第十八話 守れたもの
翌日。月城は自分の席で悩んでいた。
仲良くなりたいと思ったものの、実際のところ、どういう風に話しかければいいかのか分からなくなったのだ。
中学デビュー当時は、様々なシチュエーションを想定して、振る舞いを意識しながら立ち回った。結果的に自然に人が集まるようになり友だちも増えたのだ。
今思えば自分から友だち作りに走った記憶はないかもしれない。気が付いたら輪の中心にいる。それが月城だったから。
(……友だちになってください? なんか告白みたい)
小学生ならともかく高校生でそれをやるのは難しい。かといって、待っていたところであちら側からの接触は絶対にない。阿井の性格なら基本は受け身だろうし、藍川に至ってはそもそも認識されていない。
(いやいや、落ち着いて。芸能人に声をかけるわけじゃないんだから)
クラスメイトに話しかけるだけ。別に何もおかしくはない。これまでも普通にやっていたのだ。
そう自分に言い聞かせて歩き出す。
阿井は自席で何かを書いていた。かなり集中していることが分かる。机に向かう横顔は真剣そのもので、昨日泣いていた少女と同一人物には思えなかった。
(……頑張ってるな)
予想通り藍川が何かフォローしたのだろう。この様子なら問題ないのかもしれない。……もちろん楽観視はしていない。心の傷がそう簡単に癒えないことを月城は知っている。
藍川はまだ登校していないらしい。阿井の後ろは空いていた。……別にいたらダメということはないが、ハードルが高すぎるのも問題だろう。先ずは阿井から攻略しなければ。
原稿用紙と向き合う姿に少しだけ見惚れてしまう。凝視しすぎたのか阿井の視線がこちらと重なる。
「ひゃっ⁉︎」
阿井がビクッとなる。どうやら月城の存在に気付いたらしい。……驚くのはこちらも同じだった。
「ど、どうしたの?」
「い、いや、あの、見られてたので」
……まあ確かに誰かに凝視されていれば驚く気持ちは分かる、分かるのだがそんなに驚かなくてもいいのにと内心思う。
「何か、してしまいましたか?」
「何もしてないよ。おはよう。ただの挨拶だよ」
「お、おはよう……」
何故かこの前より距離を取られている気がした。クラスメイトに敬語で会話されるのは初めてだった。
(……私の顔が怖いだなんて有り得ないし。今日も可愛いんだけどな)
みんなの人気者だからといって、完璧ではないということか。阿井のようなタイプだと気後れしてしまうのかもしれない。……次からは気をつけよう。新たな学びだ。
「ごめんね急に話しかけて。迷惑だったかな?」
「う、ううん、そんなことは……」
俯きながらキョロキョロと視線だけを動かしている……これは藍川が来るのを待っているな。
この前までの月城ならモヤモヤしたかもしれないが、今はその仕草が少し可愛く感じてしまう。
「最近それ、よく書いてるなって思ったの」
「み、見てたんですか?」
「みんな知ってるよ? それだけ一生懸命なんだから」
「あうう……」
恥ずかしいのか顔を赤くする阿井。没頭したら周りが見えなくなるのは、いかにも阿井らしい。
「完成したの?」
「う、うん。今は最後の手直しをしてて」
——良かった。本当に良かった。一時はどうなることかと思ったが、阿井は最後までやり遂げたらしい。ずっと見てたよ……なんて気持ち悪いことは言えないが、祝福したい気持ちが自然と出ていた。
「おめでとう」
「あ、ありがとうございます?」
「どうして疑問系なの? ふふ、阿井さんは面白いね」
首を傾げる阿井。彼女の立場からすれば、関わりのないクラスメイトにお祝いされるなど、考えてもいなかったのだろう。
「その作品は誰かに見せるの?」
「ぶ、文芸部のみんなに……」
それと藍川君にも、と小さく呟く阿井。近くにいた月城でなければ絶対に聞き取れなかった。ニマニマしてしまいそうになるがグッと堪える。人間関係は第一印象が大事。気持ち悪い子と思われるわけにもいかない。
「そっか……じゃあよかったら、私にも見せてほしいな」
「え、えぇ⁉︎ つ、月城さんに!」
「そんなに驚かなくても」
「だ、だって、天下の月城さんですよ。私みたいな影の住民に話しかけてくれるだけでも奇跡なのに」
思った以上に美化されていた。だからあの距離感だったのか。……これは正していかなければ。
「大袈裟だよ。同じクラスメイトでしょ?」
「そ、そうだけど」
「もちろん無理強いはしないよ」
「いえ……嬉しい、です。ありがとうございます」
控えめながらも嬉しさを噛み締めている阿井。何だか自分まで嬉しくなってしまう。
「こちらこそありがとね。時間がある時でいいからよろしくね」
ここで会話を切り上げる月城。最初からグイグイ行き過ぎるのも逆効果である。少しずつ、着実に攻略しなければ。
他のクラスメイトと談笑していると、藍川が教室へ入ってきた。今日も無駄にキラキラしているなと思いつつ視線で彼を追う。行き先は自分の机、つまり阿井のところである。
「あ、藍川君おはよう!」
「……おはよう。やけに元気だな」
「き、聞いてよ藍川君。あの月城さんに話しかけられたんだ! これで二回目だよ!」
尻尾が生えているなら今頃ブンブンになっているであろう阿井。そんなに喜ばなくてもいいのにと、こちらが恥ずかしくなる。
「月城? ……架空の人物か?」
(⁉︎ か、架空……⁉︎)
「ち、違うよクラスメイトだよ⁉︎ ちゃんと実在してるから!」
予想外すぎる反応に月城と阿井は混乱する。……いや、どうしてよ。
「阿井紬の純粋さは長所だろう。……だが、バーチャルと現実は切り分けて考えるべきだ」
「変な心配されてるッ⁉︎」
(私はバーチャル扱いされてるッ⁉︎)
認識されないどころか現実に存在しないことになっていた。これでは一歩どころか後退している。早急に対策しなければ。
(……でも、良かった)
「? 彩乃ちゃん笑ってどうしたの?」
「ううん、何でもないよ」
いつも通りの二人の関係が続いていることに、笑みが溢れてしまう月城だった。
****
放課後。
阿井が部室に入った瞬間、白峰が立ち上がった。
「阿井ちゃん待ってたよ!」
「はいッ⁉︎」
「完成した⁉︎」
「は、はい……」
大事そうに抱えていた原稿用紙を差し出す。
白峰は受け取ると、まるで宝物でも扱うように机へ置いた。
「おお……」
「ついに完成ね」
「記念すべき第一作だな」
先輩たちが次々と集まってくる。活動日に進捗を都度共有していたからみんな知っていた。ただ、ここまで関心を持たれているとは思わなかった。
阿井は居たたまれなくなり、小さく縮こまってしまう。やっぱり恥ずかしい。
「そ、そんな大したものじゃ……」
「書き上げること自体が凄いんだよ」
部長の白峰が優しく言う。
「完成させた人だけが次に進めるんだから」
「……」
その言葉が妙に胸へ響いた。
完成した。
これまでの阿井なら無理だった。独りの阿井なら到底辿り着けなかった。投げ出すことなく、諦めなかったのは間違いなく周囲の人たちのおかげだった。……恥ずかしくて面と向かっては言えないが。
「では……」
全員が読み始める。部室が静かになる。紙をめくる音だけが聞こえる。
(うぅ……)
書いた作品が目の前で読まれる。中々に恥ずかしい状況である。
心臓がうるさい。逃げ出したい。今すぐ帰りたい。やっぱり読ませるんじゃなかったかもしれない。
そんなことを考えているうちに、一人一人が顔を上げる。どうやら読み終わったらしい。
「面白かった」
「旅人と少女の掛け合い好き」
「初作品とは思えない」
「最後、結構好きかも」
次々と飛んでくる感想に阿井は何度も瞬きを繰り返した。さすがに罵詈雑言が飛んでくるとまでは考えていなかったが、ここまで肯定されるとも思っていなかった。
「ほ、本当ですか……?」
「嘘なんてつかないよ。阿井ちゃんの作品、普通に良かったよ」
素直に嬉しいが、褒められる経験のない阿井からすれば、どう反応すればいいのか分からない。褒められ慣れてないと言うべきか。
「……それはそうと」
白峰がニヤリと笑った。
嫌な予感がした。
「この旅人」
嫌な予感がした。
「藍川君だよね?」
「違います!」
即答だった。部室に笑いが広がる。
「嘘だあ。絶対そうだよ」
「そのまんまじゃん」
「俺もそう思った」
「違います!」
阿井は必死に否定する。だが先輩たちは楽しそうだった。
「外の世界を知ってて」
「やたら自信満々で」
「謎にキラキラしてる」
「ついでに変人」
「しかも本人は自覚がない」
「違います!」
「じゃあ、どのあたりが違うのかな?」
「そ、それは……」
おかしい。これは一体何の時間なのだろうか。本来なら小説の感想会のはずなのに、何故か阿井が尋問されている。文芸部六人対阿井一人。孤立無縁だった。
「旅人は、び、美形じゃありません!」
部室は笑いに包まれる。必死になって考えた言い訳が全然通用しない。もはや説得力はなかった。
すると別の先輩が口を開く。
「この少女は……阿井さんに似てるね?」
「ち、違います」
図星だった。
少女の不安も。迷いも。憧れも。
全部、自分の中にあったものだから。
その時だった。
部室の扉が開く。
「失礼する」
聞き慣れた声。阿井の身体が跳ねた。
「あ……」
「噂をすれば」
「本人来た」
部員たちがニヤニヤし始める。
藍川は意味が分からないらしく首を傾げた。
「何の話だ?」
「何でもないです!」
阿井が慌てて遮る。これ以上は危険だった。
「そうか」
藍川は特に気にした様子もなく席へ座る。視線の先には件の原稿用紙があった。
「完成したようだな」
「う、うん。みんなのおかげで」
一番は藍川君のおかげ。
恥ずかしくて言えないから、せめて心の中で言わせてもらう。
「問題ないなら読ませてもらおうか」
「は、はい!」
部室が再び静かになる。先程まで騒いでいた先輩たちも見守っていた。
藍川は真剣だった。
一枚。また一枚。ゆっくり読み進めていく。阿井が書いた作品と本気で向き合ってくれている。それだけで嬉しかった。
同時に阿井の心臓は限界だった。音が聞こえていないかと不安になるくらいドキドキしていた。
やがて最後のページを読み終えた藍川が顔を上げる。
「良かった」
「……!」
胸の奥が熱くなる。たった一言。それだけなのに嬉しかった。いや、嬉しいなんて言葉だけでは言い表せない。
「完成度が高い」
「う、うん……」
「初めての作品としては十分以上だろう」
文芸部のみんなに褒められた時とはまた違う。藍川に認められたことが嬉しかった。他の誰でもない藍川だから、こんな気持ちになった。
「ただ……」
身構える阿井。
藍川は忖度したりしない。悪いことは悪いとハッキリという人間だ。
今後の為にもしっかりと耳を傾ける。
「旅人がキャラとして弱いな」
「うん」
「もっと俺を参考にすべきだ」
「……はい?」
何か変な言葉が聞こえた気がする。
「主人公の成長を導く存在としては物足りない」
「うん?」
「俺のように博識で」
「……うん?」
「俺のように美しく」
「……」
「俺のように素晴らしくあるべきだ」
これは何のダメ出しなのか、もはやクレームではないだろうか。
「つまりだ。旅人ではなく、この藍川秋冬を登場させるべきだと思う」
「そ、そっか……」
言えない。あなたをほんの少しだけモデルにしたのが旅人だとは。
それを分かっているのか、白峰たちは先程から笑いを堪えている……先輩だけど今は腹立たしい。
「案ずるな。俺で良ければいつでも力になろう」
「……ちなみにどんな?」
「俺のことは俺が世界で一番知っている。何故なら俺は俺を愛しているからな。それを阿井紬にも伝えよう」
「き、機会があれば……」
真面目に聞いた自分がバカバカしくなってしまった。これが冗談なら笑って終わりでいいのだが、藍川は間違いなく本気で言っている。先輩たちの笑いがドン引きに変わるくらいに本気で言っている。
「さて、そろそろ失礼させてもらおう」
変な空気を作った張本人は、気にすることなく部室から出ていく。本当にただ阿井の小説を読みに来ただけだったらしい。……嬉しいことは嬉しいが、何かが違う。
——部室の扉を潜るその瞬間。最後に藍川が一言を告げる。
「良かったな。大切なものを守れて」
「!」
胸の奥が熱くなる。もう、何も言えなかった。誰に対する言葉だったのか。考えるまでもなかった。




