第五話 伝記、没収される
入学二日目のホームルーム。
高校生活二日目とはいえ、まだお互いのことをよく知らない者同士だ。クラスメイトたちは距離感を探り合っており、教室にはどこかぎこちない空気が漂っていた。
そんな中。
「みんなおはよう」
「お、おはようございましゅッ!」
教室へ入った瞬間、阿井は盛大に噛んだ。反射的に口元を押さえる。
(やっちゃったぁ……)
昨日と同じ失敗。また笑われるかもしれない。そう思って身を縮こませる。
しかし――。
教室は妙に静かだった。誰も笑わない。それどころか、何人かは気の毒そうな視線を向けている。中には小さく手を合わせている者までいた。
(⁉︎ な、何でぇ⁉︎)
まるで不幸な事故の被害者を見るような反応である。確かに噛んだ。だが、そこまで同情されるほどだろうか。
阿井には全く心当たりがなかった。もっとも、原因ならすぐ隣にいた。
「阿井紬」
「ひゃい!」
「今日は登校中に俺について学べて幸運だったな」
「そ、そうかなぁ……」
藍川秋冬である。
校門で声を掛けられた流れで、結局二人はそのまま一緒に教室へ向かうことになっていた。
その様子を見ていたクラスメイトたちは、阿井が朝から藍川に捕まっていたことを知っている。
だからこその憐憫だった。
(みんな優しい……じゃなくて助けてよ!)
心の中で叫ぶが当然伝わらない。
藍川との関係は教室でも続く。出席番号一番と二番。席は前後だった。つまり、逃げ場はない。
「不思議な気分だな」
藍川が前方を見つめながら呟く。
「俺の前に誰かがいるとは」
「出席番号だから仕方ないと思うよ……」
阿井は苦笑した。
「変わろうか?」
「……いや、遠慮しよう」
藍川は首を横に振る。
「ナンバーワンの証明は実力で示すべきだからな」
「そっか……」
(誰か助けてぇ)
まだホームルームすら始まっていない。だというのに阿井はすでに疲労困憊だった。登校中、藍川は延々と自分の素晴らしさについて語り続けていたのである。
昨日は伝記。
今日は本人による朗読会。
しかも無駄に声が良いせいで妙に耳に残る。何とも迷惑な才能だった。
そんな阿井の願いが届いたのか。
「おはよう。ホームルームを始めるから席に着いて」
担任の鈴木教諭が教室へ入ってきた。阿井は今日初めて救われた気分になる。
「昨日も伝えたけど、今日の流れを説明するよ」
本格的な授業が始まるのはもう少し先。校内案内に校則説明。委員会決めや部活動紹介など、しばらくはオリエンテーションが続くことになる。
そんな説明が一通り終わると、鈴木教諭は小さく息を吐いた。
むしろここからが本題だったのかもしれない。
その視線は真っ直ぐ藍川へ向けられていた。
「藍川君。朝、校門で何をしていたんだい? 他の先生から苦情が来ているよ」
「……失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「君の担任だよ」
「なるほど」
藍川は素直に頷いた。
だが次の瞬間。
「ちなみに学校関係者以外の立ち入りは禁止されている。気を付けた方がいい」
「だから担任だってば!」
鈴木のツッコミが教室に響き渡った。教師生活二年目。ここが彼の正念場かもしれない。
「……それで、何を配っていたんだい?」
「俺の伝記です」
「没収」
「何だと⁉︎」
一連の流れのどこに驚く要素があったのか、鈴木には分からなかった。だが、それは藍川も同じらしい。
何故、この素晴らしく美しい『藍川秋冬伝記』が没収されなければならないのか、全く理解できていなかった。
「校則に伝記の配布を禁ずるという文言はありませんでしたが」
「伝記なんて配る生徒がいるわけないでしょ」
「……無料ですが」
「無料でもダメなものはダメ」
「何だと⁉︎」
まるで有料だったら問題ないと言われたかのような反応だった。
当然、そんな意味ではない。
「とにかく、伝記はダメ。学校の許可なく何かを配るのもダメ。分かったかい?」
「二巻も予定しているのだが」
「に、二巻? まだあるのかい……ちなみにどんな内容なんだい?」
「二巻は阿井紬との激闘編だ」
「いつ戦ったの⁉︎」
阿井が思わず立ち上がった。
当然である。本人の知らないところで激闘編が始まっていたのだから。
「昨日の自己紹介だ」
「一方的に見られてただけだよ⁉︎」
ナチュラルに巻き込まれる阿井。
鈴木の記憶では、阿井は大人しく控えめな生徒だったはずだ。しかし入学二日目にして変人の伝記へ出演が決定している。
さっそく悪影響が出始めているのかもしれない。
「そこまで言うなら、ちょっと貸してみてよ」
「構いませんよ。これは贈呈します」
「あ、ありがとう……」
鈴木は『藍川秋冬伝記』を受け取り、ぱらぱらとページをめくった。
やけに作り込まれている。
表紙から本文まで無駄に完成度が高い。業者に依頼したと言われても信じてしまいそうだった。
これを何部も刷っているのだから驚きである。
『生後六ヶ月。自らの美しさを理解した俺は鏡と対話を始めた』
「いや怖いな」
「俺も自分の美しさが恐ろしいです」
「没収」
「何だと⁉︎」
教室のあちこちからクスリと笑い声が漏れた。
やり取りをしている本人たちは至って真面目なのだが、傍から見ている分には妙に面白い。
「藍川君って毎日こんな感じなの?」
「らしい」
「大変だな、阿井さん」
「本当にね……」
何故か藍川とのセット扱いになっている阿井。本来なら異議を唱えたいところだ。
だが、まだクラス全員の前で堂々と意見を言えるほどの勇気はなかった。だから小さくため息を吐くだけに留める。
入学二日目にして、変人優等生の相方ポジションが定着しつつある気がしてならない。
(あれ……みんな少し打ち解けてる?)
この時期にクラスが硬いのは普通だ。少しずつ会話を重ね、時間をかけて距離を縮めていくものだろう。……阿井には無縁かもしれないが。
だがA組は違った。入学二日目とは思えないほど空気が柔らかい。
先ほどまで静かだった教室にも、ちらほら笑い声が混じっている。
(なんでだろう……?)
阿井は首を傾げる。視線の先では鈴木と藍川の攻防がまだ続いていた。
「だから伝記は没収だ」
「言論統制では?」
「違うよ」
「では文化活動の弾圧か」
「もっと違うよ」
鈴木は額を押さえた。そして大きく咳払いをする。
「はい、この話は終わり!」
教室の空気が少し引き締まる。
「今日はいろいろ説明があるけど、その中でも大事なのが部活動紹介だ」
高校生活において部活動は大きな要素の一つである。運動部に文化部、生徒会や同好会。
どこに所属するかで高校生活は大きく変わる。
「午後から体育館で上級生による部活動紹介がある。興味のある部活はしっかり見ておくように」
その言葉に教室が少しざわついた。
期待に胸を膨らませる者。
すでに入りたい部活を決めている者。
まだ何も考えていない者。
反応は様々だった。
「ちなみに俺は――」
藍川が立ち上がる。嫌な予感しかしない。
「部活動を創設する予定だ」
「はい座ってね。……ちなみにどんな?」
「『藍川研究会』だ」
「解散して」




