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泣いた理由? 俺が美しかったからだ  作者: 塚上


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第十一話 覚えておこう

 白球はどこまでも高く舞い上がった。


 センター方向。いや、そのさらに奥。グラウンド外への飛球を防ぐネットを悠々と越えていく。


 誰も動けなかった。


 野球部員も。


 見学者たちも。


 キャッチャーの黒崎でさえ。


 ただ空へ吸い込まれていく白球を見上げることしかできない。


 やがて――。


 校舎の向こう側から、何かが落下する音が響いた。


 グラウンドが静まり返る。


 十球勝負。


 その最後の一球。


 結果は誰の目にも明らかだった。


「……はは」


 真田は乾いた笑いを漏らした。


 十球。全て長打。最後に至っては規格外。もはや言い訳すら思いつかない。


 風でもない。偶然でもない。まぐれでもない。


 完敗だった。


「最後の一球は――百四十以上は出ていたな」


 静寂を破ったのは藍川だった。淡々と事実だけを述べるように言葉を紡ぐ。


「……そうかよ」


 苦笑するしかない。


 今の自分が出せる全力だった。持てるものは全てぶつけた。だが届かなかった。


 部活動体験に来ただけの一年生に、ここまで完膚なきまでに打ち込まれるなど誰が想像しただろう。


 見学者たちも。野球部員たちも。そして真田自身も。


「勝負は終わりだ。返すぞ」


 藍川はヘルメットを脱ぐと、バットと一緒に黒崎へ手渡した。


「髪が乱れてしまったな。だが、そんな俺も美しい」


 黒崎は何も言えなかった。おそらくグラウンドにいる誰もが同じ気持ちだった。


 藍川はそのまま踵を返す。


 野球部から離れていく背中を真田は見つめた。自分の方が背は高い。それなのに、その背中はやけに大きく見えた。


 同じ一年生とは思えなかった。


「お前は……何者なんだ」


 気付けば口にしていた。


 藍川は立ち止まる。そして不思議そうな顔で振り返った。


「藍川秋冬だが?」


「そういう意味じゃねぇよ……」


 ため息をつき頭を掻く。


 負けた。完敗だった。それでも不思議と嫌な気分ではなかった。どう言葉にすればいいか分からないが、とにかく不快ではない。


 悔しい。だが、それ以上に……藍川秋冬という存在への興味が勝っていた。どのような人生を歩めばああなるのか。今まで出会ったことのない人種である。


 一緒にいた女子生徒と合流した藍川は校舎へと戻って行く。その途中に立ち止まり、真田を見て呟く。


「真田か。覚えておこう」


「えっ」


 阿井が目を丸くする。


「藍川君、もしかして――」


「何だ?」


「今まで名前覚えてなかったの?」


「必要がなかったからな」


「ひ、ひどい……」


 藍川は少しだけグラウンドを振り返った。


「だが、悪くなかった」


「え?」


「努力しているのだろう」


 淡々とした口調だった。だが阿井には分かった。それは藍川なりの賛辞なのだと。


「それに――」


「?」


「今年の野球部は面白いかもしれないな」


「野球部?」


「いや」


 藍川は僅かに口元を上げた。


「今後の野球部、か」


 見たことのない笑みだった。その横顔を見た瞬間、阿井の胸が小さくざわついた。




****




 夕陽に染まるグラウンド。


 体験入部は終了し、見学者たちも帰り始めていた。


「真田」


 黒崎が声を掛ける。だが真田は返事をしなかった。


 空を見上げる。あの打球が消えていった空を。


 完敗だった。言い訳もできないほどに。だが悔しさよりも先に浮かんだ感情がある。


 ――理解できない。


 どうしてあんな男が存在する。


 どうしてあんな打撃ができる。


 どうしてあんな顔をしていられる。


 野球だけを続けてきた自分と何が違う。


 何も分からなかった。


 ――藍川秋冬は、自分の人生を変えてしまった。

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