第11話 違和感だらけの初登校
鍵を閉めていつもの通学路を進む。普段より早い時間だからか、制服姿の生徒はまだ少ない。見かけるのは、犬の散歩をしている老人や、駅へ向かう会社員。あとはランドセルを背負った小学生が数人。
俺にとっては、何も変わらない朝。
だが、隣を歩く明日香は、不思議の国に迷い込んだかのように周囲を見ていた。
魔物がいるような異世界から見れば、日本なんて不思議の国なんだろうけど。
「みんな武器を持っていないのね」
真面目な顔してそんなこと言うな、怖いから。
「持ってたら捕まる。日本にはそういう法律があるからな」
「でも、こんなに無防備に歩いていて大丈夫なの? 魔物が出たら」
「魔物はいないんだって」
「そう……。建物が多くて見晴らしが悪いわね。地理がに詳しくないうちは常に警戒しておかないと」
「話し聞いてる?」
言いながら、俺は明日香を見る。
ブレザーの制服に、黒いニーソックス。銀色の髪が風に流され綺麗に靡く。さっき家で見た時も思ったが、やっぱり目立つ容姿をしている。
だが、本人はそれどころじゃないらしく、通りの向こうや建物の影をじっと確認していた。
「警戒しすぎだろ。大丈夫だって」
「わかってるけど、癖なのよ」
明日香は少しだけ気まずそうに目を伏せた。
「向こうでは安全なんてことはなかったもの。人が多い場所ほど、紛れて近づいてくる相手もいたし」
「敵は魔物だけじゃなかったってわけだな」
返しながら、俺は余計な事を言うのをやめた。明日香にとって、それが当たり前の世界だったんだ。昨日の夜も、安全すぎる場所が逆に落ち着かないと言っていた。
なら、この平和な通学路だって、安心しろと言われて安心できるものじゃない。
「ま、。少しずつ慣れていけばいい。そのうちこの風景が当たり前になるだろ」
「……そうね。伊吹くんがそう言うなら、そうするわ」
しばらく歩くと、信号のある交差点に出た。
歩行者用の信号は赤。俺はいつも通り足を止める。
だが、明日香は不思議そうに信号を見上げていた。
「ここは止まるの?」
「赤だからな」
俺は赤信号を指さす。
「この光にそんな効力があるの? 拘束魔法の部類かしら?」
「いや、あれはただの光で、そういうルールになってるだけだ。だからそんな身構えなくていい」
明日香は腰を低くして赤信号を睨みつけている。癖なのか、腰元で何かを握ろうとした指が空を切った。
やめろ、剣を抜こうとするな。あと信号に対してそんな目を向けるな。幻覚でおかしくなった奴だって職質されてもおかしくないぞ。
ちょうどその時、目の前に車が走ってきた。
明日香の反応は違った。
「伊吹くん」
名前を呼ばれた直後、明日香が俺の前に出ようとした。
考えるより先に、俺は彼女の手を取って引っ張る
「待て」
「えっ?」
明日香の体が止まる。一歩前へ出かけた足が、ぎりぎり歩道の内側で止まった。
車が俺たちの前を通り過ぎていく。明日香はそれを見送りながら、目を瞬かせた。
「……今のは?」
「車」
「知ってるわ。父さんに乗せてもらったもの」
「なら、なんで前に出ようとしたんだよ」
「伊吹くんの方に向かってきたから」
「道に沿って走ってただけだ。俺を狙ってたわけじゃない」
「そうなの?」
「そうだよ。むしろ明日香が前に出る方が危ない」
俺は掴んでいた手を離す。
離してから、少しだけ指先に感触が残った。細くて、でもどこか硬さのある手。昨日も今日の朝も触れたはずなのに、いちいち意識してしまうのはどうにかしたい。
明日香は自分の手を見て、それから俺を見る。
「……ごめんなさい」
「別に謝ることじゃない」
「でも、止めてもらわなかったら前に出ていたかもしれない」
「そうなったら俺が怒られる」
「伊吹くんが?」
「保護者みたいなもんだし」
言ってから、少し違うかと思った。
保護者ではない。従妹で、同居人で、今日から同級生。なのに、なんでか世話を焼く流れになっている。
明日香は何かを考えるように俺を見てから、少しだけ頬を緩めた。
「じゃあ、保護される側として気をつけるわ」
「ああ、頼むぞ。……まあ、帰ったらいろいろ勉強だな」
呆れて前を見る俺に、明日香は小さく笑った。
信号が青に変わる。
「青だ。渡るぞ」
「そういうルールなの?」
「ああ。青信号は渡れ、赤信号は止まれ。ルールを守らない奴もいるから、気を付けて渡って、気を付けて止まった方がいいな」
横に並んで歩き出す。
交差点を渡り終えたあたりで、前方から小学生の集団が歩いてきた。ランドセルを背負いながら、楽しそうに話している。
その子たちの視線が、明日香で止まった。
「見られてるわね」
明日香が顔を少し寄せて囁く。
「明日香は目立つからな」
「目立つ? どういうこと?」
不安そうな声だった。自分が変に見られているのかと、そう思ったのかもしれない。
俺が何か返すより先に、小学生たちの声が聞こえてきた。
「ねえ、あのお姉ちゃん髪すごい」
「きれいだねー。お人形さんみたい」
「かわいいー。外国の人かな?」
悪意のない、素直な声だった。
明日香はぴたりと固まる。警戒していた顔が、一気に崩れた。頬にじわっと赤みが広がり、視線がうろうろと泳ぎ始める。
「……伊吹くん」
「そういう理由で注目を集める」
「そういう理由……」
明日香は小学生たちの方をちらりと見た。
女の子たちは、明日香と目が合った瞬間、少し照れたように手を振った。
明日香は一瞬どうすればいいのかわからない顔をしたあと、ぎこちなく手を振り返す。すると、小学生たちは嬉しそうに笑って走っていった。
「敵意はなかったわ」
「そりゃそうだろ」
「でも、見られるのは少し落ち着かないわね」
「慣れるしかないな。たぶん明日香はかなりの人に見られることになる」
「なんで?」
「さっき子供たちが言ってただろ。なにもそれは子供だけが抱く感情じゃない」
「ん? それってつまり……」
そう言うと、明日香は足を止めて不思議そうに首を傾げた。
「そこで悩むな。早く行くぞ」
「ちょ、ちょっと待って!」
そんなことを話しているうちに、学校が見えてきた。
校門の前は、まだ人が少ない。朝練らしい運動部の生徒が何人かいるくらいで、普段の登校時間に比べれば静かだった。
明日香は校舎を見上げて、深呼吸を挟む。
「ここが、学校」
「ああ。今日から明日香が通う場所だ」
「騎士学校とか魔法学園と違って血の匂いがしないわ。……普通の建屋ね」
「普通の学校だからな。それらと比べるのはおおげさ過ぎる」
「私にとっては大げさじゃないの」
明日香はそう言って、自分の胸にそっと触れた。
「行ってきますって言ったからには、ちゃんと帰ってこないとね」
その言葉に、少しだけ返事が遅れた。
学校に行くだけだ。普通なら、そんな重く考えるものじゃない。
でも明日香にとっては、どこかへ行って、ちゃんと帰ってくる。それだけのことに意味があるのかも知れない。
「なら、まずは無事に初登校を終わらせないとな」
「ええ」
校門をくぐると、明日香の背筋がすっと伸びた。さっきまで信号相手に真剣な顔をしていた子とは違う。凛とした立ち姿。緊張しているのに、それを表に出しすぎないようにしている。
元勇者らしい、と少し思った。
だが、職員室前まで来ると、さすがに表情が硬くなった。
「ここだ」
俺は扉の前で足を止める。
中からは先生たちの話し声や、紙をめくる音が聞こえてくる。
「俺はここまでな」
「えっ?」
明日香がこちらを見る。
「一緒に入らないの?」
「先生には話が通ってる。俺は先に教室へ行く。ホームルームでまた会うだろ」
「そう……」
不安そうに目を伏せる。だが、すぐに顔を上げた。
「普通の学生になるんだもの。最初の挨拶くらい、1人でできないと」
「頑張りすぎるなよ」
「難しいことを言うのね」
苦しそうに笑う明日香に、俺は腰を軽く叩く。
「安心しろ。なにしたって死ぬことはない。あと、教室に来たら俺もいる」
「ええ。行ってくるわ」
「行ってらっしゃい。って、これは違うか」
「違わないわ」
明日香は緊張しながらも微笑む。
その笑顔を見て、俺は職員室の前から離れる。
廊下を歩き出し、角を曲がる前に一度だけ振り返った。
明日香は職員室の扉の前に立っていた。緊張した顔で、それでも背筋を伸ばしている。
そして、ゆっくりと手を上げた。
コン、コン。
小さなノックの音が、朝の廊下に響いた。
どうやら元勇者は、ちゃんと1人で最初の扉を開けるらしい。




