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ことが動いたのはその日の夜だった。夕食前、部屋で裁縫をしているとフィオレ様の侍女が一人で部屋を訪ねてきた。一人のことを訝しがっていると、その侍女は部屋に入るなり頭を下げた。
「壊れた?」
「大変申し訳ございません!」
「いいわ、そんなことよりフィオレ様や周りの侍女に怪我は?」
「ありません。本当に本当に申し訳ございません」
顔を青くして頭を下げる侍女に、壊れたことを不思議に思う。フィオレ様は物を雑に扱うようには見えない。なぜ壊れたんだろう。首飾りは簡単に壊れるような作りにはなっていない。重厚感があるだけ、作りも頑丈だ。よっぽどのことがなければ、石にすら傷がつくこともないだろう。
「あなたが壊したの?」
「そうです。丁重に箱にしまおうとしたのですが。本当に申し訳ございません」
王家からの借り物を壊したとなれば、暇を出されてもおかしくない。でも、そんなに簡単に壊れるものかしら、と不思議に思って侍女を見る。丁重に箱にしまおうとした、と言うのが嘘を言っているようには見えない。
「持ってきて見せてもらえる?直せるかもしれないわ」
そう言うと、侍女はただいま持ってまいります、と言って下がった。ニルヴェルに目配せをすると、ニルヴェルも頷いてくれた。何かがおかしい。落としたくらいで壊れるものではないはずだ。もっと強い力が加わらないと。ではあの侍女が無理やり壊した?なぜ?何のために?不可解すぎる。
「一応、修理屋に見せようかしら」
「そうですね。それでは修理屋に連絡を」
これは嘘だ。ニルヴェルもそのことをわかっている。首飾りの修理くらいなら私ができる。でもその様子を他の人に見られるわけにはいかない。ニルヴェルが修理屋に連絡をするので、あなたたちはお嬢様にお茶を持ってきてちょうだい、何か冷たいものもお願い、と人払いをしてくれる。
「お持ちしました」
侍女が扉の前で声をかけてくる。入るように促すと、中に入ってきた。何の変哲もない箱に収められた首飾り。机に置くように言って、それを眺める。確かに、つなぎめのところがわかりやすく壊れている。でも相当力を込めないとできないのではないか、と思っていると、侍女が震えながら口を開いた。
「本当に申し訳ございません。お詫びのしようもありませんが、私が全て悪いのです」
その言葉に侍女をしげしげと眺めてしまう。顔が青く震えている。怖くてたまらないはずなのに、誰のせいにもせずにここにいる。
「そんなに震えなくていいわ。私、全く怒ってないのよ」
そう言うと侍女が顔を上げる。その瞳には涙が浮かんでいた。怒ってないのは本当だ。そもそも壊されてもいいものしか貸し出したりしない。それにわざとではないことをそんなに怒っても仕方がない。怒って直るのなら怒ればいいけど、そうではないのだから無駄だ。侍女はそんな私が信じられないとでも言うように、まだ震え続けている。
「お嬢様、これは」
「どうかした?ニルヴェル」
「気づかれませんか?」
ニルヴェルがその箱を持ち上げて、上から下から眺める。私はそんなニルヴェルを眺めていると、ニルヴェルは間違いないです、と言って箱を机の上に置く。
「これ、魔法がかけられています」
「え」
私は全く気づけなかった。ニルヴェルはお嬢様は魔法に気づくのは苦手ですもの、と言って侍女に視線を向ける。侍女は震えは止まっていたけど、ニルヴェルに真っ直ぐに見られて、動揺したように視線を下げる。
「ずっとこれをお使いですか?」
ニルヴェルが侍女にそう尋ねると、侍女は頷いた。
「王太子殿下からニルヴェル様に贈られたものです。誕生日の贈り物でした」
「そう」
ニルヴェルはそう言って口を閉じる。隣国の問題に使用人が介入しすぎるのは良くない。魔法がどの段階でかけられたものなのかわからないけれど、解けなかったらもう使わないほうがいいだろう。でも、どうして私からの借り物だけ壊れたのか。この箱に入っていた指輪と首飾りは壊れていなかったはず。
「指輪と首飾りは壊れないのね」
「はい。あれだけは壊れずずっとあります」
「あれだけ?」
「それ以外のものはなぜか壊れたり、無くなったりしてしまうのです」
そう、と呟いて箱に魔法を当ててみる。大抵のものはこれで解けるけれど、どうだろう。私では解けたかどうかがわからず、ニルヴェルにその箱を渡すと、ニルヴェルがさすがお嬢様、と微笑んだ。
「解けております」
「じゃあそんなに強い力じゃないわ」
「そうなのですか」
「ええ」
誰が魔法をかけたのかわからない。きっとこの箱に収められる装飾品が壊れたり、無くなったりする魔法をかけたのだろう。二重にかけられていたとはいえ、弱い力だった。それでも、装飾品は壊れたり無くなったりして困っただろう。イタズラにしては悪質だ。
「あの首飾りと指輪も今度見せてもらいましょう」
ニルヴェルが私の言葉を代弁してくれる。頷いてから侍女に箱を返すために箱を持ち上げる。
「どうぞ。これでもう装飾品が壊れたりすることはないわ。大変だったでしょう」
その度に今回のように謝ったり、暇を出されたりした侍女がいたのではないか。だから彼女についている侍女は極端に少ない。侍女が箱を受け取って、両手で胸に抱き抱える。
「ありがとうございます」
侍女は小さく礼を言って、下げていた視線を上げた。それから何かに迷っているように視線を彷徨わせた後、意を決したように口を開いた。
「フィオレ様は、無くしたり、壊れたりした時、いつも侍女たちを庇ってくださいました。でも奥様が、王家からの贈り物を壊したり、無くすことは許せることではない、と」
フィオレ様はやはり優しいお人柄のようだ。侍女を庇ってくれる彼女を侍女たちも慕っていたのだろう。けれど公爵家の奥方の言っていることもわかる。王太子の婚約者ということは王家からの贈り物も多かっただろうし、装飾品はその中でも高価なものだろう。一つでも無くしてしまえば、王家に誠心誠意仕える気がないと思われても仕方ない。
「気をつけてはいたのですが」
「魔法は気をつけるだけでは防ぎようがないのよ」
そう私がいうと侍女は唇を噛み締める。その表情が悔しそうで、気に掛かった。
「フィオレ様は装飾品をたくさん無くされたの?」
「私たち侍女が壊したり、無くしたりしてしまいました。フィオレ様にはそのうち、王家からの装飾品を売り捌いているのではないか、という噂が立つようになってしまって」
ああ、それで悪女か。周りの侍女は余計に焦ったに違いない。フィオレ様は何一つ悪くないのに、噂だけが回ってしまう。回り始めた噂をかき消すのは難しい。事実としてフィオレ様の装飾品がなくなっていっていることがあるならば余計にだ。王太子が話を聞いてくれる人物だったとしても、疑いの目を向けてしまうものだろう。
「そんなことはしていない、私たちが悪いのだと言いたくても、暇を出されてしまうと何もできず」
侍女の言葉に、ただのイタズラとしてもあまりにも悪質だともう一度思った。人の人生を左右してしまうような問題だ。
「フィオレ様は本当にお優しい方です。どうかよろしくお願いします」
そう言って侍女が頭を下げる。フィオレ様について異国に来るのはこの子にとっても怖かっただろう。その矢先に装飾品が壊れてしまった。どれだけの勇気を持って謝罪にきたのだろうか。
そう思って、できるだけ優しい声を出した。
「もちろんよ。あなたもよろしくね。名前を聞いてもいいかしら」
「リズと申します」
「よろしくねリズ」
やっと名前を聞けた。そしてフィオレ様の噂の出所も聞くことができた。よかった、と安心してしまう。やはりフィオレ様は優しい方だった。
「リズさん、お嬢様の魔法の件はどうか内密に」
ニルヴェルがそう言ってくれて、私は自分が迂闊だったことに気づく。何も考えずに力を使ってしまっていた。
「もちろんです」
リズはそう言って何度も頷いた。そして何度もお礼を言いながら箱を抱えて帰っていった。二人きりになった部屋で私は長いため息をつく。
「いたずらにしては悪質よ」
「本当です。許せませんね」
ニルヴェルも怒っている。暇を出された侍女たちがその後、仕事を見つけるのがどんなに大変か知っているからだろう。
「悪女の噂の出所はわかったけど、不吉な女ってなんなのかしら」
「それも裏がありそうですね」
「とりあえず今日の件を明日、お兄様に報告に行くわ」
ニルヴェルがその言葉に頷いたと同時に、侍女たちが戻ってきた。持ってきてくれた氷菓を口に入れると甘い冷たさが口の中に広がった。




