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泣いた理由? 俺が美しかったからだ  作者: 塚上


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第十五話 書き続けた先に

 ――村の外には何があるのだろう。少女は今日も窓辺に座り、本を読んでいた。


 その一文を書いたところで阿井の手が止まった。


「うぅ……」


 消しゴム。書き直し。また消しゴム。さらに書き直し。


 たった一行。


 たった一行なのに十分以上経っていた。


「難しい……」


 書くことと読むことは全然違う。本を読むのは好きだった。面白い物語もたくさん知っている。


 だけど自分で書くとなると何を書けばいいのか分からなくなる。思うように進まない。


 それでも。


 真っ白だった原稿用紙には少しずつ文字が増えていた。

 昨日の自分にはなかったものだ。


 翌日。休み時間。


 阿井は机に原稿用紙を広げていた。

 周囲が雑談している中、一人だけシャーペンを走らせる。


 頭の中の構想を形にするのがこんなにも難しいとは思わなかった。読むのは一瞬なのに、書くのは驚くほど時間が掛かる。


「進捗はどうだ?」


 もはや聞き慣れた声が背後から聞こえる。振り返ることなく阿井は応える。


「まだ、三行しか……」


「三行も書いたのか」


「慰めになってないよ……」


 藍川に悪気はない。ただ思ったことを口にしているだけ。


「何を悩んでいる? 素晴らしい俺が聞いてやろう」


「えっとね……」


 藍川に裏表はない。だから自然と相談内容が出ていた。


「登場人物の役割みたいなのは浮かんでるんだけど。それを文章にするのが難しくて」


 ――内気な少女は外の世界に興味はある。だけど一歩が踏み出せないまま時間だけが過ぎてゆく。


「考えたり、話したりする内容をただ書くだけなら、小説とは言えないのかなって……」


「なるほど、阿井紬の理想は高いということか」


「? 私の理想?」


 良いものを書きたい。失敗したくないと思うのは普通のことじゃないのか。


「普段阿井紬が読んでいる小説。あれは多くの工程を経て本という形になっている」


「工程……」


「作家だって完璧ではない。プロだろうと誤字はあるものだ」


「…………そっか」


 難しく考え過ぎていたらしい。毎日のように読んでいる本が基準なのだと無意識の内に思い込んでいた。自分は初心者の初心者であるにも関わらず。


「理想が高いことは素晴らしいが、まずは一歩ではないか?」


「うん、そうだね。ありがとう」


 何だか気が楽になった気がする。不思議とシャーペンを強く握ってしまう。


「他の者に意見を聞くのもありだろう」


「……文芸部?」


 頷く藍川。


「同じ道を歩む者の存在は励みになるだろう」


「藍川君もそうなの?」


「当然だ。俺は俺という最高のパートナーがいるからな」


「そ、そうなんだ……」


 そんな返しをされるとは予想外だった。……文芸部か。

 昨日の様子からして邪険に扱われることはないだろうが、自分の書いた小説を見せるのは恥ずかしく思う。でも、同じ目標を持った先輩たちの話も聞いてみたいと感じた。


「うん、次の活動日に相談してみるね」


「精進するといい」


「だから誰⁉︎」


 少し離れた席から、そのやり取りを見ていた少女がいる。――月城彩乃だった。


 原稿用紙。消しゴムの跡。


 休み時間になっても書き続ける姿。それらは演技ではできない。


(本気なんだ)


 阿井紬は変わろうとしている。


 誰かに言われたからではない。人気者になりたいからでもない。自分で選んだことに向き合っている。


 それが少しだけ眩しく見えた。


(藍川君も意外だな)


 てっきり自分の話しかしない人だと思っていた。実際、その認識は大きく間違っていない。


 だが今の会話だけは違った。阿井が前へ進めるように言葉を選んでいた。


 本人にその自覚はなさそうだったけれど。


 ――そんな月城の視線など知らず。


「ところで……俺はどの場面で登場するんだ?」


「だ、だから登場しないから!」




****




 自室に籠もり、原稿用紙と向き合う。藍川のヒントで少しずつ文字が増えてきていた。


 書いては消してまた書いて消す。その繰り返しは変わらない。納得できたら次へと進む。


 主人公の少女は何を思うのか。どのような出来事が少女を変えるのか。少女は変わりたいのか変わりたくないのか。セリフは、心情は、場面は。


 考えて、形にして、修正して、やっとまとまる。


 ――気付けば外は暗い。いつの間にか夜になっていた。


(う〜ん、まだまだだよね……)


 明日は文芸部の先輩たちに相談する予定なのだ。内容が拙いのは仕方ないが、せめて読んでもらえるくらいは書き進めておきたい。


 ――村の外には何があるのだろう。


 少女は今日も窓から空を見上げた。いつもと変わらない景色。


 落ち着きはするが何となく寂しい。何かが足りない。そんな気がした。


「う〜ん……」


 そこで阿井の手が止まる。


 何か違う。言いたいことはあるのに上手く言葉にならない。


 消しゴムを手に取る。また書き直しだ。




****




 翌日。阿井は文芸部を訪れていた。


 アドバイス通り、何かヒントを得られないかと思い、書きかけの原稿用紙を持ち込んでいた。


「どう? 調子はどうかな?」


「……すみません。まだ二枚しか書けてません」


 部長の白峰へ申し訳なさそうに答える。


 普段から執筆している部員たちに比べれば、自分の進みは遅すぎるだろう。


 そう思いながら反応を待つ。だが、返ってきたのは予想とは違う言葉だった。


「そんなことないよ。初めてなら上出来だ」


「そうそう。私は原稿用紙一枚で一週間悩んだからね」


 人それぞれではあるが、総じて最初は上手くいかないらしい。藍川が言っていた通りだった。


 ――ちなみに当の本人は不在である。


 写真撮影があるらしく、さっさと下校していった。


「何か悩んでる? 相談に乗るよ」


「主人公がなかなか動いてくれなくて……」


 異世界の小さな村が舞台。


 外の世界に興味があるのに、一歩を踏み出せない少女の物語。


「そうだね。例えば、その子は本当は外へ出たいんじゃないかな?」


「……そうだと思います。でも、その先が上手く浮かばなくて」


 本の世界も好き。


 けれど、もっと違う何かがあるかもしれない。そう思いながらも、一歩が踏み出せない少女。


「——その子は誰かを待っているんじゃないかな?」


「誰かをですか?」


「うん。自分の知らない世界を見せてくれる人」


 村にはいなかった価値観。外の世界を知る旅人。少女の常識を壊してくれる存在。


 ――その瞬間。


 阿井の頭の中で何かが繋がった。


「あ……」


 シャーペンを握る。


 白紙だった三枚目へ視線を落とす。今まで止まっていた言葉が、するすると溢れ出した。




****




 とある日の昼休み。


 月城は友人たちとお昼を共にしつつ、阿井の様子を見ていた。数日経過したが、執筆活動は続いているらしい。阿井は弁当を食べながら原稿用紙を眺めている。


(あんなに頑張って……そんなに面白いのかな?)


 月城からすれば原稿用紙は読書感想文のイメージが強い。指定された本を読んで感想を書く。単純なことだが数ある宿題の中で一番嫌いなジャンルだった。


 読書を否定するつもりはないが、空想の世界に対してあれこれ感想を述べるよりも、目の前の現実と向き合い変わっていく方が月城は好きだった。


「よし! 四枚目完成したよ」


「そうか、順調でなによりだ」


 相変わらず向き合わず各々の机で好き勝手している二人。見ていて本当に飽きない。……ずっと見ているからこそ変化や違いに気付いてしまう。


 阿井という人間は昔の月城自身。狭い世界に閉じこもって全てを諦めている。そんな子だと思った。


 月城はそんな自分に嫌気がさして変わろうとした。踏み出した一歩は世界を広げるためではなく、嫌いだった自分を変えるためのものだった。


 阿井は変わるために書いているわけではない。


 好きな物語があった。もっと知りたかった。もっと近づきたかった。その結果として、少しずつ変わっているだけなのだ。――月城とは逆だった。


 月城は変わるために努力した。


 阿井は好きだから努力する。


 同じようで全然違う。根本的に二人の成り立ちは異なるのだと今なら分かる、分かってしまう。


(……私とは違うんだ)


 別に今の自分が嫌いだとは思わない。可愛い月城も明るい私も人気者な自分も大好きである。後悔なんてあるはずもない。……ただ。


 ――どんな風に変わっていくのか、より興味が湧いた。気付けば観察すること自体が少し楽しくなっている。


 自分とは違う答えを出した阿井がどこへ向かうのかが気になって仕方がない。


「次は五枚目か……何枚書くつもりだ?」


「え、えっと……決めてない」


「なるほど。書きたいのなら好きなだけペンを走らせるといい。――だがリスクはあるな」


「り、リスク? な、何それ……」


 不安そうに藍川の方へ振り返る阿井。……先程までの勢いはどこに消えたのか。追い詰められた小動物のようで少し面白い。


「形あるものは壊れやすい。だから人間はバックアップを取る生き物だ」


「ば、バックアップ?」


 スマホやパソコンと違って現物はデータではない。万が一に備えてバックアップを取るように勧める藍川。ピンときていないのか阿井は不思議そうな顔をする。


「大丈夫だよ。私、なくし物とかしない方だから」


「そうか」


 再び原稿用紙と向き合う阿井。そこにはどんな物語が綴られているのか。


 タイミングが合えば読んでみたい。そんなことを考えている自分に、月城は少しだけ驚いていた。




****




 それから数日。

 阿井の鞄には、いつも原稿用紙が入るようになった。


 休み時間。昼休み。部室で。家に帰ってから。空いた時間を見つけるたびに少しずつ書き進める。


 決して速くはない。一文を書いては悩み。消しては書き直し。また悩む。そんなことの繰り返しだった。


 それでも原稿用紙は確実に埋まっていった。時に文芸部の先輩たちにアドバイスをもらいながら書き進めた。


 放課後。


 教室に残っていた阿井は、原稿用紙を一枚めくる。


「……七枚目」


 思わず小さく呟く。


 最初は一行書くだけで十分悩んでいた。何を書けばいいのか分からなかった。でも今は違う。


 主人公の少女は旅人と出会った。

 外の世界についてたくさん聞いた。

 少しずつ世界に興味を持ち始めた。


 結末も決まっている。だから後は書くだけだ。


「もう少し……」


 シャーペンを握る手に力が入る。


 完成させたい。初めて自分で書いた物語だから。


「なるほど」


 聞き慣れた声がした。


「藍川君」


「順調なようだな」


 いつの間にか隣に立っていた藍川が、原稿用紙の束を見る。だが覗き込もうとはしない。ただ枚数だけを確認するように視線を落とした。


「もうすぐ終わりそうか?」


「う、うん」


「そうか」


 それだけだった。内容を聞くわけでもない。感想を求めるわけでもない。ただ事実を確認しただけ。


 それなのに不思議と嬉しかった。


「……完成したら読んでくれる?」


 気付けばそんな言葉が口から出ていた。最初の読者は彼がいいと。


 藍川は少しだけ考えるが、答えは最初から決まっていたかのように一言口にする。


「それは違うな」


「え?」


「最初に読むべきなのは俺ではない」


 阿井は首を傾げ、藍川は当然のように続ける。


「同じ道を歩む仲間がいるだろう」


「!」


 そうだった。阿井が小説を書くきっかけをくれたのが部長の白峰だった。最初は上手くいかないと励まし、アドバイスをくれたのが部員たちだった。作品は違っても、同じ目標を持って前を走り、時に優しく引っ張ってくれたのが文芸部だった。


「ありがとう藍川君」


「気にするな」


 物語も終盤。


 旅人との出会いを通じて、少女は狭い籠の中から飛び出そうとしている。出口は開いている。遮る物は何もない。後は少女の選択次第だった。


 夢中になって書き進めていたが、いつの間にかペンは止まっていた。


 連日の疲労がここにきて襲ってきたのだろう。阿井は机に突っ伏したまま眠っていた。


「ふむ……」


 窓から吹き込んだ風で原稿用紙が散らばっている。


 藍川はそれを一枚ずつ拾い上げ、順番を確認しながら整える。


 七枚。


 そして書きかけの八枚目。


「もうすぐ完成か」


 阿井の寝顔を一瞥する。


 数日前、自分が口にした言葉を思い出した。


『形あるものは壊れやすい。だから人間はバックアップを取る生き物だ』


 だが阿井紬は取っていない。取る気配もない。


「……仕方ない」


 小さく呟く。それは誰に聞かせるでもない独り言だった。


 「……っ!」


 阿井は勢いよく顔を上げた。窓の外はすっかり夕焼け色に染まっている。


「ね、寝ちゃった……!」


 慌てて机の上を見る。原稿用紙は綺麗に揃えられていた。


「よかった……」


 無意識に胸を撫で下ろす。もし失くしていたら立ち直れなかったかもしれない。


「起きたか」


「あ、藍川君」


 まだ教室に残っていたらしい。


「す、すごい時間だよね……」


「夢中になるのは良いことだ。俺ほどになると時間を忘れることも珍しくない」


 珍しくまともなことを言われたと思ったらやっぱり藍川だった。


「もう少しで完成しそうなんだ」


「そうか」


 藍川は頷く。それだけだったが、その一言が不思議と嬉しい。


「完成したら文芸部のみんなに見せるね」


「ああ」


「その後、あ、藍川君も読んでくれる?」


 声が上擦ってしまう。別に変なことは言ってない。それでも顔が熱くなるのを感じた。


「楽しみにしておこう。俺は読むことにも長けている」


「う、うん!」


 いつものやり取り。それだけなのに元気が出た。


 あと少し。本当にあと少しで完成する。

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