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早駆けの馬を出したとはいえ、王都まではしばらくある。ずっと馬車に乗っているわけにもいかないので、辺境伯の城にお邪魔することにした。辺境伯の息子について何か説明をしなければとは思ったけれど、なかなか言葉が出てこない。フィオレ様は私の大切な人について失礼なことを言う方ではないだろう。
鉄製の門が開いて、馬車が続々と入っていく。周りは深い森に囲まれていて、何度来ても気持ちのいい場所。フィオレ様は少し俯いたまま顔を上げもしない。
お兄様との結婚を喜んでいるようにはとても見えないのに、その口角だけが微笑むように上がっているのが少しだけ恐ろしい。厳格な教育を受けているのだろう。
何か言葉をかけた方がいいのか迷っているうちに、馬車の扉が外側から開かれる。私の大切な人の顔が見えて、思わず笑顔になってしまう。
「ノース」
「お会いできて光栄です。王女殿下」
ぴんと立った二つの耳、ズボンが窮屈ではないように出されている尻尾。先祖返りもここまで来るといっそ笑ってしまいますな、と宮廷医師に言われたノースウェルト・スルーザント。辺境領を守る伯爵の長男。そのノースは私のことをチラリと見てすぐに視線を外した。そもそもジロジロと見るのは不敬になる。それはわかっているので、少しだけ微笑んでおいた。
「お手を。足元にお気をつけて」
それに気づいたのか手が差し出されて、私が馬車を降りるのを手伝ってくれる。茶色の髪の毛に茶色の耳が周りを警戒するようにあっちこっちを向いている。尻尾もピンと地面と並行になっている。耳と尻尾が私に会えて嬉しいわけではないということを如実に表していた。ノースからすれば私とフィオレ様が辺境領でゆっくりすることは喜ばしくないことだろう。いつどんな手が私たちの首にかかるかわからない。
ずっと警戒していなければならないのも大変だろう。
私の後から降りてきたフィオレ様の手はノース付きの従者がとって、安全に馬車から降ろしてくれる。フィオレ様がノースに向き直ると、ノースは深く一礼した。
「お初お目にかかります。この辺境を治めているホスゲルグ・スルーザントの長男、ノースウェルト・スルーザントと申します。」
「初めまして、フィオレ・エズストと申します」
まだお兄様と結婚をしているわけではないから、王太子妃と名乗るわけにもいかない。婚約者と名乗ってもいいのに、フィオレ様は控えめに自分の名前を名乗られただけだった。それに何を思ったのかノースの耳が警戒していたのを解いた。二つの耳が同じ方向を向く。
「辺境にはなりますが、どうぞゆっくりお過ごしください」
ノースが微笑んでそう言うと、フィオレ様も微笑んで頷かれる。予想通りというか予想以上に、フィオレ様はノースの見た目について何も言わなかった。それに深く安堵した。噂に聞いていたご令嬢像とはあまりにも違いすぎる。安堵したのをノースに気づかれたくなくて扇を開いて口元を隠した。
従者をチラリと見ると慌てたようにこちらです、と城内に案内される。鷹揚に頷いて見せたけれど、背後の二人が気になって仕方ない。
うまく会話が弾むといいのだけれど。
「そのままお寛ぎになられますか」
従者がおずおずとそう聞いてくれる。ノースにも仕事があるだろうし、フィオレ様も馬車に長時間揺られてお疲れだろう。そのまま私が部屋に引っ込んだ方が二人ともゆっくりできる。
王女という立場は一緒にいる人たちを疲れさせる。
「そうね、そのまま部屋に行くわ」
私がそういうと安心したように従者が頷く。城内に入ると、大勢の使用人が頭を垂れて出迎えてくれた。それに頷いて、城内を見回すといつも通り清潔でどこかしこに花が飾られている。
初夏の花が美しく、飾られている黄色い花にそっと触れて鼻を近づけると良い匂いがした。
「綺麗ね」
そう言うと、あからさまに従者の顔が明るくなる。来ると言っただけでこの騒ぎ。この騒ぎにもなる。未来の王妃も今回は一緒なのだ。万が一にでも不手際がないようにと言い含められているだろう。早めに部屋に退散した方がやっぱり良さそうだ、と後ろの二人を振り返る。
「そのままお部屋に失礼します。夕食の時に、また」
そう言って従者に案内されるまま城の中を進む。勝手知ったる人の城なので、案内がなくてもどこに何があるのか、よくわかっている。この城で毎年夏を過ごさせてもらったことも懐かしい。私の部屋の脇には使用人がついていて、両開きの扉を開けてくれる。中に入ると、いつも通り正面に、私の大切にしている犬のぬいぐるみが置かれてあった。
それに困った顔をしてしまう。おくように指示したのが誰なのかはわからないが、まだ私のことを小さな子どもだと思っているみたいだ。
「下がっていいわ。飲み物をお願い」
そう言うと静かに従者が下がる。私付きの侍女が飲み物を運んできてくれるだろう。ふかふかの豪華な椅子に座ると、どっと疲れが襲ってきた。お兄様に迎えに行くと言ってから飛ばしに飛ばしてここまで来た。フィオレ様も大変だったと思うが、私も疲れた。ソファに上半身だけ寝転がるとすぐに睡魔が襲ってくる。
フィオレ様が良さそうな人でよかった。おそらく兄はフィオレ様のことを好きになる。お母様の言っていた愛情に溢れる家庭を持つことができる。それはどんなにお金を積んでも手に入らないものだ。
「一番価値があるのよね」
愛に溢れた家庭は一番価値がある。私もそう信じている。フィオレ様は馬車の中で少し話しただけでもご聡明だ。兄の良き相談相手にもなれるだろう。未来の王妃が馬鹿ではなくて助かった。うーんと両手をあげて伸びをする。王というのは孤独なものだ。常に貴族たちに囲まれちやほやされているように見えてそうではない。
その兄に、良い人が現れてよかった。まだ二人は会ってすらいないのに確信してしまうのは気が早いだろうか。
「失礼します」
外から声が掛かると同時に扉が開かれる。私付きの侍女のニルヴェルだった。ずっと付いていてくれている。ニルヴェルも先祖返りでふさふさの尻尾が生えている。奴隷として売られそうになったのを、お母様が見つけて助けてきた。
「ありがとうニルヴェル」
「お礼には及びません。それよりお嬢様、お疲れでしょう。あんなに頑張らなくてもよかったのではありませんか」
ニルヴェルがソファの前のテーブルに三段の食器を置いてくれる。どれにも美味しそうな焼き菓子やパンがのせられている。それの一つを手に取って口に運ぶと、ほんのりと温かった。
「でもニルヴェル、お兄様には幸せになってもらいたいの。そのためには印象って大切でしょう」
「それはわかりますが、無茶をすると体調を崩しますよ」
ニルヴェルが私のことを心配している顔をする。お母様と一緒に小さい時から面倒を見てくれているこの侍女にだけ、私は甘えることができる。ニルヴェルは結婚適齢期になっても結婚をしなかった。理由を聞いたことはないけど、すごくありがたく思っている。
「でもニルヴェルがいるから」
「私だってなんでも治せるわけではありません。お嬢様、お身体は大切にしてください」
そう言われて首をすくめる。心配していってくれているのだから、おとなしく聞いておこう。それにこうやって私のことを諌めてくれるのはもう両親の他にはニルヴェルと王宮の執事のバルンしかいない。
ありがたい存在だ、と怒られたのに機嫌よく私は焼き菓子を食べ進めた。




