第15話 休まる時間
授業中、明日香は姿勢よく座り、教師の話を真面目に聞いていた。見た目だけなら完璧な優等生だ。
ただ、板書を写す手は遅い。
特に漢字が出てくると手が止まる。そのたびに俺が小声で読み方を教えると、真剣な顔で頷き、プリントの端に小さく読み仮名を書いていた。
そして昼休み。
チャイムが鳴った瞬間、隣から小さいため息が聞こえてきた。
だいぶ疲れている人のする息だ。
「大丈夫か?」
「ええ。少しだけ疲れたけどね」
明日香がこっちを見て微笑むが、疲弊しているのは一目瞭然である。
「授業を受けるのって魔物を倒すより難しいわ」
「比較対象がおかしいぞ」
「剣を振り回す方が私にはあってるかも。ジッと座って話しを聞き続けてるだけなのに、疲れが酷いもの」
背伸びをしながらそんなことを言う。
授業は真面目に受けていたように見えたが、内心は窮屈だったのかも知れない。慣れない授業、慣れない教室、慣れない視線。疲れるのもしょうがないか。
どうにか昼休みだけでも休ませてやりたいところだが。
「あの、神谷さん。お昼どうするか決まってる?」
その時、近くにいた女子が声をかけてきた。
「お昼? えっと」
明日香が横目でこちらを窺い見る。
一緒にご飯を食べて仲を深めてこい、なんて。今の疲れ具合を知りながら言えるはずがない。
「弁当もってきてるから、今日は初日だし静かなところで食べるか。学校にも慣れてないしな」
口を挟んだ俺に女子は少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「あ、そっか。ごめんね、神谷さん」
「誘ってくれてありがとう。また今度、一緒に食べましょう」
明日香が丁寧に返すと、女子は嬉しそうに笑って自分の席へ戻っていった。
それを聞いていた前の席から相沢が振り返る。
「保護者やってるねえ~。やっぱ西条にはママミを感じる」
「感じるな」
「ま、正解だと思うけどね。明日香ちゃん、だいぶ疲れてるみたいだし」
「そういうことだ」
言いながら俺は立ち上がる
「ちなみにあたしのお弁当は?」
「相沢に作ってもってきたことはねえだろ」
「そうでした」
相沢も財布を取り出し立ち上がる。
「じゃあ明日香ちゃん、静かな場所でゆっくり休んで」
「そうするわ。ありがとう、相沢さん」
相沢は手を振りながら、友達の方へかけていく。
「じゃあ俺達も行くか」
「行くって、どこへ?」
「静かで視線がないところ」
明日香は少しだけ不思議そうにしながらも、素直についてきた。
教室を出て、廊下を進む。
昼休みの校舎は、朝とは違う騒がしさがあった。弁当を持って移動する生徒。購買へ向かう生徒。廊下で友達と話し込む生徒。明日香はその一つ一つを目で追っていたが、朝ほど警戒はしていない。
少しずつ慣れてきたのか、或いは警戒する余裕がないのか。
俺が向かったのは、家庭科室。
「ここは?」
「家庭科室。調理実習とかで使う部屋だ。料理部の部室でもある」
「料理部……」
その単語に、明日香の目が少しだけ輝いた。
わかりやすい奴め。
昼休みなので誰もいない。窓から入る光が調理台を照らし、ステンレスの流しが光っている。外から聞こえる音は遠く、静かで落ち着く空間だ。
「本当は使っちゃダメなんだけど。部員の特権だな」
「伊吹くんは料理部に入ってるの?」
「幽霊部員だけどな」
「幽霊? 伊吹くんってアンデット属性だったの?」
なんだよアンデット属性って、知らねえよ。真面目な顔してそんなこと言うな。
「私が聖職者だったら大変なことになってたわよ?」
「そういう意味じゃなくて。所属はしてるけど活動してない部員の事を幽霊部員っていうんだよ」
「なるほど。聖職者の祈りは死への歪みを浄化し、魂を本来あるべき眠りへ戻す。つまり、そういう意味で幽霊部員と呼んでいるのね」
「全くわからん納得の仕方だな……。まあ人数合わせってやつだ。来なくてもなにも言われないから、席だけおいてる」
俺は鞄から弁当箱を二つ取り出して机に並べる。
「たまに顔出して、先輩が作ったご飯を食べて帰ることはあるけどな」
「素敵な部活ね。私も入りたいわ」
「理由は不純だけど、それを聞いたら部員も喜ぶよ」
万年人数不足で頭を抱えているような部活だ。俺もしつこくお願いされてたから、幽霊部員であることを条件に名前を載せているだけ。
来なくても何も言われないし、昼にこうして家庭科室を自由に使えるからメリットだらけだ。たまに試食を頼まれて、腹がパンパンになることもあるけど、明日香からしたらご褒美かも知れないな。
「そんなことより、早く食べようぜ」
弁当の一つは俺の分。もう一つは、明日香の分だ。
明日香がそれを見て、蒼い目を丸くする。
「もしかして私の分も?」
「当たり前だろ。残り物と作り置きだけどな」
弁当を広げる。おにぎりが二つ。卵焼き。焼き鮭をほぐしたもの。きんぴら。ウインナー。隙間を埋める冷凍のブロッコリー。デザートのバナナ。セットしておいた電気ケトルが鳴ったので、お椀にインスタント味噌を入れてお湯を注ぐ。
大したものじゃない。朝食の延長みたいな弁当と味噌汁だ。
けれど、明日香は身を乗り出して目を輝かせていた。
「すごい……」
「朝と同じようなもんで悪いが、これで我慢してくれ」
「我慢だなんてとんでもないわ。ご馳走よ」
「そう言ってもらえると嬉しいが」
「お昼休みって最高ね」
「……まあ、明日香がそう言ってくれるなら、それでいいか」
裏のない声でそう言ってくれるなら、卑屈になることもないか。
明日香は弁当を前にして、姿勢を正す。
「いただきます」
「いただきます」
明日香はまず、おにぎりを両手で持った。
昨日から何度も思っているが、食事の前だけ神妙な顔をする。戦いに挑む前のような真剣さだ。サムライと言っていいレベル。あっちの世界にサムライがあったかは知らないが。
そして、一口。白い頬が、すぐに緩んだ。
「……おいしい」
「米握っただけだぞ」
「でも、塩味がちょうどいいわ。あと、中に何か入ってる」
「こんぶだ。朝にはなかったやつだな」
「こんぶっ!」
明日香はもう一口食べる。噛むたびに、目元が柔らかくなっていく。教室で緊張していた顔とは全然違う。完全に食べ物で回復している。
なにが『こんぶっ!』 だよ。まあ可愛いから許すとしよう。
卵焼きを食べると、明日香は少しだけ目を細めて満足そうに天を仰ぐ。
「甘さが身体に沁み渡るわ……」
「朝も食べただろ」
「何度食べたっていいもの!」
「そりゃよかったよ」
どんなテンションだよ、と突っ込みたいところだが、無粋なことは止めておこう。
家庭科室は平和だ。廊下から聞こえて来るざわめきは遠い。窓の外から部活の掛け声が少し聞こえるくらいだ。視線も全く感じない。ここだけ別の場所のように感じる。
明日香もそれを感じているのか、さっきよりずっと落ち着いている。味噌汁を飲んでる姿は、縁側でボーっとしている老人のようだ。
「教室は疲れたか?」
「少しだけ。とは言えないわね。本当はかなり疲れたわ」
味噌汁を飲み干して、ふぅーと深い息を吐く明日香。
「相沢とは打ち解けてるように見えたけど」
「ええ。相沢さんは、他の人と少し違うかも」
「そうか」
卵焼きを食べながら思う。
『レイナって奴に似てるのか?』と。
だけど、それを今ここで問うのは違う気がした。
「ま、相沢は悪いやつじゃない。仲良くなると面倒だけどな」
「面倒なの?」
「かなり。とくに明日香にとってはさらに面倒になるぞ」
相沢のことだ。絶対、明日香に趣味のオタク活動を普及した挙句、コスプレを強要してくるに違いない。特にあいつは銀髪のお姉さんが大好きな奴だ。
……そう考えると、あまり仲良くならない方がいい気がしてきた。
「そうなの? 優しい人だと思うけど」
「あってはいるな。明るくて優しい奴だよ」
「面倒だけど?」
「面倒なんだよ」
正直に伝える俺に、明日香は小さく笑う。
「伊吹くん、相沢さんのことをよく見ているのね」
「あいつとはなんだかんだ長いからな。中学からだから……。もう4年ぐらい一緒にいるか? ずっと同じクラスでな。お互いに不思議がってるよ」
「……そう」
間が空いた、少し籠った返事。
見ると、明日香は少しだけ頬を膨らませた。その仕草が妙に年相応で、朝の教室で見せた凛々しさとは違っている。
緊張している明日香より、こういう明日香の方が、やっぱり、見てて落ち着くな。
「どういうリアクションだよ、それ」
「早くご飯を食べたいってリアクションよ」
明日香は最後のおにぎりを口に入れると、手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
「満足できたか?」
「ええ」
明日香は返事をした後、部屋を見渡し。
「家庭科室って、いい場所ね」
「飯があるからか?」
「それもあるけど」
明日香は少しだけ照れたように笑った。
「静かで、伊吹くんと二人でいれて、ご飯がおいしいから」
「……そいつはどうも」
それ以上、まともに返せなかった。
昼休みの家庭科室。弁当を食べるだけの時間。
けれど、明日香にとっては、慣れない学校の中でようやく息がつける場所になったらしい。
それなら、まあ。幽霊部員でよかったと、思ってもいいのかもしれない。




