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泣いた理由? 俺が美しかったからだ  作者: 塚上


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第二十一話 逃げた理由

 四月も終わり、初夏が近づいていた。日に日に気温が上がり、運動部が活発になる頃。放課後の教室にはキーボードを叩く音が響いている。阿井は真剣な表情でノートパソコンへ向かっていた。


 まだ不慣れでタイピングはおぼつかない。授業くらいでしか使ったことのない阿井はパソコン初心者だった。


 これまでの阿井なら向いていないと直ぐに投げ出していたことだろう。パソコンに拘ることはない。スマホでも執筆しているし、原稿用紙という選択もある。それでも不慣れなパソコンを選んだのは友達からのアドバイスだった。


『藍川君って普段何で執筆してるの?』


『パソコンがメインだな』


『……効率がいいから?』


『それもあるが、妥協は許されないからだ。片手間に進めるのではなく、しっかりと向き合う』


 スマホで書くのも悪くないと藍川は話す。だが執筆をするならそれ以外の情報に惑わされたくはない。だから俺はパソコンだと淡々と述べていた。


『俺には俺のやり方がある。阿井紬はパソコンが苦手ならスマホが良いのだろう』


『……そうだね』


『ただ、この先の人生でパソコンに触れる機会は多くあるだろう。なら先行投資という意味合いで始めるのも悪くない』


『! う、うん、そうだよね』


 父親が昔使っていた古いノートパソコンがあった。それを譲ってもらい執筆を始めたのが最近である。もちろん、藍川のアドバイス通り、バックアップも抜かりなく行なっている。


 あれ以降、例の女子生徒たちからの接触はない。偶然阿井の視界に入ったことがあったが、こちらを見た途端に早足で去って行ったのだ。……何でだろう。

 あの出来事は悲しい記憶だった。もう二度と同じことが起きてほしくはないと思う……ただ、嫌な記憶だけで終わらなかったのも事実だった。


 文芸部というつながりを再認識できた。執筆活動を通じて月城とも少し仲良くなれた。——そして、藍川に救われた。あの時、自分一人だったらきっと立ち直れなかった。


 普段振り回されることは多いが、そこに悪意はない。自分の考えを述べつつ、時に諭すような言葉をくれる。それが嬉しかった。


 中学時代は友達がいなかった。だけど今は藍川に月城、文芸部。A組のクラスメイトとも少しだけなら話すことができた。今までにない変化が起きている。そう思えるだけで、高校へ入学して良かったと思えた。


「順調か阿井紬?」


「う、うん少しだけ」


 後ろの席から聞こえてくる声に意識が傾く。藍川である。


 阿井が教室に残っているから、藍川もいる……というわけではない。藍川は誰かに合わせて行動する人間ではない。自分の思うままに動いているように見える。


 ただ、それだけではないことも阿井は知っていた。


「そうか。精進するといい」


「はいはい……藍川君は順調?」


 藍川は自席で写真の整理をしているらしい。スマホで撮ることもあれば本格的な一眼レフも持ち出すのだとか。何でも無駄にできるのが藍川秋冬なのだ。


「カメラの実力が追いついていないな」


「もう、何それ」


 ちょうど切りが良かったのでパソコンを閉じて振り返る。藍川の席には沢山の写真が並べられていた。


「見てもいい?」


「当然だ。これは藍川秋冬のベスト写真集だからな。完成したら阿井紬にも見せてやろう」


「はは……考えとくね」


 手前にあった一枚を手に取る。真っ暗な闇夜に瞬く無数の星空。まるでプラネタリウムのような一枚だった。


「す、すごい……これ藍川君が?」


「そうだ」


「ほへぇ……」


 高校生が撮影したものとは思えない出来にため息が出てしまう。綺麗な海に真っ白な雪原、緑の山々。どれも素晴らしいとしか言いようがない。


「なんだかプロみたい。じゃあ次は……えぇ?」


 風景の次は藍川だった……藍川の自撮りオンパレードである。空を見上げる藍川に釣りをする藍川、走る藍川に跳躍する藍川。……藍川が多すぎる。しかもどれもモデル顔負けのベストショット。何だか阿井まで悔しくなる。


「ねえ、これは何?」


「俺の目だ」


「……何やってるの」


 ドアップの藍川の目。どんな自己表現だと引いてしまう。自撮りがダメだとは言わないが、せっかくカメラの腕前があるのだから、もっと色々撮ればいいのにと思う。


「あ、この夕陽綺麗だね」


 藍川自撮り集に紛れていた一枚の写真。校舎をバックに沈む夕陽がとても目を引く。


「あの日に撮影したものだな」


「あの日?」


「真田が俺に敗れた日だ」


 プロ注目の真田。一年生ながら野球部のエースと呼ばれているすごい人である。……部活体験で藍川が無双した相手でもある。阿井は野球の知識に乏しいが、真田が活躍している噂も耳にしているし、そんな人物相手に暴れた藍川には引いていた。


「あれ、二人ともまだ残ってたんだ」


 教室に入ってくるのは月城だった。最近話すことが多く、チャットでもやり取りをしている。人気者の月城が何故阿井に話しかけてくれるのかはよく分からないが、嬉しいことに違いはない。


「俺の軌跡を辿っていた」


「辿ってないよ」


「仲良しだね」


 藍川には認識されない、別クラスだと思われる、架空の人物だと誤解されるなど散々な月城。それでもめげずに立ち向かうことで、最近やっとクラスメイトとして認識されている。


「真田君の話をしてたんだ」


「真田君? 仲良いの?」


 前にあったことを改めて月城に説明する。噂には聞いたこともあったようだが、実際に当事者に聞くとまた違った感想を抱くらしい。


「うわぁ、藍川君らしい……」


 阿井は少しだけ頬を膨らませた。やらかしたのは藍川なのに、何故か自分まで同類扱いされている気がする。だが月城は気になることを口ずさむ。


「その真田君なんだけど」


 月城は少しだけ表情を曇らせた。


「最近、様子が変だって野球部内でも話題になってるんだって」


 真田は隣のB組。月城も仲が良いわけではないらしいが、幅広い人脈から色々と話が流れてくるようだ。


「様子が変?」


 阿井は首を傾げた。真田と直接話したのは一度だけだ。それでも、野球に対して真っ直ぐな人だという印象は残っている。


「怪我とか?」


「違うみたい」


 月城は少し考えるように言った。


「むしろ結果は出してるんだって」


「結果?」


「試合でも活躍してるし、監督からの評価も高いらしいよ」


「じゃあ何がおかしいの?」


「それがね」


 月城は困ったように肩を竦めた。


「本人が全然楽しそうじゃないんだって」


 プロが注目するくらい実力があって、実戦でも結果を残せて才能もある。それで何が楽しくないのか阿井にはよく分からなかった。ただ、周囲から見てそう映るのなら余程なのだろう。


「……好きだから続けるじゃダメなかな?」


 阿井の素朴な疑問に、月城は首を傾げる。


「好きでも悩むことはあるんじゃない?」


「そういうものかな……」


「ある」


 不意に藍川が口を開いた。


 珍しく会話に加わったことに、阿井と月城は同時に視線を向ける。


「努力が結果に結び付かないこともある。逆に結果が出ても満足できないこともある」


「へぇ、藍川君がそんなこと言うんだ」


「当然だ」


 藍川は写真を一枚手に取った。


「この写真もそうだ」


「写真?」


 艶やかな夕陽が沈む直前、もうそこまで夜が迫っているような写真である。


「周囲は褒める。だが俺は納得していない」


「十分すごいと思うけど……」


「それは阿井紬の感想だ」


 藍川は平然と言った。


「俺の理想には届いていない。俺ならもっと先へ進めるはずだ」


「な、なるほど……」


「結局のところ、自分が納得できるかどうかだ」


「相変わらず哲学者みたいだね」


 月城が苦笑する。


「つまり真田君もそんな感じ?」


「知らん」


「知らないんかい」


 藍川は真田のことを覚えていた。だからもっと反応するのかと思っていたが、興味がなさそうである。


「野球部を辞めるって噂もあるんだって」


「そんな……」


 思った以上に状況は悪いのかもしれない。だからといって阿井達にできることは少ない。そもそも友達でもなく、知り合い程度の関係性でしかない。本来ならこうして心配すること自体がお門違いなのかもしれない。


 ——それでも。


 あの真っ直ぐな瞳が曇ったままでいてほしくないと阿井は思った。




****




 放課後の廊下。昇降口へ向かう途中だった。


「今日は早いんだね」


「写真集製作の相談があるからな」


「そんな理由ある?」


 普段通りの会話をしていた時だった。前方から歩いてくる男子生徒がいる。


「……あれ、真田君?」


「補習でもくらったか?」


「違うと思うけど……」


 その時だった。


 真田は藍川と阿井を視界に捉えた瞬間、反射的に踵を返した。そして逃げるように走り去っていく。


 阿井は思わず立ち止まった。


「な、何で逃げたの?」


「さあな」


 藍川は本当に興味がなさそうだった。だが阿井は気になってしまう。今日の真田は、部活体験で会った時とはまるで別人に見えていた。

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