第6話 綺麗な髪
さてそうなると、次は俺の服しかない。
一番最初に視界に入ったのは今日洗ったばかりのワイシャツ。白い布を手に取ったところで、頭の中に余計な想像が浮かぶ。
ぶかぶかのワイシャツを着た明日香。風呂上がりで、頬が赤くて、銀色の髪がまだ少し濡れていて、火照ったからだが微かに透けて――。
「……いやいやいや」
何を想像して、なにを渡そうとしてんだ。冷静になれよ、西条伊吹。こんなもの渡そうものなら母さんに後で殺されかねない。
次にスウェットを手に取る。が、これはこれで微妙だ。洗ってはあるが、普段から部屋着として使用しているから、俺の匂いが残ってる気がする。明日香にそれを嗅がれるのは恥ずかしい。
となると、残るのは
「ジャージが無難か」
学校指定のジャージなら変な感じもない。上下とも洗ってあるし、サイズも問題ないはずだ。緑色の地味さに可愛げはなく、いま明日香に着てもらうには最適とまで言えるかも知れない。
視界の端に入ったワイシャツに別れを告げて、地味なジャージを洗面所へ。
「明日香。いるか?」
「……はい」
さっきより少しだけおとなしい声。
「俺のだけど、ジャージならある。嫌じゃなければ着てくれ」
「い、嫌なんてことない!」
「そ、そうか。ならいいけど」
扉の隙間から、そっと手が伸びる。白くて細い指先がジャージを受け取って、またすぐに引っ込んでいった。
「またなにかあったら言ってくれ」
「わかった」
俺はその場を離れてリビングへ戻る。
数分後。
洗面所の扉が開く気配がして、反射的に振り返る。
出てきた明日香は、思った通り――いや、予想を裏切る可愛さだった。
学校のジャージは当然ぶかぶかで、袖も裾も少し余っている。けれど、それがだらしなく見えるんじゃなくて、妙に守ってやりたくなる愛らしさを感じる。
風呂上がりで頬はほんのり赤い。濡れた銀髪はいつもより少しだけ色が濃く見えて、肌の白さが余計に際立っていた。
しかし本人だけは、真面目な顔をしている。
緑ジャージのだささが仕事をしていない。やはりお洒落は何を着るかではなく、誰が着るのなのだと、厳しい現実を叩きつけられる。
「……ど、どうかしら?」
「え、ああ」
見すぎた。慌てて視線を逸らす。
「ま、まあ。いいんじゃないか?」
「そう。ならよかった」
明日香は少し安心したように肩の力を抜いた。
「服、ありがとう。助かったわ。部屋着だとこれぐらい余裕があった方が過ごしやすいわね」
言いながら、明日香はズボンの裾を折って足首が見えるあたりまで持ち上げる。
身体を動かして気付いたのか、鼻を「すんすん」と動かした。暫く鼻を利かせて辺りを見渡した後、余った袖を鼻に近付けて、さらに匂いを嗅ぎ始める。
「伊吹くんの匂いがする」
「嗅ぐなそんなの」
「ご、ごめんなさい! つい」
『つい』じゃないが。と言いたいところだけど、気まずいので話題を変える。
「それより髪、乾かした方がいいんじゃないか? 濡れたままだと風邪ひくぞ」
「そうね。……向こうでは、炎と風の魔法を使える人が乾かしてくれてたんだけど」
なんだそれ、楽しそうな世界観だな。魔法ってそんなことまで出来るのかよ。
「こっちでは魔法、使えないのよね」
明日香は袖をまくると、白い腕を前に突き出した。
「――ッ!」
聞き馴染みのない言葉は魔法の詠唱か何かか、その所作には迷いや無駄がない。何度も繰り返し行っていたんだろうなと一度見ただけでわかる。
しかし、突き出された手からは何も出てこない。
「やっぱりダメね」
少し寂しそうに呟いた後、明日香は苦笑する。
なんて言ったらいいものか。俺も出来る事なら魔法は見て見たかったけど、そんなこと言ったら明日香が無駄に魔法が出る様に頑張りかねない。
「魔法がなくてもこっちの世界には便利なものがあるから安心しろ」
俺は洗面台からドライヤーを取って来る。
「ドライヤーだ」
「どらいやー?」
初めて聞く単語みたいに、明日香が小首を傾げる。
「そう。これで髪を乾かすんだよ」
「これで?」
どうにも半信半疑らしい。
確かに、改めてドライヤーを見ると、口が開いた筒にコードが繋がってるだけだ。こっから暖かい風が出るなんて不思議なもんだが。
「どうやって乾かすの?」
首を捻りながらドライヤーを見つめる明日香。
その純粋無垢な瞳に、少しだけ悪戯心が沸いてくる。
「ほら、こんな感じで」
電源を入れて、温風を明日香の顔に向ける。
「きゃっ!?」
明日香の銀髪がふわっと揺れた次の瞬間、その姿が消えた。
「え?」
いや、消えたように見えただけだ。気づけば明日香は、俺の背後に回り込んでいた。
しかも半歩分きっちり距離を取って、こちらの肩越しにドライヤーを警戒している。
反応がどう考えても普通の女子高生じゃない。動きが全く目で追えなかった。床を見ると、微かに足跡が残っている。
「……びっくりした」
「いや、俺の方がびっくりしたんだけど」
振り向くと、明日香は少しだけ唇を尖らせていた。
「伊吹くんが急に変なことするからでしょう。絶対に私の方がびっくりしたもん」
「それは、そうだな。悪い」
「よくないわよ、そういうの」
言いながらも、明日香の耳はほんのり赤い。どうやら本気で驚いたらしい。
やっぱり明日香は普通じゃない。魔法は使えないみたいだけど、身体能力だけで普通の女の子とは到底、言えないレベル。本当に異世界で勇者をやってたんじゃないかって思えて来る。
「ちょっと、聞いてるの?」
「すまん。ちょっと反応みたくなって」
「もう。意外と伊吹くんって、やんちゃなのね」
明日香は少しむくれたものの、さっきまでの警戒は解けたらしい。
そっと俺の横に戻ってきて、改めてドライヤーを見る。
「で、さっきの暖かい風で髪を乾かすのね」
「ああ」
「じゃあ、お願いするわ」
当然みたいな顔で、明日香は椅子を引いて座った。
暫く無言でその後姿を見つめたが、ドライヤーを受け取る素振りは見せない。
「髪、乾かさないの?」
「自分でやるんだぞ」
「えっ?」
不思議そうに振り返り、首を傾げる明日香。
「髪って自分で乾かせるの?」
「乾かせるだろ。……乾かせるよな?」
言わずもがな、俺は自分で乾かしてたけど、髪が長い女の子ってどうしてるんだ? こんな長い髪を自分で乾かせるもんなのか?
「こんだけ長いと大変そうか?」
「そうね。そうだと思うけど」
まっすぐ見上げられて、少し言葉に詰まる。
「伊吹くん、お願いできない? ドライヤーの使い方、わからないから」
上目遣いでそうお願いされると、なかなか断りにくい。
それに、嫌かと問われれば嫌じゃない。むしろ、銀色の綺麗な髪に触れてみたい気持ちがあった。どんだけサラサラで、どんな香りがするんだろうと。
「……じゃあ、いったん今日だけな」
「ええ」
提案に、素直に頷く明日香。
俺は気合を入れ直し、温かい風で銀色の髪を乾かし始める。
「あっ……」
明日香が小さく声を漏らす。
「熱くないか?」
「大丈夫。気持ちいいくらい」
櫛で軽く整えながら乾かしていく。思っていた以上に髪は細くて、指通りがいい。さらりと手を抜けていく感触は、やっていて気持ちいいものだ。熱を持った甘い香りが鼻を通ると、少し変な気持ちになる。
髪を少し持ち上げると、白いうなじが見えた。見ちゃいけない気がして視線を逸らすのに、結局また見てしまって、それが自分でも嫌になる。
「……伊吹くん、上手ね」
「そうか?」
「ええ。引っ張らないし、熱すぎないし。前にやってくれていた人たちより丁寧で、気持ちいいぐらいよ」
「前にって、侍女とか?」
「侍女というか……。まあ、そんな感じね」
「勇者って偉いんだな」
「そんなことないわ。状況によるし。王都にいる時は誰かがやってくれたけど、旅の途中はそんな余裕なんてなかったもの」
明日香は少し懐かしそうに目を細めた。
「私は剣の扱いとか、魔法の事とかばっかりで、生活の細かいことはみんなにやってもらってたから。こういうのはさっぱりなの」
「しっかりしてそうに見えるけどな」
「見えるだけよ」
「自覚あるのか」
「もちろん。勇者としての威厳を保つようにって、よく言われてたもの。……けど、服も一人じゃ選べないし、髪も自分できれいに整えられない」
暫くドライヤーの音だけが部屋に流れ、少しだけ間を置いてから。
「料理も食べる方が得意だもの」
「そこはもうよくわかってる」
「何よそれ」
横顔がこちらに向き、半眼で睨みつけられる。
その仕草に、思わず笑いそうになった。
「昼と夜で十分伝わった」
「それは……。だって、美味しかったんだもん、伊吹くんの料理」
ぶつぶつ言いながらも否定しないのが明日香らしい。
「風呂、楽しそうだったけど。向こうだと毎日入れるわけじゃなかったのか?」
「入れないとの方が多かったわ。温かいお湯に肩まで浸かれるなんて、一部の貴族だけが許された娯楽のようなものよ。移動中なんて水浴びも出来ないのが当たり前だったんだから」
「じゃあ今日はかなり当たり日だな」
「ええ。すごく」
明日香は嬉しそうに言った後。。
「日本ってすごいのね。お湯が出て、柔らかい服があって、髪を乾かす道具まである。それに、こうして優しく髪を乾かしてくれる人もいるしね」
「これは今日だけのサービスだ」
「それは……。明日も、ダメ?」
物足りなそうにこちらを見て来る明日香に、俺は心を鬼にする。
「ダメだ。日本の生活に順応していけ」
「むっー……。ケチ」
頬を膨らませ、そんな子供のような事を言う明日香。
「こっちじゃ明日香は普通の女の子なんだ。剣も魔法もいらないんだから。自分の事は自分でやるんだよ」
「それを言われると、納得せざるを得ないわ」
納得するところは納得してくれる。それは非常にありがたいことだ。
「お風呂に入れるだけで幸せ者だしね。食事も美味しいし」
「風呂とご飯に感動し過ぎだろ」
「伊吹くん、人って言うのはね、失ってから気付くのよ。当たり前の事がどれだけ幸せだったかって」
「妙に重みがある言葉だな」
俺は苦笑しながら、最後に後ろ髪へ風を通した。
「よし。こんなもんだろ」
「終わり?」
「終わりだ」
名残惜しそうに明日香はいった後、自分の髪を指で梳いて、少しだけ目を丸くする。
「……軽い」
「乾いたからな」
「でも、すごく綺麗になった気がする」
「ああ、凄い綺麗だ」
言ってから、自分で先に固まった。しまった、と思った時にはもう遅い。
明日香は一瞬きょとんとして、それからじわっと頬を赤くした。
「……そういうこと、急に言うんだ」
「じ、事実だ。明日香の髪は綺麗だよ。俺の髪なんかと比べてな」
クソ、誤魔化しかた下手か! と自分に突っ込みを入れたくなる。
「羨ましいから俺も髪の毛のばそうかな? 髪も染めてみるものありか?」
下手クソ過ぎる誤魔化しを続けると、明日香は小さな笑みを浮かべる。
「似合わないと思うわよ、伊吹くんの長髪。それに、黒い髪が似合ってて、十分かっこいいと思う」
「そ、そうか? そうだよな。俺もそう思う」
少し褒められただけで照れてしまう自分が憎い。
ドライヤーを切って一歩下がると、明日香は椅子に座ったまま、ほっとしたように息をつく。
「ありがとう。気持ちよかった」
静かな声だった。独り言みたいに小さいのに、妙にはっきり聞こえる。
「風呂上がりだからな。何しても気持ちよくなるタイミングだ」
「それも少しはあるかもしれないけど」
明日香はそう言って、小さく笑う。
「でも、たぶんそれだけじゃないわ」
ぶかぶかのジャージを着て、風呂上がりの顔で、髪を乾かしたばかりの銀髪の従妹がそんなことを言う。
胸がムズ痒くなる。恐らくこの感覚に慣れる日は来ない気がした。
少なくとも、今日の俺にはまだ無理だった。




