36話 終章
しっかりとした大きな柱や梁がめぐらされた厳格で豪奢な造り。そして、煌びやかな襖が並んでいる廊下を、徳は背筋を伸ばし凛と歩いていた。本来ならばこのような場所を一人で歩くことはない。
一国の姫であるのだから侍女がついているのが当たり前だ。しかし、徳は案内役に従いながら、一人、名護屋城の廊下を歩いていた。
その様子を遠巻きから眺める人々の視線からは好奇や物珍しさがありありと分かる。しかし、徳はその視線に一瞥を送ることなく廊下を進む。最近になって増えた好奇の目。声をかけられることもなく遠くから観察されているが、嫌悪や侮蔑の色は一時に比べると雲泥の差にも減ったから不思議なものだ。
「こちらでございます。大谷の姫君。」
「ありがとうございます。」
徳が微笑むと、案内役は頬を染め不自然に頭を深く下げる。そして、やや上擦った声で襖の中へ声をかけた。
「と、殿っ!お、大谷徳姫様が参られました!」
「ふむ。入れ。」
中からの声を聴き、案内役が襖を開ける。その中には、上座に豊臣秀吉、そして、中央には自身の婚約者、真田信繁が座していた。だが、なぜかその婚約者の表情は苦い。いや、不機嫌と言おうか。眉間にやや皺が寄っている。その視線の先を追うと、徳の横で頭を下げている案内役だ。その視線を受け、案内役は今度は顔を青ざめさせ、明らかに焦っている。
(…?)
「信繁よ。そう睨むな。」
「…睨んでいるわけでは…。」
「お前ももうよい。下がれ。」
「はっ!」
徳が部屋の中に入ったのを確認すると、これ幸いと言わんばかりに、案内役はそそくさと襖を閉め、逃げるように去っていった。
疑問に思いつつも、徳は信繁の横に座り、頭を下げる。
「秀吉様。直接お目通り叶うこと、感謝申し上げます。」
「ふむ。堅苦しいことは良い。そなたには感謝しておるのだ。」
「いえ…、私は大したことは…。」
「謙遜するな。それに、信繁をこうも変えてくれ、儂は嬉しい。」
「…?」
「この方が人間味があってよいからな。」
「秀吉様…。」
「ははははっ!これ以上はやめておこう…。…して、わざわざ会って話がしたいというのは、褒美に大層なものを要求するつもりか?」
急に視線が鋭くなった秀吉に徳の身体は緊張が走った。膝の上に置いている掌に汗がにじむ。しかし、怯んではいけない。これは一世一代のチャンス――
「私の願いは一つです…。…もうご存じかとは思いますが、私は妖の血が混じっております。」
「………その様だな…。どういう経緯でそうなったのかは吉継が帰ってから聞こうと思っておる。」
「…きっと…、秀吉様にも黙っていたのは、私を守るためだと思うのです。」
「…それで?吉継へ罰を与えるなという願いか?…しかし、儂を騙して妖と契り、子をなしたのだ。命の危険まで冒してな…。それに、今まで嘘を貫き通しておった…。儂からの信頼が揺らぐのも無理はないと思わんか?」
「…秀吉様のことです。それでも父上様の心情をくみ取って、父上様へ罰など元よりお考えでないはず…。」
徳と秀吉の視線が交わる。
その秀吉の瞳が面白そうにゆがんだ。
「…ほぉ?…それで?」
「私の願いは、秀吉様のお力で無暗な妖への殺生を禁じてほしいというものです。」
「………人々の行動を抑制すれと?」
「はい。」
秀吉の強い視線が徳を射抜く。蛇に睨まれた蛙の気持ちになるが、ここは耐えなければいけない。徳は視線をそらさず受け止める。豪奢な畳の間に緊張が広がる。
その時、徳の横に居た信繁が動いた。
「秀吉様。私からもお願い申し上げます。」
「え…?」
「私へも褒美を下さるとおっしゃってくださいました。私たちは今後夫婦となるのです。姫の願いは私の願い。どうかお考えいただければと。」
徳の横で信繁が深く頭を下げた。徳も倣うように焦って頭を下げる。
「…はぁ…。」
しばらくの沈黙の後、秀吉からため息がこぼれた。
「面を挙げよ。…まったく、私欲がない者どもだ…。………昔、吉継からもその話が出たことがあった。」
「…え?…父上様から…?」
「その時はなぜそのような話をするのか理解が出来なかったが、そなたのためだったのだろうな…。」
秀吉が肘置きにもたれかかりながら体を崩した。先ほどの様な緊迫した雰囲気が噴散される。
「…数日前に陰陽師へも褒美を与えようと城に招いたのだが、奴はなんと言ったと思う?」
「…え?…吉明様…?」
「奴は、自分は何もしていないのだと言ったのだ。褒美を与えるのであれば噴火を止めに行った妖らに与えよと。陰陽師ともあろうものが妖に褒美をあげよと、おかしなことを言う…。」
一呼吸おいて秀吉の視線が徳を向いた。
「…そしてこうも言っておった。…自分らをうまく使えと。…天下人となった儂の命なら逆らうことが出来ないから、何かあれば使われてやろうとな…。」
「…。」
「陰陽道を宮廷へ戻せという願いも可能であったのに、それは良いそうだ。今のやり方が性に合っているそうでな…。そう言って早々に肥前から去っていったわ…。」
徳は吉明のやりたいことが分からず戸惑う。宮廷から追い出されて豊臣秀吉のことをよく思っていなかったはずなのだ。それなのに、力を貸すような発言が理解できない。
「――そこでだ。」
秀吉の発言で徳は考えを中断する。ハッと秀吉を見上げると、真剣な表情の秀吉が徳を見つめている。
「――惣無事令を修正しよう。」
「…え?」
「前々から考えてはおったのだ。妖との軋轢をどうしようかとな…。近頃、人間の行き過ぎた妖への迫害や殺生のせいで、妖らが人々を襲い始めていおる。」
「え…。」
「今は惣無事令で大名間の私闘を禁じておる。そこへ、妖への無暗な殺生も禁じ、各々の分国法へ記載するよう国々に周知しよう。…これで民も、大名も妖を殺めることは出来ん。…しかし、すでに妖らは我々人間を襲い始めている。妖すべてを殺傷せよとの御触れを出すことも可能なものを、それを逆に、妖を殺してはならぬという指令を出すのだ。人々が妖を襲わなくなったことで逆に人々が傷つき、死することもあり得る。基本、妖の方が戦闘力に長けているからな。…これはとても重要なことだぞ?大谷徳姫よ。うまくいくと思うか?」
秀吉の鋭い瞳が徳を射抜く。徳は妖が人々を襲っているという事実さえ知らなかった。それなのに、簡単に妖を殺すなと、妖側だけの立場になって発言する徳を闇に指摘しているのだろうか。
人と妖が共存するなど無理だとはっきり言っていた太郎坊と吉明の顔が思い浮かぶ。しかし…――
「…やってみせます。…無責任かもしれませんが、人や妖が傷つくことは、初めのうちはあるかもしれない…。すぐにとは言えません。」
徳は掌をぎゅっと握りしめると、顔を挙げ、秀吉を見つめた。
「…5年、お待ちください…。5年で、日本全土、人も妖も、笑い合って過ごせる日々を創ってみせます。」
徳が湖に落ちて8年、父親の吉継は、越前国でさえも、妖と人間の共存は全土には及ばなかった。それを5年で日本全土とは無謀かもしれない。しかし、妖が人々を襲い始めているのだ。悠長にはしてられない。
秀吉の鋭い瞳は、未だ徳を射抜いたままだ。徳は逸らしてくなる視線をこらえ、その瞳を見つめる。
「……流石、吉継の娘と言おうか、…信繁を射止めた女子と言おうか…。相分かった…。だが、そなた身一つでは難しかろう。それに、妖を無暗に攻撃するなと言おうも、その妖の怪異に困っていれば、それらを対処してくれる拠り所は必須…。その対処は陰陽師にさせよう。それでよいか?」
「え…?」
「無論、陰陽師へもむやみな殺生を禁じるのだ。依頼は姫の所に来るようにし、陰陽師の采配も姫が行えばよい。陰陽師には対応した際の報告書を作らせる。それを姫は目を通す。…必要ならば姫も現地へ向かえばよい。そうだな…、妖総奉行所を敦賀城へ置くのだ。…これで陰陽師たちへも面目も立とう。」
「妖、総奉行所…。」
「あぁ。儂とて、今のままでは妖と人間の戦になるのではないかと危惧していたのだ…。惣無事令、近日中にも書き換えよう。」
◇◇◇
秀吉との謁見が終わり、徳と信繁は二人で話をしながら廊下を進んでいた。
「…よかったな。妖と人との共存へ大きな一歩が動いたんじゃないか?」
「はい!信繁様も協力していただきありがとうございました!あの…、信繁様のお願い事は良かったのですか?」
「別に…、あんたが手に入ったんだ。俺はそれ以外に欲しいものなんてない。先ほど言ったように、あんたの願いが俺の願いだ。」
「あ…、そうですか…。」
顔色も変えずに飄々とそう答える信繁に、徳は一人まごついた。しかし、徳は先ほどの秀吉との会話を思い出し、表情は暗くなる。
「…でも、問題は山積みです…。私自身、妖が人々を襲っていることも知らなくて…。」
「…これからあんたのもとには、知りたくもないような悲惨な現状を知らせる書簡が数多く届くかもしれないぞ…?…大丈夫か?」
信繁の心配そうな瞳が徳を見つめる。それ以外にも、妖を守ろうとすることや、自身が妖と人との混血だということで心の無いの手紙も届く可能性もあるだろう。きっと、それは彼も分かっている。
「…はい!大丈夫です!動かなきゃ何も始まらない。…私だけじゃ何年たっても解決できないようなことが、天下人の一声で、一気に妖への対応が変わるんです!その恩恵に報いなくては…。」
しかし、徳は自身に圧し掛かった重責を受け止め、笑顔で信繁を振り返る。
「陰陽師を頼るような形になのが少し気にかかりますが…、やり方はいろいろあります。連携方法とかを考えなくてはいけませんね。」
5年で日本全土で人と妖が共存できるようにすると言ったのだ。使えるものは使っていこうと徳は開き直る。
「信繁様もよかったですね。しばらく暇をいただけて!」
「…。」
「…信繁様…?」
先ほど、妖への殺生を禁じる法律を作ってくれるという話のほかに、信繁に対してゆっくり休むよう一か月ほど休みを頂いたのだ。だが、信繁の表情はなぜだか暗い。
「…はぁ…。…俺も妖たちが無暗に傷つけられることは望まない…。だから、惣無事令が改められることについては、異議はないが…。…あんたが傷つかないかが心配だ…。」
そう言いながら徳の頬を撫でる信繁。自然と二人の歩みは止まった。
「人は醜い…。悪いことが起きれば、他人のせいにしようとする…。その理由が己にあったとしてもだ…。頼むから一人で背負い込むな。何かあれば俺を頼ってくれ。」
「…はい…。」
「あと…、あいつと姫の接点が出来てしまったことも、つながりが出来てしまったことも不本意だ。」
「…へ?」
真剣な表情で言われた予想にもしないかった発言に、徳はうっかりと間抜けな声が出た。
「え…?あいつって…、よしあき…――。」
「姫?」
笑顔だがゴゴゴと黒いオーラが背後から溢れている信繁に、徳はハッと口を閉ざした。
「…姫。姫は俺の妻になるのだろう…?」
「えっ…、そ、そうですね…。あの…、」
なぜか距離を詰められ、徳は柱に背がついてしまった。そしてそっと顔の横に突かれた手によって逃げ場がなくなり、徳は冷や汗が垂れる。
(え?…なに!?…なんか地雷踏みましたか、私!?)
「ど、どうしましたか?ここ…、城内ですが…。」
「姫。静かに…。」
しかし、顎に添えられた手と、唇に触れた指で、制止をかけようとした徳の言葉は容易に封じられる。
そして、指がその唇から離れると、可愛いリップ音と共に額に柔らかな唇が落とされた。
「…簡単に隙を作るなよ…。」
「…え!?」
「…早く祝言を挙げたいものだ…。」
「…っ」
徳の戸惑いなど気にすることもなく、そのまま何事もなかったかのように、徳の手を引き廊下を歩く信繁。徳は朱に染まった顔を俯かせ、藤色の打掛の袖で隠しながらついていった。
「…信繁殿…最近性格が変わられました…?」
「…んー…、まぁ…。幸せそうで何より…。」
その2人の様子を屋根から見つめる忍の兄妹。空は晴れ渡り、春も半ば。日差しが強くなる肥前国名護屋城。雲雀が上空を自由に飛び回った。
文禄元年、後々文禄の役と言わた朝鮮出兵だったが、当初の予定よりも早めの終戦となった。そして同年、惣無事令が改められ、越前国に妖総奉行所が創設。その取締に抜擢されたのが、大谷徳という妖と人間の混血の姫であった。
◇◇◇
「政宗様。そろそろ船が出ます。戻りましょう…。」
「あぁ…。」
釜山の港、政宗は岩場の間から妙な気を感じてそこを凝視していた。この地での戦も終わり、日本へ帰る支度は出来た。心残りがあるわけでもないのだが、なぜかその場から離れるに離れきれない。
キラッ
「…っ!?」
その時、岩場の間から鋭い双眼が輝いた。
輝いた双眼は黒い影となって岩場から飛び出す。その黒い影は闇を広げ、大きな塊となって政宗らへ襲いかかった。
「…っ!!」
「うわっ!」
「どうしたっ!?」
「大丈夫ですかっ!?」
叫び声を聞いた人々が遠くから駆け寄る。しかし、黒い影は政宗らに襲い掛かったあと、一瞬にして姿を消していたのだ。まるで、夢でも見ていたかのよな状況に、政宗らは困惑する。
「あ、あれ?…今…」
「…。」
しかし、確かに黒い塊が襲いかかってきたのだ。
(…何だったんだ…?)
――ズキッ
「うぅ!」
「政宗様っ!?」
「大丈夫ですかっ!?」
急に政宗の右目に激痛が走った。右目と言えど、政宗のそこは遠い昔に刳り出され何も入っていない。しかし、その場所が痛むのだ。変化が現れたのは政宗のみのようで、共にいた兵は、駆けつけた人々と共に焦った様子で政宗に声をかける。
「…はぁ…、っ!」
「「政宗様っ!!」」
ついに政宗はその場で倒れこんだ。
ひとまず、第二章はこれで閉じたいと思います。
私の妄想にお付き合いいただきありがとうございました。
第三章は政宗がたくさん出てくる予定です。そして第一章に出てきたあの人も…。
また第三章もお付き合いいただければ幸いです♡




