【Living Day 2 】これからのことも ーSIDE Darylー
しっかりしないと……
アシェルくんとふたりで過ごす夏季休暇の研究室は、ちょっとだけ怖くて、苦しくて、とても穏やかな日々だった。
アシェルくんは、何でもないことのように、底なし沼のような呪いの恐怖に沈むわたしを、掬い上げてしまった。
漏れていた魔力の正体も聞かず、あからさまに目立つログハウスについても触れず。
ただ、好意を返しただけだと笑って。
彼にとってのささやかな恩返しが、わたしにとってどれほどの救いになったのか、それをアシェルくんが知ることはきっとない。
わたしだけが、思い返すたびに胸を温めて、また少しだけ泣くんだろう。
もう二度と、望まない魅了で人を壊すことがない。
ここ数年のあいだで、やっと深く息が吸えた気がした。
◇ ◇ ◇
もう触れてもこわくない。
この安心感は、わたしから少しの思考力を奪っていたみたいで……。
カーティスがお迎えに来てアシェルくんが去ったあと、わたしは人知れずにひっそりと反省会をしていた。
「……なんだか、とんでもないこと……しちゃわなかった……?」
熱くなる頬を両手で挟み、うつむいたままで自分に問いかける。
初めてアシェルくんが、わたしのために一人で作ったご飯をご馳走してくれたとき。
何年間も悩み続けていた苦しみから解放されたわたしは、ちょっと……ダメなくらいに心がふわふわしていた。
せっかく時間も手間もかけて、すごく美味しい食事を準備してくれたのに、アシェルくん自身がほとんど食べていないものだから。
わたし、は……。
「……ないっ。アレは、ないよ……!」
ずっと夢見心地みたいな気分のまま、自分のフォークで、アシェルくんの口元にチキンを差し出した。
アシェルくんは戸惑ったまま、おとなしくそれを食べてくれたけど……。
「……どうぞ、じゃないでしょ……」
震える声で自嘲しても、わたしの失態はまだ終わりじゃない。
もっと問題なのは、その後だった。
「……ダメ、だ。これ以上は、もう……」
思い出してはいけない。
今までとは違った意味で、心が崩れてしまいそうだから……。
なんにしても、立派に成長したアシェルくんに触れるのが、なんとなく躊躇われるようになっていたはずなのに。
そんな些細な抵抗感よりも、心配せずに傍に居られるうれしさのほうが勝ってしまった。
つまりわたしは、完全に距離感を間違えてしまったのだ。
(……バカ。ほんとバカ……)
たぶん、アシェルくんはいつも通りだったと思うけど、次に会うときにどんな顔をすればいいのか、ちょっと分からなかった。
視線を泳がせた先に、金色のフレームの大切な眼鏡が映った。
これを外して机に置いてみせたときの、カーティスの驚きようったらなかった。
「ふふっ。珍しい顔見ちゃったなぁ……」
いつもの大人びて冷静な彼と違って、驚きに目を見開いて言葉に詰まったカーティス。
彼にも、わたしのあれのことは話したことはなかったけど、なんとなく気付いていたんだろうな。
当然のことかもしれない。だって、揺らぎも見られたことがあるんだから……。
察しの良すぎる友人は、口には出さないけれど。
どこまで真相に近づいて、どれだけ心を痛めていたんだろう。
分からないけど、言葉以外で誠意を返したい。
お詫びといえば……おそらくわたしの最後の被害者になった、クラウス……。
あの時は幸いすぐに解除できたし、後遺症も記憶も残っていないけど。
今さら何かするほうがおかしいし、そもそも表立って謝罪なんか出来る状況ではないけれど、それでもなにかは返したかった。
(……謝るどころか、呼び捨てにまでしちゃったし……)
アシェルくんが、魔力の過剰圧縮を起こしたとき。
わたしはあまりの衝撃に、思わず普段から心の中で呼んでいた『クラウスとゼノ』という呼称で叱りつけてしまった。
スピンオフのクラヒカが生まれたのって、乙女ゲームの枠を越えて、クラウスとゼノがBLとしての人気を高めすぎちゃったせいなんだよね……。
ちなみにわたしも、薄い本読んだし……それどころか――
"ある意味では公式"なのをいいことに、制作チームで悪ノリしちゃったんだ。
(……あのふたり、コモハナだと結ばれないけど、クラヒカの中では最後まで添い遂げたっていう匂わせがある……というか、そんな設定にしたんだけど…………どっちの世界線の主従なんだろう……?)
って。今はそんなことは、どっちでもいい、かな?
これまでのことは一度置いておいて、わたしは、ようやく視線を向けることが出来るようになった、これからのことを考えていかなきゃいけない。
そちらを見る余裕なんてなかった、残り少ない学園でのこと、卒業後の展望について。そして。
(……いつまでアシェルくんと居られるのか、ってこと……)
口に出せば、ほろほろとほどけていきそうで。
心の中だけでささやいて、かすかな胸の痛みに気付く。
(……このさみしさは、きっと。弟みたいに大事に思ってしまったから、生まれるもの…………本当の兄弟じゃないから、いつかは離れないといけない、から……)
考えるほどにズキズキと増していく痛みに、ぎゅっと眉を寄せて顔をしかめる。
いつからわたしは、こんなに欲深くなってしまったのだろう。
ひとにはそれぞれ大切な出会いがあって、いつか別れが訪れるなんて、自然なことなのに。
彼と出会えた奇跡は、それだけで、『今のわたし』の人生に価値と意味をもたらした。
生まれてこなかったかもしれない命で、いつ死んでもおかしくなかった人生を生き延びて、わたしと出会ってくれた。
そして、その命を繋ぐという、贖罪さえも果たすことができて。
もう十分なはずなのに。
「…………しっかりしなくちゃ」
ぺちんと頬をはたいて、無理矢理にでも自分に喝を入れる。
声も手も、そんなに力強くもなかったから、大した効果は得られなかったけど。
それでも前を向くしかない。アシェルくんが晴らしてくれた、暗雲の先の未来を見にいかなくちゃ……。
そうしてわたしは。
一人では広く感じるようになってしまった研究室で、向き合うべき課題を手にして、あらためて金の眼鏡をかけた。
これは戒めであると同時に、もうひとりの母からもらった大切な愛の形でもあるから。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
(もっと距離感バグらせてもらっていいですよ……)
よければまたアシェルに会いに来てくださいね!
☆乙兄の更新は週2回(火・土 20:00)の予定です。




