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滅びてしまえばいいと本気で思った。
「フィオレ・エズスト嬢、あなたとの婚約を破棄する!」
こんな時でも私は微笑んだままだ。頭上にあるシャンデリアは信じられないくらい輝いている。そのまま私の上に落ちてきてくれたらいいのに。
目の前には王太子と聖女様が並んで立っている。並ぶ必要があるのかは疑問だけれど、この婚約破棄が彼女との婚約の礎になるのだから、必要なのかもしれない。
全てが無駄だったのだと思うと徒労感が押し寄せてくる。魔物討伐を優先した方がいいという意見はそんなにも貴族の皆様から邪魔だと思われる意見だっただろうか。誰一人として私を庇ってくれる方はいなかった。
「謹んでお受けいたします」
そう言うと、王太子、ユグルドルフ・ノムルタハの顔が不快そうに歪んだ。ユグルドルフもすっかり変わってしまった。以前はユグルドルフも聖女の力は民のために使うべきだと言っていた。それが今では自分が鍛錬で作った小さい怪我も聖女様に治してもらっている。
人間はこんなに簡単に楽な方へ流れるのかと思った。そして、どうして貴族が、王族が、自分たちだけは魔物に襲われないと思っているのかが不思議だった。もうすでに人が攫われていて実害が出ているにも関わらず、騎士団が治療できていないことを理由に派遣しようともしない。
ユグルドルフの隣に立っているマリーは、私を見て一瞬だけ気の毒そうな顔をした。彼女も聖女、と呼ばれ始めた頃は騎士団の治療に奔走していた。今はもう、その力を貴族と王族のためにしか使わない。
こんなにも煌びやかな舞踏会の場で、婚約破棄を私に突きつけたのは貴族たちの不満がたまっていたからだろう。その証拠にくすくすと笑う者までいた。
「それでは退室させていただきます」
頭を下げてくるりと後ろを向く。背筋はせめて伸ばそうと思った。どうしてこうなったか、自分でも理由は分かっている。貴族たちにおもねらなかったからだ。私は私の正しいと思うことをした。それがこんなにも悪いことだとは思わなかった。魔物が王都に出る前に、魔物の被害がこれ以上広がらないうちに、騎士団を向かわせるべきだ、そのために聖女様の力は騎士団の治療に使うべきだ、という意見はついぞ認められることはなかった。
「お嬢様」
リズが気遣わしげに声をかけてくれても反応もできない。ずっと微笑んでいなさい、と言われたからか私はずっと微笑んでいる。完璧な淑女、完璧な王妃になりたかった。でも、ユグルドルフはそんなこと望んでいなかった。王宮にある自室もそのうちに退去を命じられるだろう。そうなる前に自分から出ていこう。
自室に入り、椅子に座るとそこではじめて涙がこぼれた。どうして、という気持ちが大きかった。私もユグルドルフと一緒に流されてしまえばよかったんだろうか。手を顔に当てて流れる涙をそのままにする。リズは何も言わない。
私はそのままずっと泣き続けた。
翌日には王宮を退去した。そんなに急がなくてもいいと王陛下には言われたけれど、もう一瞬だってここにいたくはなかった。王太子の婚約者に選ばれてからずっと、私はここで王妃教育を受けてきた。楽しい思い出より苦しい思い出の方が多い。王都の屋敷に戻ることは許されなかった。お父様は私が王太子に意見をしたことについて大層ご立腹で、自分の立場をわかっているのかと私を責めた。お母様は婚約破棄されるなんて一族の恥だと私をなじった。そのまま私はリズと数人の使用人と一緒に公爵領にある小さな屋敷に行くように命じられた。これ以上私たちに恥をかかせないでちょうだい、と言われて、私は何も言えなかった。
これからどうなるのだろうと屋敷でぼんやりしていると、ヴァラス王国の王太子との婚約が決まったことが知らされた。私のことをすこしは不憫に思ったのか、それとも魔物が出る土地を押し付けたかったからなのか、おそらく後者の方が大きいんだろうけれど、私の婚約を王家が決めてくれたらしい。
ヴァラス王国の王太子は見目麗しいと噂の方だったので、驚いた。以前お茶会でヴァラス王国の王女殿下と会ったことがある。真っ赤な瞳と真っ黒な髪は印象的で、社交的な方だった。
準備をしているうちに輿入れの日になった。お父様に、また婚約破棄をされるかもしれないから何もいらないだろうと言われた。お母様もドレスを新調する必要はないと言った。
水害があったので、お兄様が来れなくて、代わりに私が、というファジータ王女殿下は美しく、また自信に満ち溢れているように見えた。ファジータ王女殿下は私にドレスを仕立ててくれた。こんなドレスは受け取れない、と言ったらヴァラスの威信に関わるので、と言われた。そこで私は、自分が痩せたことに気づいた。
湖に魔物が出ると言われたのに、ファジータ王女殿下に湖に誘われて驚いた。まさかここで殺すつもりなんだろうかと思った。もしくは魔物のことを軽くみすぎているのではないかと思った。何度も魔物のことを言おうかと迷って、結局言わなかった。また、余計なことだと言われるのが怖かった。それでも帰りが遅いのが気になって湖に行ってみようと城前に出ると、ノース様がファジータ王女殿下を探していた。湖に誘われたことを伝えると、あの人は、と呆れられたような顔をしていた。一緒に湖に行かせて欲しいと言うと、渋い顔をしていたけれど、連れて行ってもらえることになった。やっぱり、あの時きちんと注告するべきだった、と馬車の中で後悔していると、湖が見えた。ファジータ王女殿下が仰ったように、美しい湖だった。
馬車から降りると、ファジータ王女殿下が立ち上がったのが見えた。それと一緒に、鳥型の魔物がファジータ様に向かって一直線で飛んでくるのも見えた。あれは、ノムルタハ王国に出たものと同種だ、と思った瞬間走り出していた。
無我夢中でファジータ様を突き飛ばした。魔物の軌道から逸らしたかった。ファジータ様は私に突き飛ばされた瞬間、驚いてらっしゃったけれどすぐに微笑まれた。ノース様に説明を求められて、ノムルタハ時代のことが思い出された。装飾品がなくなるたびに、おかしいと、侍女は悪くないのだと説明しようとすると、言い訳をするなと言われた。今この状況でも何かを言えば言い訳になるだろう。そう思うと、何も言えなかった。何も言えない私にファジータ王女殿下ご自分の力を見せてくださった。初めて見るその魔法は美しく、そしてその魔法を私に見せてくださったことが嬉しかった。ノムルタハ王国で魔法を使える人間は聖女様と神官長様だけだった。二人ともファジータ様のような魔法を使っているところは見たことがない。驚いている私にノース様は口止めをなさった。当然だと思った。こんなに強い力、他国から狙われてしまうだろう。ファジータ様は私の意図も汲み取ってくださった。その喜びをどう表せばいいのかわからない。自分の気持ちを誤解せずに受け取ってもらえると言うのは、こんなに嬉しいことなのかと、涙が出た。
王城に入っても、それは続いた。エリオル王太子殿下との顔合わせはとても緊張していたのに、その当日の朝花が届いた。会えるのは楽しみにしているという旨のカードが添えられたその花が、私にとってどれだけ嬉しかったか。花束を抱えて泣き始めた私を、リズや周りの侍女は気遣ってくれた。
両陛下に会った時も、長旅でお疲れだろうと慮ってくれた。エリオルの婚約者になってくれてありがとう、と言われて、何も返せなかった。どうしてこんなに優しくしてもらえるんだろうと思った。私はまだ何もしていないのに。
エリオル王太子殿下にあった時、まずは非礼を詫びられた。水害地への訪問のために、迎えにいけずに申し訳なかったと言われて、私は驚いた。それから妹を助けようとしてくれてありがとう、と言われた。私が何も言えずにいると、これから少しずつ関係を深めていこうと言われて、顔合わせは終わった。聞いていたように美しい方で、そして私に対してとても優しかった。だから、私は、ずっと胸のうちにしまってあった感情を自覚してしまった。あんな祖国なんて滅びてしまえ、という感情。胸の中に渦巻く黒いものをそれでも私は淑女らしく隠した。隠したまま、祖国が滅びるように立ち回るのは、私には簡単なことだった。だって祖国はもう滅びかけている。
「お待ちください」
「フィオレ様?」
いきなり扉を開いて、入ってきた私にファジータ王女殿下が驚いているのがわかる。シャツとズボン姿の王女殿下は髪の毛を一つに括っている最中だった。手を止めずに私のことを見てくれる彼女を、このまま行かせるわけには行かない。
「転移魔法でファジータ様が怪我をされたら、ノムルタハ王国は本当に終わりです。いえ、ノムルタハ王国だけでなくヴァラス王国にも被害は出るでしょう」
「でも」
「時間がかかってしまっても、確実な方法を取るべきです」
ファジータ様が行おうとしている転移魔法は高度な魔法技術だ。私も勉強したから知っている。失敗すれば、体の一部が元の場所において行かれたままになる。つまり欠損が起こってしまう。そんなことを、あの人たちのためにこの王女殿下にさせたくなかった。ノムルタハ王国の王都に被害が出ていると知らせを受けた直後に、ファジータ様は私に知らせてくれた。そして会議に私も出るように進言してくれた。
「そうだな。時間がかかって被害が拡大しても止められないよりはいい。ファジー、お前が死ねばこの国は終わりだ」
「ですが、ノムルタハ王国の王都まで馬車で五日はかかります」
「それでもお前の一部が欠けてしまったら、我々は魔物に対する対抗手段を失う」
「でも」
そう言ってファジータ王女殿下が私のことを見つめる。祖国が魔物に襲われているのに、助けてあげられないなんて、と思っているのだろう。私の暗い願望に彼女を付き合わせてしまうことを申し訳なく思ったけれど、彼女を失ってしまえば今度はヴァラス王国が魔物に襲われた時に、対抗手段が失われてしまうのは本当のことだ。
「私にお前ほどの力があれば良かったが、知っての通りない」
「お兄様」
「忘れるな。お前の力は国の力だ」
エリオル王太子殿下がそう言うと、ファジータ王女殿下が静かに頷いた。今の会話から推測するに、ファジータ王女殿下の方がエリオル王太子殿下よりも魔力量が多いのだろう。だから、ファジータ王女殿下は自分の魔力のことを隠そうとしていたのか、と気づいた。国王になる兄よりも優れていては国に歪みができてしまう。
「明日の朝、出発します。騎士団員には家族がいるでしょう」
「そのように手配しよう」
そう言ってエリオル王太子殿下が部屋を出て行く。
「ファジータ様、許可もなく入ったことをお許しください」
「フィオレ様、そんなこと」
ファジータ王女殿下の顔を正面から見られない。何の疑いも持たずに、私が祖国を助けたいと思っていると信じているその瞳に考えていることを見抜かれたくはなかった。
「そんなことより、ご家族が心配でしょう。転移魔法の練習をしておくべきでした。何もできなくてごめんなさい。」
そう言う彼女に首を振る。本心から祖国のことを思う気持ちはなかった。滅んでしまえばいい。なくなってしまえばいい。私利私欲に走って楽な方に流された結果だ。その結果の責任をノムルタハ王国は自国の血を持って取らなければならない。
「いいえ、ファジータ様。備えるべきだったのはノムルタハ王国です。ヴァラス王国には感謝してもしきれません。本当にありがとうございます」
そう言って頭を下げる。私のことを信じてくれている彼女の瞳をやっぱり真っ直ぐは見られなかった。




