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泣いた理由? 俺が美しかったからだ  作者: 塚上


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第十七話 八枚目の続きを

 月城は息を呑んだ。

 

 藍川から笑みが消えている。たったそれだけだった。それだけなのに、中庭の空気が変わったように感じられた。


「阿井紬」


 藍川は静かに名前を呼ぶ。阿井を不安にさせないよう意識していることが伝わる。


「まずはその汚れをどうにかした方がいい」


「ごめん……」


「何故謝る」


「……だって」


「春と言っても冷えはする。身体が資本だ」


「うん……」


 泥まみれの原稿用紙。中には破れたものもある。それらを大事そうに抱え、阿井は校舎へ向かって歩き出した。


 その背中が校舎の中へ消える。


 藍川はそれを見届けてから、ゆっくりと振り返った。


 ――月城は無意識に息を止めていた。


「確認したいことがある」


 藍川の視線が二人へ向く。


「この状況に至る経緯を説明してくれ」


 二人は顔を見合わせる。


「いや、別に大したことじゃ……」


「そうそう。あの子が勝手に池に入っただけだし」


「……なるほど」


 藍川は頷いた。一つ一つ何かを確認するように。


「では、原稿用紙が池に落ちた原因は?」


「え……」


「か、風で飛んだとか」


 嘘を嘘で塗り重ねる二人。


「ふむ。風で飛んだ原稿用紙が池に落ちた。それを阿井紬が拾うために池に入り汚れたと。……確かに筋は通るな」


「で、でしょ。だから私たちは別に、ね?」


「何もしてないし」


 くだらない言い訳。バカみたいな嘘が通じたと本気で思い込んでいるのか二人は安堵する。だが月城には分かる。藍川には初めから全てお見通しだということが。


「何もしてない、か。ならその足元に残る切れ端はどう説明する?」


「えっ?」


 藍川は最初から二人を見ていなかった。傷付いた阿井と汚れた原稿用紙。そして、その切れ端しか。


「お前たちの靴は何故汚れている? その地面の跡をどう説明する?」


「「……」」


 靴が汚れているのは水没した原稿用紙を踏みつけたから。だから地面が周りと違う。


「語るに落ちるとはこのことだな。先程の証言と矛盾する」


 顔を歪める二人。藍川に指摘され言葉の綻びに気付いたのだろう。


「は、はぁ⁉︎」


「そんなの証拠ないじゃん!」


 証拠ならある。アンタたちゲスの行いは全てスマホに記録している。そもそも証拠という言葉を出している時点で自白に近い。


「そうだな。それを判断するのはお前たちでも俺でもない」


「な、ならこの話は終わりでしょ」


「終わらせない。学校側には俺から報告をする。もちろん阿井紬にも証言をしてもらう」


 学校、先生。彼女たちのようないじめっ子はそれをされるのを一番嫌う。もちろん証拠がないよう立ち回るか相手を選ぶ……今回は選んだ相手を間違えた。


「器物損壊」


「名誉毀損」


「侮辱」


「……校内トラブルとしては十分だな」


 青ざめる二人。ここにきてやっと自分たちがしてしまったことの重大さに気付いたのだろう。


「安心しろ。異論があるなら反論すればいい。双方から話を聞くだろう」


「その上で、どちらの証言に整合性があるか判断するだけだ」


 試験満点で入学した優等生。普段の不審な行動は目立つが問題は起こしていない藍川。……いや起こしてる?

 そんな藍川のいじめ報告を学校側が無視するとは思えない……もちろん月城もしっかり証言するつもりだ。


「ま、待ってよ……」


「ご、誤解だから」


 見苦しく言い訳をしようとする二人に手を突き出す藍川。


「分かっているとは思うが、校内の設備や目撃者の証言も含めて学校側が確認するだろう」


「「……」」


「先程の証言と実際の行動に乖離があれば——学校側はより悪質だと判断することになる」


 狼狽を隠せない二人。一人に至っては涙まで流している。もう、決着はついていた。


「進路の九割が進学の青葉高校。お前たちがどんな将来を歩むのか楽しみにしておこう」


 入学してからいきなりいじめ、否、犯罪行為に近いことをしてしまった二人を学校側が良しとするとは思えない。例え寛大な処分となったとしても周りがそれを許さない。他の生徒たちからずっと監視されることになる。


「……阿井紬は怒らない」


「彼女は自分より他人を優先する人間だからな」


 藍川は一歩前へ出る。


「だが——」


 彼が纏う雰囲気が豹変する。先程とはまるで違う本気の怒り。関係ないはずの月城まで身体が震えていた。


「阿井紬が許しても——俺がお前たちを許さない」


「「ひぃ⁉︎」」


 一人は腰を抜かしたのか尻餅をつき、つられるようにもう一人も地面に座る。


「……今回だけだ。俺は阿井紬の意思を尊重する」


「「……」」


「だからお前たちをここで終わらせるつもりはない」


「だが、二度と阿井紬に近付くな」


 藍川は校舎の方へ向かって行く。もう二人に対して口を開くことはなかった。




****




 体操着に着替えた阿井は教室にいた。正直、自分の汚れなどどうでもよかったが、藍川に心配された手前、それを無碍にするわけにもいかず言い付けを守っていた。


 机の上に広げた原稿用紙は酷い有様だった。汚れていた池の水を吸ったことにより、紙は全体的に黒く染まっている。その状態から靴で踏み潰されたのもあり、もはや何の紙だったのか分からないレベルにまでなっていた。


「ま、また書けばいいもんね……」


 阿井が一生懸命書いた原稿用紙八枚——文字にすると三千字を超えている。その全てが黒で塗り潰され、破損していた。


「私が書いたんだから大丈夫。頭に残ってるから」


 初めは何を書けばいいか分からなかった。イメージを文字にするのがこんなにも難しいなんて知らなかった。だから躓いた。上手くいかなかった。


「わ、私が書いたんだから……」


 藍川からヒントをもらった。初めから完璧を求める必要はないと。仲間を頼れと。ずっと独りだった阿井には思い付かない考えだった。


「また、時間をかければ……」


 初めての部活動。文芸部のようなコミュニティへの所属経験などなかった。初めは怖かったが、白峰をはじめとした先輩たちはとても優しかった。遠すぎない先駆者からのアドバイスは本当に参考になっていた。


「あ、あんなに、あんなに頑張ったのに……」


 ここまで何かに熱中したことなどなかった。小説に夢中になるのとはまた違う感覚だった。朝も昼も夜も。執筆のことばかり考えていた。


 頬をつたい涙は落ちる。乾かしていた原稿用紙が阿井の涙で濡れてしまう。……止めることはできなかった。一度溢れ出したらもう止まらない。


 前触れなく教室の扉が開く。現れたのは学校一の美少年。今一番会いたくなく、会いたかった藍川だった。


「ごめんね、藍川君」


「何故謝る?」


 涙は先程よりも更に流れていく。阿井の心は嵐のように荒れていく。


「白峰部長にきっかけをもらって、始めたのに」

 

 一緒に部活動見学に行かなければ阿井は入部しなかったかもしれない。


「私みたいな素人の小説を、文芸部のみんなは笑わなくて」


 スマホやパソコンではなく原稿用紙という選択を与えてくれた。


「一緒に考えてくれて、アドバイスもしてくれて」


 欲しい時に一番嬉しい言葉をくれる。決して押し付けではなく、阿井を尊重する言葉。だから嬉しかった。信頼できた。……もっと仲良くなりたいと願ってしまった。


「藍川君が読んでくれるって、言ってくれたのに!」


 どんな形であったとしても。気遣いからくる言動だったとしても。誰かに求められたり、必要とされるのは初めてだった。——だから自分を許せない。


「ごめんね、ごめんね……」


「……」


「せっかくみんなに助けてもらったのに……」


「完成したって言いたかったのに……」


 阿井の顔は涙で酷いことになっているだろう。だが藍川は何も言わない。静かに見守っているだけ。その優しさがとても嬉しくてとても辛かった。


「私、私、大切なものを守れなかったよぅ……」


 少しだけでも前に進めていると思っていた。でも何も変わらなかった。変わっていなかった。結局自分は弱いままだった。


「ごめんね、ごめんね……」


 ひたすら泣き続けた。教室に差し込む夕日。かなりの時間が経過していたが、藍川は阿井が落ち着くまでずっと待ってくれていた。


「ご、ごめんなさい。ずっと泣いてばかりで」


「気にするな。感情を整理する時間は必要だ」


「……ごめんね」


「ふっ、阿井紬は謝ってばかりだな」


 優しく微笑む藍川。夕陽に照らされた姿はとても幻想的に見えていた。同じ高校生とは思えないくらいに。


「……だって、私」


「その涙が努力の証明だろう。阿井紬の熱意は本物だ。——また書くのだろう?」


 言葉ではどれだけ強がっても、心では分かっていた。あの小説は自分だけで成し遂げたものじゃない。多くの人の支えがあったから形になったのだ。


「今は、書ける気がしないよ……」


 文芸部の先輩たちになんて説明すればいいのか分からない。苦手な人たちに絡まれて、小説をダメにされただなんて決して言えない。その程度の想いで執筆をしていたのかと落胆されたくない。がっかりされたくない。それくらい執着するほど、阿井は文芸部が好きになっていた。


「この原稿用紙は世界に一つだけだから。大袈裟かもしれないけど、もう同じものは書けないよ」


「ふむ……」


 さすがに全てを忘れているわけではないが、一言一句完璧に記憶している自信もなかった。同じことをしても必ず違いは出てくるだろう。……それではダメなのだ。阿井はあの文字群だからこそ、みんなに読んで欲しかったのだ。


「つまり、()()()()があれば書けるということか?」


「……どこにもないよ。だってこれは」


 ——窓から風が吹き込む。机に広げていた原稿用紙は教室中に散らばってしまう。


 いけないと思い、原稿用紙に手を伸ばす阿井。だがそれよりも早く動いていた人物がいた——藍川である。


 机の上に差し出される七枚の紙。忘れることなどない、何度も見た文字の塊が再び阿井の前に現れる。——二度と出会えないと思っていた存在が何故か目の前にいた。


「こ、これって……」


「だから言った。バックアップは取るものだと」


 あの時は深く考えなかった。


『形あるものは壊れやすい。だから人間はバックアップを取る生き物だ』


 自分なら大丈夫だと勝手に思い込んだ。そして失敗した。大事なアドバイスを無碍にしたにも関わらず、藍川は行動してくれていた。他の誰でもない阿井のために。


「ど、どうして……」


「俺が読んでみたいと思ったから。それが理由では薄いだろうか?」


「⁉︎ ううん、そんな、こと、ないよ……」


 再び涙が溢れてくる。ただ今度の涙は冷たくはなく温かかった。心に染みるような、傷が癒えるような感覚だった。


「だが、全てではない。完成前のコピーだから八枚目はない……ただ」


 また笑みを浮かべる藍川。……本当にこの人はずるい。いつも自分は美しいと言っておきながら、自覚があるのだろうか。こんなの、こんなの……。


「今の阿井紬なら、ラストを再び書くことなど造作ないだろう?」


「うん、うん……」


「むしろ、当初よりも素晴らしいものが書けるだろうな」


「頑張る、よ」


 もう二度と無くさないようにと大事に胸に抱く。ここまでしてもらったのだ。書けませんなど言えるはずがない、言うつもりも当然なかった。


 ——村の外からやってきた変な旅人。


 自分は凄いのだと会う度に武勇伝を語り続ける変な人。


 それでも、彼が持っている外の世界の情報量は素晴らしく、本には書いていないことを沢山知っていた。


 少女が村の外に興味を持つのに時間はかからなかった。


 それでも勇気を出せず、迷う日々が続く。迷って悩んで考えて。少女自身もどうしたいのか分からなくなり、塞ぎ込んでしまう。


『なら話は単純だ。最初の一歩を踏み出せばいい』


『最初の……?』


『見えない位置で何も見えないのは当然だ』


 ファーストステップで環境は変わる。そこから世界を見て、怖いと思うのなら直ぐに村に戻ればいい。先が気になるなら進めばいい。至極単純な話だと旅人は少女に告げる。


『常に歩き続ける者などいない。疲れたら休めばいい。村が恋しくなるなら帰ればいい』


『帰っていいの?』


『お前の旅路だ。誰にも文句を言う権利などありはしないさ』


 少女は踏み出す。それは小さな一歩かもしれないが、紛れもなく世界に飛び込んだ記念すべき軌跡となった。




****




 その場に残されたのは月城だけだった。

 さっきまで騒がしかった中庭は嘘みたいに静かになっている。


 藍川は校舎に向かい、名も知らない女子二人は逃げるように去っていった。……阿井はもちろんだが、藍川も優しい。ああいう輩は時間が経てば忘れてまた同じことを繰り返す。藍川がいる以上、少なくとも阿井は無事だろうが、月城の心がそれを良しとはしない。


 初めの頃、阿井を勝手に決めつけていた。その借りは、いつか返したいと思う。それに、あの二人には楔が必要だろう。……まぁ、それは今度だ。今考えることは他にある。


 胸に手を当てる。今でもドキドキと強い鼓動を感じる。これが何を意味しているのか、今はまだ理解したくなかった。


(すごかった……)


 気持ちを切り替える為に別のことを考える。

 思い出すのは阿井の叫び。自分のことではなく、友達のために怒った少女。


 正直言って、予想外だった。


 あれだけ必死になって書いていた原稿用紙を台無しにされたのだ。なのに、その怒りではなく、友達の藍川に対する侮辱に怒っていた。


 自分のことより他人のために怒る。言葉にするのは簡単だが、実際にできる人はそう多くない。だから素直に凄いと思う。


(藍川君も……あれは反則でしょ)


 普段あんなに自分のことばかり語るくせに。本当に怒る時は、自分のためじゃない。


 影から見ていた月城にまで届いた怒気だった。直接食らった二人が感じたプレッシャーは相当なものだっただろう……もちろん同情はしないが。


 月城だったら感情に任せて怒り散らしていたかもしれない。証拠を盾にもっと過激なことをするかもしれない。それくらい頭に来ていたし、彼女たちは越えてはいけない一線を越えてしまっていた。……それでも藍川は一度も感情に任せて相手を傷付けはしなかった。


(私には無理だったな)


 阿井のような答えも、藍川のような行動もできなかった。阿井と藍川だったからこそ、こんな形で終わらせることができたのだ。二人が今頃どんなやり取りをしているかは不明だが、あの藍川秋冬がいるのだ。きっとスマートな手段で解決しているに違いない。


(仲良くなりたいな)


 初めてだった。誰かと友達になりたいと、こんなにも強く思ったのは。


 決して自分を卑下するつもりはない。藍川や阿井にないものを月城は持っている。それが悪いものだとも思えない。……でも、あの二人のことをもっと深く知りたい。そして私のことを知ってもらいたい。


(……とりあえず藍川君には、クラスメイトだと認識してもらわないと)


 月城は小さく笑う。どうやら自分も、一歩くらいは踏み出してみたくなったらしい。

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