第十四話 少しだけ前へ
昨日の衝撃的な出来事を引きずりながら新たな日が始まる。いつも通りクラスメイトたちと挨拶を交わし席に着く月城。その胸中を占めるのは阿井と藍川の異色コンビであった。
(いや、本当に何だったの……?)
同じクラスとして認識されないなど人生初めての経験だった。これが新学期の始まり数日ならまだ理解できるが、もう四月終盤なのだ。カースト最下位の小学校時代でもあり得ない状況に内心困惑を隠せない。
人気があるとかないとか。可愛いとか可愛くないとか。そういう話ではない。そもそも存在を認識されていない。正直意味が分からなかった。
――だから少しだけ観察してみることにした。
「おはよう阿井紬」
「お、おはよう藍川君」
「……俺よりも早く登校するとはな」
「悔しがらないで⁉︎」
朝から漫才でもしているのか。
「みんな席に着いて。ホームルーム始めるよ」
「……」
「どうしたんだい藍川君?」
「またあなたか。学校関係者以外は立ち入り禁止だと伝えているだろうに」
「だから僕は担任だよ! せめて学校関係者にしてよ!」
鈴木先生も容赦なく扱う。
「阿井紬。テストに向けて勉強はしているのか?」
「え、えっと……勉強苦手で」
「そうか。俺は勉強でもナンバーワンだ」
「ナチュラルに自慢された⁉︎」
もう驚くつもりはない。藍川はスポーツだけではなく勉強もできる。……阿井は情報通り学力は低いが。
「今日のランチも素晴らしいな」
「……もしかして藍川君がお弁当作ってるの?」
「俺は俺によって作られているからな」
「そ、そっか……」
二人は毎日のように一緒に昼食を取っていた。
とはいえ向かい合うわけではない。自分の席のまま食べているだけだ。
傍から見れば藍川が一方的に話しかけているようにしか見えない。
(私なら三日で限界かも……)
だが不思議なことに阿井は嫌そうではなかった。
経過報告。
まず分かったことがある。藍川秋冬は思った以上に変人だった。
一日中自分大好きで、いかに素晴らしいかを他人に語り続けることができるのだ。
訂正しよう。
想像の三倍は変人だった。
そんな変人と一緒に過ごしている阿井についても分かったことがある。
阿井は思ったよりも笑う。声は小さくて聞き取りづらい。表情も乏しい。
それでも藍川と話している時だけは少し違った。
誰かに話しかけられると萎縮してしまうが、藍川が隣にいると少しずつ自分を出せているように見えた。
昨日まで気付かなかった。いや、正確には見る必要がなかった。
阿井は教室の隅で静かに本を読んでいるだけの女子生徒だったからだ。
けれど今は違う。
藍川という異物の隣にいることで、少しずつ変わっているように見えた。
何となくもっと知りたいと思った。昔の自分と同じだと思っていた。けれど違う。
阿井は誰かに変えられているのではない。自分の意思で前へ進もうとしている。
それが少しだけ羨ましかった。
――だから気になった。
放課後。
月城は、少しだけ遠回りをすることにした。向かう先は――文芸部である。
今日が初めての部活動だと阿井が話していたのを聞いたからだ。もちろん入部するつもりはない。
ただ、気になってしまった。昔の自分によく似ているはずの少女。なのに、どこか違う。
そして、そんな阿井を何故か認識している藍川。
(少しくらいならいいよね)
自分にそう言い訳をしながら、月城は文芸部のある特別棟へ向かう。
部室前に到着すると、扉の向こうから賑やかな声が聞こえてきた。
(意外……)
文芸部と聞いていたから、もっと静かな場所だと思っていた。
扉越しの会話が自然と耳に入る。
「俺が主人公なら世界はもっと平和になる」
「絶対ならないよ!」
(やっぱり帰ろうかな……)
文芸部初日でも飛ばしている二人だった。
****
少し前。放課後。
阿井は文芸部の部室を前に立ち尽くしていた。
(帰りたいなぁ……)
入部初日。
今ならまだ間に合う気がした。誰にも気付かれず帰宅できる気がした。
「何をしている?」
「ひゃあっ⁉︎」
背後から声を掛けられ飛び上がる。振り返るまでもない。この美声は一人しかいない。
「藍川君……」
「部室の前で十分ほど停止している。不審者だと思われるぞ」
「十分もいないよ!」
入部すると決めたものの、やはり初日は緊張してしまう。元々できあがっている輪の中へ、一人で入っていく勇気は阿井にはなかった。……でもこのままなかったことにもしたくない。
踏み出したい気持ちと現状維持。どちらの想いも本物だった。
「……藍川君は何でいるの?」
「彼らの活動が順調に進んでいるか視察だ」
「どんな立ち位置なの……まったく」
いつも通りの藍川に、口には出さないが安心する自分がいる。決して阿井を気遣って来たわけではないのだろう。思うがままに行動するのが藍川だ。
それでも。一人で立っているよりは少しだけ心強かった。
「最高顧問だが?」
「違うから!」
……やっぱりいらない。安心よりもトラブルの方が増えそう。
藍川の中では文芸部の最高顧問に就任したことになっているらしい。そんな事実はないが本人が自信満々だからそうなのかもと思ってしまいそうになる。油断ならない。
藍川とそんなやり取りをしていると、部室の扉が開いた。部長の白峰が苦笑いを浮かべながら出てくる。
「そんなところで何やってるのかな? さぁ入って阿井さん。それと藍川君は見学?」
「は、はい……こんにちは」
「気遣いは不要だ。普段通りで構わない」
「藍川君が一番気を使って!」
藍川と一緒にいるとどうも調子が狂う。入部初日から変なイメージがついたら一大事だ。
気を引き締めて部長の後に続く。部員六人全員が揃っていた。一斉に向けられる視線。
(やっぱり帰りたい……)
何か理由を付けて帰りたくなる。注目されるのはやっぱり苦手だった。――だが、意外にも周囲の反応は明るかった。
「この前の一年生だね」
「久しぶり!」
「良かったよ入部者がいて」
思ったよりも歓迎された。一見さんお断りみたいな空気になるのかと恐れていたが、意外にも一人一人が明るい。
「阿井です。え、あ、よろしくお願いします……」
噛んでも笑われることはない。裏なく素直に歓迎されていることが伝わる。……帰らなくて良かった。
「阿井さんは小説読むの?」
「は、はい」
「書いたことは?」
「ないです……」
その瞬間。全員が頷いた。
「大丈夫、最初はみんなそうだから」
「むしろ書いたことある方が少数派だよ」
少しだけ肩の力が抜けた。すると部長の白峰が手を叩く。
「じゃあせっかくだから、阿井さんには初めての執筆に挑戦してもらおうかな」
「し、執筆……」
部活動説明でもあったように、部員たちは本を読むだけではなく書くこともしているらしい。仲間内で読み合ったり、投稿したりもしている。まさに文芸部といった活動である。
「心配しなくていいよ。学校に提出するわけじゃない」
「そうそう気軽にね。とりあえず書くのが目的だから」
本を読むのは好き。空想の世界を想像するのも好き。でも執筆の経験はなかった。
「好きなものを書いてみよう」
「好きなもの、ですか?」
「何でもいいよ。物語でも感想でも妄想でも」
何でもいい。その言葉が一番困る。
好きな本はある。好きな物語もある。
だけど、自分で書くとなると何を書けばいいのか分からなくなる。
「簡単だ」
「ひゃっ⁉︎ あ、藍川君まだいたの?」
いつの間にか隣に藍川がいた。自分のことで手一杯だったのか周りを見れていなかった。
「主人公を俺にすればいい」
「し、しないよ!」
それでは誰かさんが書いた伝記じゃないか。あのレベルまで自分は狂えない。……そう思うと心が軽くなった気がした。
「……ふむ、何を書くかイメージが湧いたようだな」
「べ、別にそういうわけじゃ……」
頭に浮かんだ構想。何となく藍川だけには言いたくないと思った。
「なら次は媒体だ」
「? 媒体?」
「パソコンを使うかスマホで書くか。文明は日々進歩している」
急に説明を始めた藍川に「またやってるよと」引いている部員たち。そんな彼らを気にすることなく藍川は続ける。
「それぞれメリットデメリットもあるが、効率的なのは間違いない」
「……そうだね」
スマホなら空き時間に手軽に始められそうである。パソコンなら藍川が言うように捗りそうなイメージもあるが。
「わ、私、パソコン苦手なんだ」
「そうか。ならスマホが無難だろう」
「う、うん……」
その通りなのだが、少し引っかかる。便利なのは間違いないが、書いている実感が湧きづらい。そう漠然と感じてしまう。
――机に何かが置かれる。
「ふっ、ならば阿井紬にはこれだな」
「……これって」
読者感想文でよく見る紙。
藍川が鞄から取り出したのは原稿用紙だった。
「延々と手書きで執筆するのは大変だ――だが、初めくらいは原稿用紙というのも悪くないのではないか?」
「やるね藍川君。よく分かってるよ」
白峰はうんうんと頷いていた。部員たちもこれには同意するのか反対意見はなかった。
「手書き……」
藍川から渡された真っ白な原稿用紙を見つめる。まるで今の自分みたいだった。
「今日完成させてなんて言わないよ。ゆっくり、阿井さんのペースでね」
「はい、分かりました……」
シャーペンを握り原稿用紙と向き合う。読むのは好きだが、書くことに関しては全てが未知数。先程頭に浮かんだ構想をどのように言葉にするべきか分からない。
白い原稿用紙。
真っ白な一行目。
――それでも。
去年までの自分なら、このまま諦めていたかもしれない。阿井は小さく深呼吸する。
そして。
震える手で最初の一文字を書いた。




