たかった本来の輝きを取り戻していた。
数年分の分離不安を埋めるように、時に甘え、時には高圧的な態度で多少の無理を強要するアリシアは、本来の『悪役令嬢』という筋書きからは程遠い存在になっているのだろう。
最終的にアシェルが直感だけで選んだバレッタは、アリシア自身があたりを付けていたものと合致して、更なる波紋を呼ぶことは無かった。
商人が退出する間際に、少女が自身には不釣り合いな"極めて質素な装飾品"を購入していた事は、Kにとって疑問を抱く行動ではあったが。
「K」
高貴な二人と見えない一人だけとなった室内で、そっと名を呼ばれ、Kは差し出された主人の手に迷わず自身のそれを重ねた。
アリシアは感触だけでKの手を取ると、そこに小さなチェーン状のものを握らせる。
「これくらいなら、お仕事の邪魔にもならないかと思うのだけど……差し障りそうなら、持っていてくれるだけでもいいわ」
そんな風に微笑んで、持たされたもの。
少女の視界からは消えたそれは、眼前の瞳と同じ色の小さなアメジストの付いたペンダントだった。
「……なるほど。やっぱり僕らって、とことん双子なんだね……」
「何言ってるの?」
驚き固まるKを置いて、要領を得ない会話を始める双子。
影への贈り物とその一部始終を見ていたアシェルには、どうやら思うところがあったようだが、アリシアには真意は伝わっていないようだった。
「……まぁ、大事な人に贈るならやっぱりペンダントになるよね……ってことで。違う話しよっか」
「え? まさかあなたもフローレス様に……?」
「はいはいはいっ。しおり見てみよう、しおり!」
「もうっ! 重大な話を持ち出しておいて誤魔化すんじゃないわよ……!」
そんな応酬をしながら部屋を移動する二人に、影はまだ戸惑ったまま付き従う。
確かな証を首から下げ、黒衣の内側に隠したKは、脈打つ鼓動の高まりにさえ酩酊する。
赤らんだ頬の熱を知覚し、この場に同僚の男がいないことに心底感謝した。
(……あいつに見られたら、また暫く笑われるところだった。でも、この尊さの自慢はしたい……。どうする……?)
ややズレた思考のままアシェルの自室へと足を踏み入れたKは、一段と濃くなった不快感に眉を顰める。
扉が閉まると同時に隠匿を解除し、アリシアを背に庇うように立つと、微細な異臭を放つ方向へ鋭い視線を向けた。
「わっ! びっくりした……久しぶりにKが出てくるとこ見た気がする……」
「K? 急にどうしたの?」
日常的に姿を見慣れているアリシアは、然程驚かずに冷静に問いかける。
首だけで振り返ったKは、低く告げた。
「……闇ルートの薬品のような臭いがします。お嬢様は、それ以上近付かないで下さい」
「は!? え、闇ルート!? えっ、でも……Jはそんな臭いなんて……」
小さく息を飲むアリシアと対照的に、アシェルは困惑のまま声を上げた。
相棒の男が異変に気が付かなかったことに内心で舌を打ったKは、溜め息混じりの言葉でアシェルの疑問に答えた。
「アレは嗅覚よりも聴覚寄りなので……」
「そう、なんだ……。アレって…………」
何か言いたげに言葉を濁したアシェルだが、一応の納得は得たらしい。
束の間訪れた微妙な沈黙を、アリシアの声が控えめに裂いた。
「ねぇK。あなたには、それがどんな薬品か分かるの?」
「より間近で確認してみないことには断定は出来ませんが、おそらくは『惚れ薬』の類いかと。想定通りのものであれば、魔力量の多いお二人には危険はほぼ無いでしょうが……念のため、お嬢様はお手を触れないように離れていてください」
一の問いに十返すようなKの言葉に、先に反応したのはアシェルの方だった。
「惚れ薬って……それはまた、なんともオーソドックスな手を……」
「おーそどっくす? ……また前世の言葉ね。まあいいわ。アシュ、とりあえず現物を出してみなさい」
聞き慣れない単語に顔を顰めかけたアリシアは、気を取り直して即座に指示を出す。
Kにやんわりと肩に手を添えられて、部屋の端へと追いやられながらの言葉であったが。
「う、うん……。分かった上で触るの嫌なんだけどなぁ……」
「つべこべ言わないの。今まで放置してたくせに、今更なのよ」
「あははー…………返す言葉もないな」
遠巻きに野次を飛ばすアリシアに、アシェルは苦笑いを返してからようやく"異物"と向き合うために引き出しへと手をかけた。
◇ ◇ ◇
調査の結果は、やはりKの想定通りであった。
入念にしおりに染み込ませてあった薬品は、表立っては売られることのない『ラブリール』と呼ばれる惚れ薬であることが判明した。
これは「アリシア付き」として配属される以前の任務で知り得た、Kの影としての情報の一部であったが。『どうして闇ルートに詳しいの?』などという野暮な質問は、影との付き合いも長くなりつつある兄妹からは出てこなかった。
「魅了持ちなのに、どうしてわざわざ惚れ薬なんか仕込んだんだろう?」
「アシュには魅了が効かないと、向こうも理解したからじゃないの? 理由は分からないけれど、二回も無効化してるんだから」
「なるほど……?」
相手方の動機について考察を重ねる二人の影で、Kはひとり思い悩んでいた。
(Jの言う通り……魅了の娘を被害が甚大になる前に捕えるとしても、あまりにも弊害が多い……)
本来ならば"災害級"であるレイナの存在は、即刻、国や各種機関へと報告すべき危険度である。
しかし、この『血筋由来である可能性が高い魅了の魔眼』の存在が表沙汰になれば――
古の魔女と同じ瞳を持つレイナの血縁のうち、少なくとも同色の瞳を持つ者の連座は免れない事だろう。
そうなれば、アシェルの想い人であるダリルも。
最悪の場合は命すら危うく、そうでなくとも親族の多くを失う事となる。
K自身、ダリルへの思い入れは皆無に等しかった。
だか、仮にそんな事態になればアシェルは間違いなく憔悴し、結果としてアリシアの平穏までもが損なわれてしまう。
その一連の顛末は、人の情愛に疎いKの目から見ても、あまりに容易く想像できるものだった。
(やはり"アルファ"にだけは事情も込みで話しておくべきか? ……いや、駄目だ。あの男はいざとなったら躊躇いなく消すだろう……きっと私達でさえも)
時に曖昧さを含むKとJの定期報告が受け流されているのは、確実に温情ではあるが純粋な優しさからでは無い。
適当なように見えてその実"非情さ"も持ち合わせている上司の顔を思い出し、Kの苦悩は深まる一方だった。
「K。アシュのタルト、一緒に頂きましょう? Jにはあなたから渡しておいてもらえるかしら」
「はい。お嬢様がお望みならば」
「ふふっ。さぁ、いらっしゃい」
己が消される事など、今となってはどうとも思わない。
ただ、目の前の少女の微笑みを守るためにはどう動けば良いのか――
それだけがKの思考を埋めていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(限界オタクKちゃん……すこですの……)
よければまたアシェルに会いに来てくださいね!
☆乙兄の更新は週2回(火・土 20:00)の予定です。




