第13話 知らない名前
「神谷は帰国生だ。文化の違いとかいろいろあるだろうから、困っていたら助けてやってくれ」
担任がそう説明すると、明日香は丁寧に頭を下げた。
「よろしくお願いします」
その声は落ち着いていた。
昨日の夜、眠れないと言っていた明日香。朝、寝ぼけて俺に手を引かれていた明日香。信号を拘束魔法扱いしていた明日香。
それを知っている俺からすると、今の凛とした姿は不思議に映る。
ちゃんと外向きの顔を作れているんだな。
元勇者として人前に立つ機会があったのか、それとも単純に根が真面目なのか。たぶん両方な気もするけど。
「それじゃあ席だが……」
担任は教室を見渡し、すぐにこちらへ視線を向けた。
「神谷の席は、西条の隣な」
やっぱりか。まあ母さんが先生には話してそうだしな。どこまで話してるかまでは知らないけど。
そんなことも知らないクラスメイトがざわつく。
「西条の隣?」
「まさかもう手を付けてるんじゃねえよな? ずりい」
「朝一緒に登校してたらしいから知り合いなんだろ」
ひそひそ声があちこちから聞こえて来る。
前の席の相沢が、こちらを振り返り、ニヤニヤと笑みを浮かべる。
顔がものすごく楽しそうだった。
「答え合わせは?」
「親戚だよ。従妹」
「っちぇ。幼馴染みでも勇者でもなかったか。残念」
相沢は小声でそう言いながらも前を向く。
いや、勇者ではあったらしいから、本当は大当たりなんだけどな。
「オレの方から説明しとくが、西条と神谷は親戚だ。お前ら、あんまり二人のことをとやかく言うなよ」
気を利かせてくれた担任と目が合う。ニッと白い歯を見せて親指を立ててきた。
その眩しい笑顔は、ありがたいけど少し鬱陶しい。
それでもクラスメイトは納得の言葉を漏らした。
「親戚って、似てないけどね」
「兄弟でも似ないことあるんだから、そりゃ似ないのなんて当たり前じゃね?」
「そんなもんか」
その言葉を聞いて、担任が明日香に指示を出す。
「じゃあ神谷、学校に慣れるまでは西条に色々聞いてくれ。あいつは冷めてるように見えて、意外と面倒見がいい奴だからな」
余計なこと言うな。
「はい。伊吹くんが優しいのは知ってるので大丈夫です。こっちに来てからよくしてもらっているので」
真っ直ぐな言葉。
だが、その言葉に教室が静まり返る。
担任の目を見てそう伝える明日香に、動揺はない。
逆に伝えられた担任が面食らっている。
バカ野郎、そういうことは言わんでいいんだ。素直なんだから正直なんだか知らんが……。明日香らしいと言えばそれまでだけど。
「先生? どうしたんですか?」
面食らった担任に明日香が呼びかけ。
「あ、いや。そうか。そうだな。西条と神谷は従妹だから、俺より西条については詳しいか。……西条も頼んだぞ」
「わかりました」
こうなったらそう返すしかない。
「伊吹って、西条の名前だよな? 名前呼び?」
「従妹なんだから名前呼びなんて普通だろ。……普通だよな?」
「わからん。神谷さんが可愛すぎて、親戚の距離感がわからん。とりあえず西条はようチェックしとかないといけないな」
チェックする必要ねえだろ。海外から転入してきた親戚の面倒みるだけだっての。
「伊吹くん、さっきぶり」
気付けば明日香がすぐ目の前に立っていた。
「また会えてよかった」
近くの席には普通に聞こえるくらいの声。
緊張していたのか、ほっと息を吐くと表情が和らぐ。
教室がまたざわつく。
「とりあえず席に付け。先生、進めてください」
「お、おう。それじゃ、ホームルームを始めるぞ!」
担任が話し始めると、教室が静かになり、視線が薄くなる。
それでも小さい声と、視線は感じるが。
「大丈夫? 伊吹くん。少し疲れてるみたいだけど」
「あー……。いや、大丈夫だ。それより明日香、もう少し隠した方がいいぞ」
「隠した方がいい? なにを?」
「なにをと言われると難しいんだが」
説明するのが難しい。
別に明日香が変な事を言ったわけじゃないし、俺達は従妹だ。その関係を隠す必要なんてない。普通の喋るのだって当たり前のこと。だが、それを見せつける必要はないっていうか、仲がいいですって雰囲気を悟られたくないというか。
それをうまく明日香に伝えるのが難しい。
「ああ、いや。大丈夫だ。忘れてくれ」
「そう? ならいいけど」
説明を諦めたところで、前の席から背中越しに声が飛んできた。
「西条。あとで詳しく」
「あとでな。来年あたりでいいか?」
「今からでもいいけど?」
「黙って担任の話しを聞いてろ」
「はいはい」
なにが嬉しかったのか、相沢は肩を揺らして笑う。
こいつ、やっぱり面倒だな。なんて思っていると、隣から視線を感じた。
その犯人は明日香である。
「……なんだ?」
「あっ、いえ。親し気に話してたから」
「気のせいだ。今は担任の話しに集中しとけ」
「気のせいってなに? 失礼な奴。親しいでしょ? あたしと西条は」
言いながら相沢が振り返る。
「友達なんてもんじゃない。マブダチでしょ? あたしたち」
「今時聞かないぞマブダチなんて」
「そう? 昨日見たアニメで使ってたけど」
「すぐ影響されるな、相沢は」
相沢は小さく笑ってから、明日香の方へ向き直った。
「レイナ」
声とは言えない、息のような声量だった。
それでも、隣にいる俺には聞こえた。
明日香は目を見開いて相沢を見ている。金色の長い髪。少し着崩した制服。明るそうな顔立ち。
「えっ? あたしの名前呼んだ? いきなり名前呼びとか意外と軽い感じなの? 明日香ちゃんって」
相沢はし返すように明日香を名前で呼ぶ。
「ってかなんであたしの名前知ってるの?」
相沢が首を傾げる。
違う、相沢。明日香はお前の名前、『玲奈』って呼んだわけじゃない。
レイナって呼んだんだ。
明日香の蒼い目に浮かんでいた驚きが、すぐに薄れていく。代わりに、いつもの真面目な顔へ戻った。
「ごめんなさい。私が住んでいたところでは名前で呼ぶのが当たり前だったの。日本だと苗字呼びが普通なんだったかしら?」
「まあそうだね。……へぇ~。やっぱ海外って違うんだ、おもしろ。あたしのことは名前呼びでいいよ、玲奈って呼んで。あたしも明日香ちゃんって呼ぶから」
「そう?」
明日香は少し悩んだ後、首を振る。
「いえ。今は日本の文化を勉強したいから、苗字で呼ばせてもらうわ。相沢さん」
「ちぇ、残念。あたしのこと名前で呼んでくれる人いないから、名前呼びの方が嬉しかったのに」
俺は二人のやり取りを黙って見ていた。
明日香はすぐに平静を取り戻したように見える。
けれど、ほんの一瞬だけ見せた顔が引っかかっていた。懐かしそうで、驚いていて、少しだけ痛そうな顔。
レイナ。
それが誰なのか、俺は知らない。
ただ、明日香の中でその名前が簡単に流せるものではないことだけは、なんとなくわかった。
相沢はそんな空気に気づいているのかいないのか、いつもの軽い調子で明日香へ手を振って前を向く。
担任の話しが頭に入って来ない。
隣には、元勇者。
前には、勘の鋭い隠れオタク。
そして俺は、なぜかその二人に挟まれるような位置にいる。
どうやら俺の平穏な学校生活は、今日からかなり難しくなるらしい。




