九話◇片割れの本音
なんか……ダメダメだな、僕。
根を詰めすぎていたダリルさんの息抜きを優先して、結局『研究のお手伝いをさせて下さい』と伝えるのを忘れてしまった僕だったけど。
お菓子作りのあとの独特な甘い香りに包まれながら、風船みたいにふわりと浮き上がった心のまま、僕は家路についた。
その風船に針を刺すかのようなアリシアの声が、背後から静かに響いた。
「良いとは言ったけれど、本当に遅かったわね?」
ひゅ……と、小さく喉が鳴った。
また"締まりの無い顔"と言われないように、表情を整えてからそっと振り返る。
「リシュ? まだ待って……待っててくれたの? あっ、そうだ! 今日はタルトを焼いたんだけど、お土産いる?」
言いながら、タルトの残りを包んだ袋を控えめに掲げる。
これで気分が逸れてくれれば良いんだけど、たぶん、無理だよな……。
「あら、いいじゃない。頂くわ」
「うん!? ……う、うん……」
(あれ……? 別に怒ってたわけじゃないのかな……)
にっこりと笑顔で近付くアリシアに、戸惑いながら包みを手渡す。
タルトを受け取った直後。スンと笑みを引っ込めたアリシアが、一転して真面目な顔になる。
「ありがとう、アシュ。でもそれはそれとして……」
「なっ、なにかな……?」
やっぱり『お怒り』ではなさそうだけど、なんとなくビクついてしまう。
別に悪いことした覚えなんかないのに、どうしてこんな反応になってしまうんだろう。
パトカーのサイレンに無条件にビビってしまう……みたいな?
「そんなに怯えなくてもいいから、真面目に聞きなさいね?」
「あっはい」
即座に緊張を解いた僕に、アリシアは指先で僕の部屋の方を指し示しながら、静かな声で言う。
「あなたの部屋から妙な気配がするって、最近Kが気にしているの。また何か変なモノでも持ち込んでいるの?」
「え、妙な気配…………っていうか、"また"ってなに!? 僕は変なものなんか持ち込んだことないけど……!?」
予想外の言葉よりも、突然の言い掛かりに反応してしまう。
一体いつ僕が変なものだなんて……。
(ん? ……今は手元に無いけど、人工魔石は変なものに入るのかな。あとは……書庫の奥で見つけた、禁書っぽいやつ……?)
ちょっと思い至ることがあったかもしれない、なんて。
考え込んでいると、アリシアの小さな溜め息が聞こえた。
「どうかしら。……ねぇ、そういえば、燃やしてしまったという手紙以外にも何か入っていたと言ってなかった? それはどうしたの?」
「あ」
思わず声を漏らして固まる。
引き出しに押し込んだままの『しおり』の存在を、今の今まで忘れていた。
お怒りの気配がじわじわと広がってくるのを感じる。
「……放置してるのね?」
「…………はい……」
カーティス兄様の冷気とは違って、アリシアの場合は怒ると『威圧』が発動してるんじゃないかと思う。
重力までは変わらないんだろうけど、押さえ付けてくるような圧迫感に、渋々返事を返すしかなった。
「馬鹿ね! 置いているだけでも危険な物だったらどうするのよ? 浮ついてないで……こういう時にこそ、ご自慢のその頭で、さっさと解明しなさいよっ」
案の定、叱られる羽目になるわけで。
でもなんか、今日のアリシア……理論で殴ってくるというよりも感情的なんじゃないだろうか。
「……ごもっともです……。ていうか、僕が悪いのは事実だから仕方ないかもだけどさ。……やけに当たりが強くない? なんで?」
気になることはその場で聞いてみる。
ダリルさん相手だとなかなか出来ないことだけど、基本的な僕のスタンスはこうかもしれない。
「っ、知らないわよ。恋に現を抜かして、可愛い双子の妹をいつも置き去りにする、自分の胸に聞いてみなさいよ」
フン! と顔をそらしてむっすりと唇を尖らせるアリシアは、成長して本物の淑女になったように見えていたけど、やっぱり可愛い妹のままだった。
でも、今はそんな感傷よりも――
「え……!? 置き去り、って……ええ……!?」
雑に投げられた文句のようでいて、くっきりと浮き彫りになるアリシアの本音。
中でも"置き去り"というその不穏な言葉に、僕の心臓はドキッと強い脈を打った。
酷く動揺して言葉が出ない僕に、アリシアは、さらに心の内を曝け出した。
「いつも一人で先に進んじゃって、わたしはアシュの背中が見たいんじゃなくて、一緒に歩いていたかったのに」
「リシュ……」
痛くて愛しい本音に、名前を呼ぶことしかできなかった。
気の強い彼女がこんなことを言うまで、僕は何をしていたんだろう。
――初等部の夏から、寝食さえ疎かになるほど研究に没頭して。
中等部の夏季休暇は、二年続けて『研究棟での合宿』をして外泊三昧……。
そして今回。『要件が済んだなら帰ってきなさい』というアリシアからの手紙を、まだダリルさんの傍に居たいからという理由で、無視――しようとした。
(僕、ずっと…………研究と、ダリルさんを追いかけることしか……してない)
アリシアがしきりに『研究に夢中になりすぎること』に対して苦言を呈していたのには、こんな真相が隠されていたなんて。
居た堪れない気持ちのまま、なにか言葉を続けなくちゃと口を開いた、けど。
「......僕、本当に......」
小さく震える声が、自分の口から漏れる。
「知らないわ! ……100万回謝るか、それ相応の謝罪をしてくれたら許してあげなくもないけど……あなたの罪は重いんだからね……!」
弱々しいその言葉は、適当な謝罪なんか要らないとばかりに遮られてしまった。
彼女の言い分は、もしかすると"理不尽で一方的"なものだったのかもしれないけど。
僕にとってはこんなの可愛いだけだったし、同時に『こんなになるまで寂しい思いをさせていた』という事実が、愛しさと同じだけ胸を締め付けた。
「……ご、ごめん……リシュにそんな思いさせてたなんて、知らなかった……」
「…………今のはカウントしてあげないから」
そんなことを言いながら。
アリシアは耳まで真っ赤にして、落ち着かないみたいに唇をむぐむぐと動かしていた。
それだけで、彼女が強がってるだけで本当は許す気満々なんだと分かってしまう。
だからこそ、僕は――
「うん......100万回じゃ足りないかもしれない」
「......っ、馬鹿ね! 数えるわたしだって大変でしょっ…………『それ相応』の方を選びなさいよ……」
「そうだね……ねぇリシュ。どうすれば、許してくれる?」
語尾がしぼんで消えていくアリシアに、吹き出しそうなのを堪えて、お伺いを立てる。
僕に出来ることなら何だってやるし、文句だっていくらでも聞くから。
(だから…………ごめんね、アリシア……)
「アシュのバカ……それくらい自分で考えなさいよ……」
そこで一度、そっと息を吐くと。
さっきまでの雰囲気とは一転して、アリシアは悪女ごっこさながらの毅然とした態度でもって、こう告げた。
「いいわ、教えてあげる。週末のお休みなんて無いものと思いなさい!」
そうして僕は。
数年単位で溜め込んだ『悪役令嬢アリシア様のご不満』を解消するために、二日間の休日の全てを捧げることになったのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(ついにアリシアちゃんが爆発しちゃいました……)
よければまたアシェルに会いに来てくださいね!
☆乙兄の更新は週2回(火・土 20:00)の予定です。




