32話 野本の湧き水 山笑ふ
◇
――姫…
――…大谷の姫…
柔らかく、心地よい声色で名を呼ばれ、徳は意識が浮上する。
「…ん…。」
「姫?気が付いたか…?」
「…っ!?」
徳は息が止まる。サラサラとした綺麗な栗色の髪を風に靡かせた美少年の顔が、自身を見下ろすような形で間近にあったからだ。誰しもが驚くであろう。こんな美しい顔が目の前にあれば。
「…なっ!ちょっ!…えっ!?…と、とりあえず、離れてくださいっ!!」
「……。」
信繁は徳を上から覗き込む様な姿勢はやめ、しぶしぶ上体を起こした。徳は急いで起き上がり周りをきょろきょろと見渡す。
「…え?…んんっ!?」
先ほどまで見ていた景色とは全然違う。確か火砕流に飲み込まれ、熱と真っ黒な煙に囲まれていたはずだ。しかし、今徳の視界に映るのは真っ黒な煙ではなく、木々が全く生えていない更地だった。
「…俺も驚いた。すべてを吸い込んだと思えば、山さえも自分を吸い込むように崩れたからな…。」
「…崩れた…?」
「あぁ…。急に足場がなくなりに宙に浮いた。あれは驚いたな。…それに、あんたも意識を手放すし…。」
「え…?…あ…。」
(…確かに…。妖力を思いきり注いだ後から覚えてない…。確か、…あの時…。)
「あ!そうだっ!太郎坊と二郎ちゃんはっ!?」
(…そう!あの時、妖力が一気に消耗していったんだっ!それで、もっと妖力を注がなきゃと思って…!)
「……それが…、俺もまだ見ていない…。見渡せる範囲で、妖力を探ってみたんだが…。」
「…!?……噴火は…、止まったんですか…?」
「…あぁ。…おそらくな。…姫も目が覚めたことだし、もう少し辺りを探してみよう…。立てるか?」
信繁に差し出された手に、素直に応じる。立ち上がると思いのほか足に力が入らない。妖力を失い過ぎたのだろうか…。早く探しに行きたいというのに…――。
「…あの二人は天狗だ。そう簡単に死ぬことはないだろう。」
「…はい…。…うわぁ!」
徳の表情と震える足を見て、信繁は何も言わずに徳の身体を抱き上げた。
「ちょっ!…信繁様っ!降ろしてくださいっ!!」
「だが、その足では歩けまい。」
「大丈夫ですっ!」
「あんたの大丈夫は信用ならん。」
「なっ!?」
縦に抱き上げられたことで信繁よりも視界が高くなり、普段とは違い信繁を見下ろす形になり、徳は落ち着かない。そもそも抱き上げられていること自体が落ち着かないのだが…――
どうにか降ろしてもらおうと徳が信繁を説得していると、足元から僅かに何かが動く音が聞こえる。
「…今…。」
「あぁ…。何か音がしたな…。」
ごそっ
「「…?」」
ごそっ
ごろごろっ
「っぷはっ!!」
「え?た、太郎坊っ!?」
「…死っ死ぬっ!!」
「大丈夫っ!?なんでそんなところからっ!?」
「良いから、引き上げてくれっ!!」
土の中から現れたのはなんと、太郎坊と二郎坊だった。信繁はしぶしぶ徳を地におろし、太郎坊の身体を地面から引き上げた。その太郎坊に小脇に抱えられていた二郎坊は完全に伸びている様子だ。
「…はぁ…はぁ…。助かった…。」
「よっ…、良かったー!太郎坊も二郎ちゃんも無事でっ!…今、二人を――、」
「無事っていうか、お前の力のせいで死にそうになったわ!」
「…へ…?」
安堵に涙を浮かべながら二人との再会を喜んでいた徳だったが、太郎坊に急に怒鳴られ、目が点になる。
「お前の力が強すぎて、火砕流や溶岩流が山へ戻る働きが暴走したんだよっ!俺たちまで山の核に吸い込まれそうになったんだけど!」
「…え?山の核…?」
「目覚めた張本人。絶っっっ対!お前なんか祈っただろ!?それでお前の妖力が自発的に動いて、山の核と一緒にすべてを回収し始めたから、俺らも核に吸い込まれるとこだったぞ!」
「え?…どういう…?」
「だから、お前の力が山の核と同調してっ…!……はぁ…。もういいわ。とりあえず、お前の妖力を抑える方が疲れた…。」
「…え…、うん?…ごめんね…?…えーっと、大丈夫?」
「もういい。…やっぱりお前の力は馬鹿みたいに多いんだなってのが分かった。」
「え?それどういうこと?」
徳の疑問に応えることなく、太郎坊によって会話は強制終了された。太郎坊は徳の発言を無視して二郎坊を揺すり起こす。
「う~…。」
「ほら、二郎坊。仕上げはお前がするんだろ?」
「…あれ?ここどこ?」
「さっきの山だ。」
「んん~?…地から感じる力は同じっぽいけど…、見た目が全然違うよ?…あれ?俺ら溶岩の中に居なかったっけ…?噴火止まったの?噴火を止めたらこうなるの?」
二郎坊は目をこすりながら質問が滝のように口から流れ出ている。
「……溶岩から出てきた。……あと、噴火を止めても普通はこうはならない。今回がおかしいだけだ。」
「?何で?」
「天女様の妖力が馬鹿みたいにでかかったからな。天狗の力じゃこうならない。」
「……。」
「もういい」と言っておきながら、疲労からか嫌味を言ってくる太郎坊。しかし、彼らが死に物狂いで頑張ってくれたのは確かだ。徳はぐっと押し黙り、気持ちを切り替えて太郎坊へ声をかけた。
「…ごほん。…仕上げって?」
「…このままだと山が本来の機能を取り戻すのに時間が掛かってしまうからな…。」
「天狗は山を、動植物を守るんだよっ!」
明るくそう言い放った二郎坊は元気よく起き上がると、大きな扇をボンッと現した。その表情はとても生き生きとしている。
「――…そーーれっ!!」
扇で宙を仰ぐ。
すると、土や岩肌のみの殺風景だった景色に、どんどんと緑が生い茂り、菜の花やタンポポ、撫子など、色鮮やかな春の花々が咲きだした。
「…わぁ…。」
「…美しいな。」
「はい…。」
目の前に広がる眩しいぐらいの景観に思わず徳は感嘆の声が漏れた。
「…流石に木々は無理だが…、時間をかけてそれは山が自分ではぐくむさ…。」
「あれ?」
「…?」
「おれ、これは作ってないけど、元々あったのかな?」
「…。」
これ、と二郎坊が指さすのは、先ほど二郎坊と太郎坊が出てきた地面の穴だ。そこから水がコポコポと湧き出てきている。
「というか、この穴なに?」
「…お前は知らなくていい。」
「…?」
「噴火が収まって山が殆ど消えたんだ。噴火の力が恵の水へと変わったんだろう…。この湧き水が川になるか、木々をはぐくむ命となるか。今後が楽しみだな。」
「うん!とりあえず、5年後に見に来る!」
「10年後でもいいんじゃないか?」
「だって、俺が初めて一から育てる山だもん!」
「…そうだな…。」
(――10年後、か…。)
笑顔で話す天狗たちの会話を聞き、徳は自身の将来に思いを馳せる。
「…大谷の姫…?」
「…?」
「…どうした?難しい顔をして…。」
「え…、いや…。……ふふっ…。相変わらず鋭いですね。」
毎度毎度心の中を覗いているのかと聞きたくなるほど鋭い相手に、思わず徳は笑ってしまった。
「…そういえば、…陣屋へ帰ったら、話がある…。鈴についてだ…。」
「………はい…。」
徳はドクンと跳ねた心臓を落ち着けるように、胸の前に両手を当てた。
(…ちゃんと…、話をしよう…。)
――よくよく考えると、確信もないのに一人で必死に藻掻いていた…――
…信繁様は鈴ちゃんが好きなの…?
…本当に、私と婚姻してしまってもいいの…?
…鈴ちゃんは、私のことどう思っているの…?
――悪役令嬢になりたくないって、本人たちの意見を聞かないで…、…自分一人行動して…
家康に攫われ、人々から恐怖の目で見られ、もしかしたら死んでしまうのではという状況に立たされ、やっと自分自身を振り返れた…
(……から回っているな…。…佐助さんの言うとおりだ…。)
徳は信繁、そして鈴のことを思い浮かべる。真剣にぶつかってきてくれる二人。
(…ちゃんと本音でぶつかろう。…どんな言葉も受け止めよう…。――…それからだ。今後のことを考えるのは…。)
徳は不思議そうに見つめてくる信繁へ微笑んだ。
しかし、目の前の信繁の表情は焦り顔だ。
(…あ…。)
信繁が何かを叫んでいるのが分かるが、何を言っているのかが分からない。
再び、徳の意識は遠のいた。




