第二十話 藍川秋冬の素晴らしい日常
藍川秋冬の朝は早い。太陽の日差しを感じる前に起床してシャワーを浴びる。頭と身体に一日の始まりを理解させるのに効率的だからだ。
「今日の俺も素晴らしいな」
鏡に映る藍川は誰よりも藍川だった。水も滴るいい男という言葉を残した者は天才かもしれない。
「ふむ……」
美しい顔に鍛えられた肉体。運動も勉強もトップの実力。朝から実に素晴らしい。俺が俺であることに感謝しよう。
そんなことを考えながら、世界情勢を確認する為にスマートフォンを手に持つ。画面には沢山の通知が届いていたが、その中にはメッセージアプリの内容も含まれていた。
グループ名:藍川秋冬、阿井紬、彩乃
最近追加されたグループチャットだ。阿井紬と、彩乃という正体不明のユーザーが会話している。俺は必要最低限しか発言していない。
「阿井紬は分かるが……この彩乃は何者だ?」
そもそも阿井紬と連絡先を交換した記憶はなかった。学校で接点はあるのだから、態々学校外で連絡を取り合う必要もないと考えていた。
よく分からないが、今のところ実害もないため放置している。この不明なユーザーをどう扱うべきか。俺の個人情報は何よりも価値がある。だから流出しないよう常々意識していたのだが、中々思うように進まない。
「まぁ、いいか。面倒なら退会すればいい」
ルーティン通り、トレーニングに励み、学力強化を図り、資産の確認に朝食と弁当の準備。……やはり俺は素晴らしいな。
準備を終え、いつも通り登校する。教室へ入ると――左奥の前から二番目が藍川の席。ナンバーワンでないことは惜しまれるが、今は割り切ろうじゃないか。
「おはよう藍川君」
「ああ、おはよう阿井紬」
永遠のライバルである阿井紬は本を読んでいた。最近は執筆にも積極的に取り組んでいる。俺の見立てでは、いずれは出版デビューもあるだろう。さすがは好敵手である。
「阿井紬。少し確認したいことがある」
「? どうしたの?」
スマートフォンを見せる。その画面は件のグループチャットである。つい先程も会話していたのか、チャットが増えていた。
「この彩乃という人物は何者なんだ?」
「何者なんだって……月城さん、月城彩乃さんだよ」
「何だと?」
月城。最近視界に入ることが多い人物である。
「阿井紬の友人か。B組所属の」
「違うよA組だよ。毎日お話ししてるよね?」
朝に休み時間に放課後にと。A組に現れる阿井紬の友人。毎回律儀だなとは思っていた。距離的に考えて隣のB組所属だと予想したが違うらしい。
「……もう直ぐ四月も終わるんだけどな。せめてクラスメイトの顔と名前くらいは覚えようよ」
「ふむ……」
興味のないことは記憶から消すように習慣付けている。何故なら記憶するべきことは多くあり、いかに素晴らしい俺でも時間という制約には敵わないのだ。
周囲を見渡してみる。机全ては埋まっていないが、ホームルームを前に登校しているらしい。事前に得た情報通り、真面目な生徒が多い。
「確かに、見た顔が多いな」
「毎日見てるからね」
「なるほど。同じ通学路なのか」
「クラスメイトだよ!」
おかしいとは思っていた。月城以外にも毎回見る生徒がいるなと。
俺を見ている割に声を掛けてこない。ファンとしては控えめだなと思っていた。……そうか、同じクラスだったのか。
「ほら、あの人はクラス委員長の田中さん。あっちは弓道部の石崎君」
「詳しいな。阿井紬の友人か?」
「話したことはほぼないよ。でも、いつでも準備はしておかないと」
ふんぬと意気込んでいる阿井紬。
「話したこともない相手を覚える意味はあるのか?」
「意味があると嬉しいな」
藍川にその気持ちは分からないが、やる気があるのはいいことである。
阿井紬は出会った頃から少し変わった。周囲を必要以上に気にして何かに怯えていた。——強いものを持っているのにもったいないと思った……無論、俺には劣るが。
今でも怯えはあるが、外に対する興味を抱いていることが伝わってくる。執筆活動が影響を与えたことは間違いないだろう。
「おはよう、阿井さんに藍川君」
「おはよう月城さん」
「おはよう」
阿井紬の友人である月城が現れる。話によると彼女はユーザー名:彩乃の中身でありA組所属らしい。自称ではなく他称かもしれないが、美少女として扱われている人物だ。詳細は知らない。
「……藍川君。何か失礼なこと考えてる?」
「いや、特に何も。俺には遥かに劣ると分析していた」
「失礼なことしか考えてない⁉︎」
月城。
最近阿井紬に絡むことの多い人物である。……それ以外は特にない。容姿は優れている方なのだろう。無論、俺には及ばないが。人気者だとしてもコミュニティから抜ければただの個でしかない。
「月城さん、藍川君を気にしすぎたら一日もたないよ」
「苦労人みたいなコメントだね」
ただ、行動力はあるのかもしれない。他者へ壁を作りやすい阿井紬が多少まだ固いが会話できているのだから。A組というコミュニティ単体で見れば、月城のような人間は評価に値するかもしれない。
「そう言えば藍川君はチャットは苦手? あんまりコメントがないから」
「俺に苦手なものはない。彩乃という不審者を注視していただけだ」
「不審者じゃないよ! それは月城彩乃。私だよ」
「ああ、先程阿井紬から確認が取れた」
「朝から何の話をしてるの……」
一般的な学生生活を送るなら、クラスの団結は必要なのだろう。様々な考えを持つ他人が集まり同じ教室で勉学に励むのだ。月城の存在は一般的な考えならありがたく感じることだろう……俺には関係ないが。
阿井紬は受け身ではあるが、他人との関わりを夢見ている。一方の月城は阿井のような孤立した存在に手を差し伸べる。……なるほど、二人は相性が良いのだろう。互いの求めるものが一致している。
「もう一つ気になったんだけど、藍川君のアイコンって何?」
「俺の後ろ姿だが」
「……顔じゃないんだ」
「本物の俺を知りたければ背中を追え」
「何か格好良いこと言ってるけど意味は分からないよ」
クラス委員の田中は真面目。弓道部の石崎は明るい。阿井紬は創作の才能がある。月城は最近になって実在が確認された人物だ。
A組には他にも生徒がいるが、はっきりとした違いは分からない。
別に覚える気がないわけではない。ただ、人の名前や顔というものは放っておいても勝手に増えていく。
増えるばかりで、残ることは少ない。だから本当に必要なものだけ覚えればいい。
「藍川君?」
「どうした?」
「また変なこと考えてた?」
「いや。A組の生徒は意外と多いなと思っただけだ」
「え、今さら⁉︎」
「知らなかったのだから仕方ないだろう」
「開き直らないでよ……」
月城が頭を抱える。阿井紬も呆れたようにため息を吐いていた。
クラスメイトを覚えていなかったくらいで、俺の価値が損なわれるわけではない。俺はいつも通り俺である。誰がどう見ても藍川秋冬なのだ。
だが――
少しだけ騒がしい今のA組は嫌いではなかった。




