第24話 スカウト
女子側のコートへ近づくと、明日香は完全に囲まれていた。
「神谷さん、今の何! っていうかどこから跳んだの!」
「バスケ部だったの?」
質問の勢いに、明日香は困ったような顔をしている。
それでも、完全に困っているというより、どこか誇らしげなのは気のせいか。
「明日香」
声をかけると、明日香がこちらを見た。
「あ、伊吹くん」
明日香の顔が明るくなる。
だが、さっき俺がバツを作ったせいか、すぐに不満そうな顔へ変わる。
「今の見てた?」
「見てたよ」
「ならどうしてバツなの?」
「その前に、靴が壊れてる」
ダンクで負荷がかかったのか、体育館シューズの片方の底が少しめくれていた。完全に壊れたわけではないが、このまま動いたら危ない。
明日香は自分の足元を見下ろし、そこで初めて気づいたらしい。
「本当ね。少し剥がれているわ」
「このまま続けたら危ないから、ちょっと外出るぞ」
「でもまだ試合中だけど」
「怪我される方が問題だ。先生、ちょっと靴見てきます」
近くにいた体育教師に声をかけると、先生はまだどこか呆然とした顔で頷いた。
「あ、ああ。見てこい。あと神谷、次からは、その。もう少し普通にな」
「普通……」
その言葉を聞いて、明日香が真剣に頷く。
「気を付けます」
俺は明日香を連れて外に出る。
ひそひそ声が遠くなり、そこでようやく一息ついた。
「座れ」
近くの段差を指さすと、明日香は素直に腰を下ろす。
「明日香。体育でダンクはダメだ」
はっきり言うと、明日香は少しだけ唇を尖らせる。
「でも、ちゃんと点は入ったわ」
「そういう問題じゃない」
「ルール違反ではないでしょう?」
「バスケの話しをしてるんじゃない。普通の女子高生から動きがかけ離れてるって言ってるんだ」
「普通……」
明日香はまたその言葉を噛みしめるように呟いた。
それはまだ、明日香にとっては難しい言葉なのかも知れない。
普通に起きる。
普通に学校へ行く。
普通に授業を受ける。
普通に体育をする。
どれも俺たちには当たり前なこと。だが、明日香にとっては加減がわからないことばかり。
それでも言わないわけにはいかない。
「明日香の身体能力が高いのはわかった。けど、あれを体育でやると目立ちすぎるし、周りもびっくりする」
「でも、阿野さんは褒められていたわ」
「阿野さんの上手さは普通の女子高生の範囲だ。部活でバスケやってるから他の子と比べて上手いんだよ」
「でも……」
責められていたはずの明日香の眼つきが、微かに吊り上がる。
「伊吹くん。阿野さんを見て可愛いって言っていたでしょ?」
「なんだ急に。何の話だ」
「友達と一緒に話してたでしょ?」
「あぁ? ……ああ、そんなこともあったか。って言うか聞こえてたのか?」
「見ればわかるわ」
何をどう見ればわかるんだ。明日香なら口を動きでわかったとか、そういう系か?
「それがダンクとなんの関係が」
――いや、違う。明日香の表情を見て気づいた。
「もしかして、さっきのダンクって」
「別に」
明日香はぷいっと視線を逸らした。
「私もちゃんとできるところを見せたかっただけ」
「誰に」
「……伊吹くんに」
小さい声だった。
体育館の中の音が遠いせいか、その声だけ妙にはっきり聞こえた。
俺は何を言えばいいのか考えた後。
「何かを真剣にやってる人ってカッコよく見えるだろ? 阿野さんはバスケ部だし、活躍してたところで浅野に聞かれたから可愛いって言っただけだ。別に恋愛的な意味はないからな?」
ああもう、なんで俺は明日香にいい訳みたいなことを言ってるんだ。自分で自分が何に対して、なんの言い訳をしてるのかわからなくなる。
「じゃあ、私もかっこよかった? 凄いジャンプして点を決めたけど」
「それは……」
思い返す。体育館の真ん中で、明日香の体がふわりと浮いた瞬間を。
銀色の髪を揺らしながら迷いなくリングへ向かっていく姿。
普通の体育では完全にアウトだった。目立ちすぎだし、靴も壊したし、どう考えても注意しなきゃいけない。
けれど、空中でボールを叩き込んだ明日香は、悔しいくらい絵になっていた。
「……まあ、かっこよかった」
答えると、明日香の表情が少しだけ明るくなる。
「でもダメだ」
「そこは変わらないのね」
「あれは勇者が出来ることだ。普通の女子高生はできない。阿野さんだってあれはできない」
明日香は不満そうにしたが、それでも少しだけ嬉しそうでもあった。
注意してるのにこういう顔をされると、調子が狂う。
「なになに? 楽しそうなことしてるじゃん」
その時、体育館の扉が開いて相沢が顔を出した。金色の髪を揺らしながら、にやにやとこちらへ近づいてくる。
「なにしにきた」
「楽しそうだったからからかいに」
「今すぐ戻れ。まだ授業中だろ」
「はいはい。戻りますよーっと」
言いながら、相沢は俺の言葉を無視して明日香の隣にしゃがみ込んだ。
「靴、壊れちゃった感じ?」
「ええ。少しだけ」
「さっきのジャンプ凄かったからねえ。靴もびっくりしたんだよ。『そんなの聞いてないんですけど!?』ってなったんだと思う」
「そんなわけあるか」
「靴に悪いことをしてしまったわね」
「真に受けるな」
俺がそう言うと、相沢はけらけら笑う。
「でもマジですごかったよ。体育館が一瞬止まったもん」
「相沢さんもそう思う?」
「思う思う。あたしには明日香ちゃんの背中に羽が生えたように見えたよ。ばっさ~って羽を広げてどっかに飛んでっちゃうのかと思ったもん」
「背中に羽だなんて。私は天空魔法は使えないわよ。羽を生やすとなれば使者との契約が必要になるから」
「ど、どっちも何言ってんだ! 妄言はそこそこにしろ」
不用意な発言するなと明日香を睨むと、明日香は頷く。
「天空魔法?」
「ご、ごめんなさい。伊吹くんの部屋にあった小説にそういう文字があったから」
「なに!? 明日香ちゃんアニメとかラノベ行ける感じ!?」
身を乗り出す井沢の首根っこをすぐさま掴む。
「相沢、いまそういうのは無しにしてくれ。それどころじゃないし、授業中だ。ともかく。明日香、運動する時は怪我しないように気を付けること。いいな?」
「うん。わかったわ」
申し訳なさそうに頷く明日香に。
「そんな怒らないであげてよ。明日香ちゃん、西条にいいところ見せたかっただけなんだから」
「なっ」
明日香の肩がわかりやすく跳ねた。
相沢はそれを見て、満足そうに頷く。
「やっぱり」
「別に伊吹くんに見せたかったわけじゃなくて……。阿野さんがカッコよかったから、私もって思っただけで」
「西条にカッコいいところ見せたくなったの?」
「それは……」
言葉に詰まる明日香に。
「相沢、茶化すな。さっさと授業に戻れ」
「へぇ~い。明日香ちゃん、しっかり内面も可愛いんだから」
「相沢」
釘を刺すように睨むと、相沢はなぜかウィンクをしてきた。
なんだよそれ、どういう意味だよ。
その時、体育館の扉がまた開いた。
「あの、神谷さん」
短く結んだ髪に、活発そうな目。
「阿野さん」
明日香が顔を上げる。
阿野さんは少し緊張したように、それでも目を輝かせていた。
「さっきの凄かったよ! 神谷さん、バスケ経験あるの?」
相沢に続いて阿野さんまで……。
次々と出て来る問題に頭が痛くなってくる。
「いいえ。今日が初めてよ」
「あれで初めてなの!? 神谷さん、バスケ部に入らない? 見学だけでもいいから!」
「バスケ部……」
「うん。今の跳躍力、本当にすごかったし。ドリブルとかシュートは練習すればいいし、神谷さんなら絶対すぐ上手くなると思う! 即レギュラーだよ!」
阿野さんは真剣だ。そこに悪気はない。純粋に明日香をすごいと思って声をかけている。
明日香がこちらを見上げて来る。
俺はどうしたもんかと悩んだ後。
「まだ明日香に『部活動』を説明してないから、いま答えるのは難しいか」
「説明なんていらないよ! 毎日20時までバスケをする! わたし達と一緒に汗水流して青春を謳歌する! ただそれだけ!」
目を輝かせて明日香の手を取り、阿野さんは目を見つめる。
「どう? わたしと一緒にバスケやらない?」
明日香は阿野さんと目を合わせた後。少し迷ってから、申し訳なさそうに首を横に振った。
「ごめんなさい。まだ日本に来て間もなくて、家の事も落ち着いていないから。毎日その時間までバスケをするのは難しいわ」
しっかり答える明日香に。
「そっか……」
阿野さんは少し残念そうにした。だが、すぐに笑う。
「じゃあ、落ち着いたら見学だけでも来てよ。無理に入れとは言わないから」
「ええ。その時はお願いするわ」
「待ってるからね!」
阿野さんはそれだけ言って、体育館へ戻っていった。
その背中を見送りながら、相沢が口笛を吹く。
「明日香ちゃん、モテモテじゃん。バスケ部からスカウトとか」
「スカウト……。そういうことになるの?」
「なるなる。スポーツ漫画ならここから全国編」
「全国編?」
「相沢、また変なものを始めるな」
俺が止めると、相沢は肩をすくめた。
「でもまあ、よかったんじゃない? 無理に入れって言われたわけじゃないし」
「ええ。阿野さんもいい人ね」
「うちのクラスいい子が多いんだよね」
「そうね。少しずつわかってきたわ」
明日香はそう言って小さく笑う。
体育館の中から笛の音が聞こえる。そろそろ戻らないといけない。
「とりあえず今日は見学な」
「ええ。靴が壊れてしまったものね」
「あとダンクは禁止」
「わかっているわ。ダンクは封印」
言いながら、明日香は少しだけ笑った。
笑うな。重く受け止めろ。
体育館の中は、まだ騒がしい。
けれど明日香は、その騒がしさを前ほど怖がってはいない。
普通になるための練習。それがどれだけ必要なのかはわからない。
でも、少なくとも明日香は今、ちゃんとその中に入ろうとしている。
壊れた靴を手にしながら、俺たちは体育館へ戻った。




