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異世界帰りの元勇者な従妹と同居することになりました ー世間を知らない彼女をお世話しますー  作者: すなぎも


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第10話 朝の挨拶

 明日香の手を引いてリビングに戻ると、食卓にはまだ朝食の湯気が残っていた。


 白飯。味噌汁。卵焼き。焼き鮭。ウィンナー。きんぴら。味のり。我ながら平日の朝にしてはそれなりに整っている。


 俺は椅子を引き、明日香を座らせた。


「ほら。座れ」


「……ん」


 明日香はまだ少し寝ぼけた顔のまま、言われるがまま椅子に腰を下ろした。背筋は一応伸びているが、目元はとろんとしている。


 明日香に倒された魔物たちは、今の寝坊助明日香を見てどう思うのか。


 だが、食卓の前に座った瞬間、明日香の鼻が小さく動いた。


 すん、と味噌汁の香りを確かめる。次に焼き鮭の匂いへ視線が向かい、最後に卵焼きの皿で止まる。そこで、明日香の目が少しずつ開いていった。


「……ご飯。朝ごはん!」


「ようやく起きたか」


「伊吹くん、これ全部食べていいの!」


 真剣な顔だった。


 寝起きのぼんやりした顔から一転して、食事を前にした明日香は完全に覚醒しかけている。いや、覚醒する理由が食欲なのはどうかと思うけど。


「もちろんだ。っていうかさっさと食べるぞ。遅刻する」


 そう言うと、明日香の表情がぱっと明るくなった。


「いただきます!」


 さっきまでの眠そうな声とは違う。急にしっかりした声で手を合わせ、まず味噌汁を一口飲んだ。瞬間、頬がほわっと緩む。


「……あったかい。それに優しい味がする。朝に飲むものって感じがするわ」


「朝用だから塩分は控えめだ。少し薄いか?」


「全然。むしろ寝起きにはこれぐらいが美味しく飲めるかも。……こういう調整もできるのね」


「俺の好みで味付けしてるだけだ。注文があったら言ってくれ」


 別に大したことじゃない。母さんが忙しいから、できる事をやっているだけだ。朝食なんていつもの流れで作っただけ。


 それでも明日香は、すごいものを見るように俺を見てくる。


 感心したように見られると、少しむず痒い。


「感想はいいからさっさと食べろ」


「そ、そうね」


 明日香は白飯を一口食べる。噛むたびに表情がやわらいでいくのがわかった。次に卵焼き。口に入れた瞬間、蒼い目が少しだけ大きくなった。


「甘い」


「甘めの方が好きかと思って」


「どうして?」


「あー……」


『明日香があまりに美味しそうに食べるから、思わず観察していた。そこからなんとなくな』


 なんてことを言うのは抵抗がある。それを知られるのは恥ずかしいし、聞かされた明日香も困るだろう。


 だから。


「西城家の料理担当は俺だからな。経験的にってやつだ」


 適当に誤魔化すと。


「経験……。経験則ってやつね。大事なことだわ」


 思い当たる節でもあったのか、明日香は頷いてから、改めて朝食に向き直る。


 白飯を食べ、味噌汁を飲み、焼き鮭を丁寧にほぐす。食べ方は綺麗なのに、速度だけはやたら早い。昨日も思ったが、不思議な食べ方だ。礼儀正しい食いしん坊という、新しいジャンルかもしれない。


「そんな急がなくてもいいぞ」


「急いでないわ」


「いや、だいぶ早いぞ。よく噛んで食べないと身体に悪い」


「遅刻するって伊吹くんが言ってたのよ?」


「そこは気にしてるんだな」


「もちろんよ。初日から迷惑はかけられないもの」


 そう言いながら、明日香は卵焼きをもう一切れ口に運んだ。


 頬がまた緩む。


 朝から美味しそうに飯を食っているだけなのに、妙に目が離せない。昨日から何度も思っているが、自分の作ったものをここまで幸せそうに食べられると、素直に気持ちがいい。


「伊吹くん?」


「いや、なんでもない」


 見すぎていたことをごまかすように、俺も味噌汁を飲む。


 朝食を終える頃には、明日香は完全に目を覚ましていた。


「ごちそうさまでした」


 きちんと手を合わせる姿は、寝起きの明日香とは別人だった。


「美味しかったわ。毎朝これが食べられるの?」


「毎朝とは限らないけど、できる限り飯は作るよ」


「そう……。日本ってすごいわね」


「日本というか、稼いでくれてる母さんのおかげだな」


「そうね。ありがとうございます、優香さん」


 明日香は手を合わせて頭を下げる。


「食べ終わったなら制服に着替えてくれ」


「そうね」


 明日香は立ち上がり、部屋へ戻っていった。


 俺はその間に食器を軽く流しにまとめ、時計を確認する。予定よりは少し遅いが、遅刻はしない時間帯。登校初日だからと早い時間に家を出ることを想定しておいて助かった形だ。


 数分後、部屋の扉が開いた。


「伊吹くん」


 呼ばれて振り向いた瞬間、俺は少しだけ言葉を失った。


 サイズが合ったブレザーに、白いシャツ。首元には赤いリボン。チェック柄のスカートの下には、膝上までの黒いニーソックス。銀色の長い髪が肩から背中へ流れていて、制服の落ち着いた色の中で目立っている。


 昨日までのジャージ姿とはまるで違う。


 ちゃんと高校生らしいのに、どこか現実離れしている。朝のリビングに立っているだけなのに、そこだけ切り取れば映画のワンシーンみたいだった。


 かなり似合っている。というか、普通に見惚れた。


 ハーフだから、異世界帰りだから、と言われればそれまでかも知れないが、日本人離れしている容姿をしている。


「……どうかしら。変なところ、ない?」


 明日香は少し不安そうに、自分のブレザーの裾をつまんだ。


 さっきまで朝食を幸せそうに食べていた子が、今は制服姿でこちらを見ている。その変化が、思っていた以上に心臓に悪い。


「似合ってるよ」


「本当?」


「ああ。ばっちりだ。今日から俺の同級生だな」


 彼女の容姿に当てられて、少し言葉が軽くなったか。


 明日香は一瞬きょとんとしたあと、白い頬をじわっと赤くした。


「そ、そう。ならよかったわ」


 照れたように視線を逸らす。その仕草がまた可愛い。


 ただ、そこで一つだけ気になった。


「ただ、一個だけ問題がある」


 俺は自分の髪の横を指で示した。


「寝癖が残ってる」


「っ!」


 明日香は慌てて玄関横の鏡を見た。


 銀色の髪の一部が、ぴょこんと外側へ跳ねている。制服姿が綺麗に決まっている分、その寝癖だけが妙に目立っていた。


「平和ボケってやつか?」


「いえ、前の世界でも寝癖を付けながら戦ってたわ」


「それはそれでどうなんだ……」


 寝癖のまま戦う勇者なんて見たことないぞ。


「でも、私はもう普通の女の子なんだから、こんなのよくない!」



 明日香は赤くなりながら、手で寝癖を押さえる。けれど、手を離すとすぐに戻る。


 ぴょこんと跳ねる。


「……」


 もう一度押さえる。離す。


 ぴょこん。


「伊吹くん」


「なんだ」


「これ、どうすればいいの?」


「貸してみろ」


 俺は洗面所から櫛を取ってきて、母さんがよく使っている寝癖直しを指先に付ける。


「動くなよ」


「了解!」


 明日香は素直に背筋を伸ばした。


 俺は自然なふりをして、跳ねた髪に触れる。昨日ドライヤーをした時にも思ったが、明日香の髪は細くて柔らかい。朝の光を受けると、一本一本が光って見える。


 寝癖直しを馴染ませて、櫛を通す。


 ただそれだけなのに、妙に意識してしまう。制服姿だからか。距離が近いからか。それとも、明日香が黙って俺に髪を任せているからか。


「上手ね。いつも自分で直してるの?」


「俺も母さんも寝癖はつくからな」


「じゃあ、私もこれからお願いしていい?」


「俺も母さんも自分でやってる。だから明日香も自分でやれ」


「……そう。ならそうすわ」


 少し残念そうにする明日香に。


「ま、学校に遅れそうな時だけならしてやるよ」


 そう言うと、明日香は嬉しそうに笑った。


 そんなやり取りをしながら、最後に櫛を髪に通す。


「よし。これで大丈夫」


 手を離すと、明日香は鏡を見て、ほっとしたように息を吐いた。


「ありがとう。助かったわ」


「初日から寝癖で登校するのも面白いけどな」


「そんなの絶対に嫌よ」


「じゃあ明日からはしっかり起きることだ」


 俺の皮肉に、むくれた顔をする明日香。


 それでもすぐに表情を戻した。鞄を手に取り、玄関で靴を履く。


 俺も靴を履いて、鍵を手に持って前を見る。いつも通りの動作だ。母さんは仕事で先に出ている。帰りもだいたい俺の方が早い。戸締りは沁みついている。


 だが、明日香は違った。扉を開ける前に、彼女は家の中へ向き直る。


 そして、照れたように、でもはっきりと言った。


「行ってきます」


 予想外のその言葉に、思わず動きが止まってしまう。


「どうしたの?」


「いや、今、行ってきますって」


「ええ。言ったけど」


「異世界にもそういうのあったのか?」


 何気なく聞いたつもりだった。


 それでも明日香は少しだけ目を伏せた。そして、照れたように小さく笑う。


「向こうじゃなくて、日本にいた時よ。父さんに教えてもらったの。家を出る時は、行ってきますって言うんだって。そうしたら、家にいる人が行ってらっしゃいって返してくれるから」


 その声は、どこか懐かしそうだった。


「『いってきます』。『いってらっしゃい』。元気にお家を出て、元気にお家に帰ってこられるようになるおまじないって……。私は暫く帰ってこられなかったんだけどね」


 どこか恥ずかしそうに、寂しそうに。明日香は笑いながら頬をかく。


「だから、向こうにいた時もずっと言ってたの。いってきますってね」


 明日香は少しだけ頬を赤くした。


 その顔を見て、俺は何も言えなくなった。


 俺は普段、行ってきますなんて言わない。


 朝は母さんが先に出る。帰りも母さんは遅い。ひとりで鍵を閉めて、ひとりで学校に向かう。だから、言う習慣がなかった。


 でも。


「……行ってらっしゃい」


 気づけば、そう返していた。


 明日香は驚いたあと、嬉しそうに目を細める。


「うん。いってきます」


「いや、俺も一緒に行くんだけどな」


「そうね」


 明日香はくすっと笑った。


「じゃあ、伊吹くんも」


「俺も?」


「言わないの?」


 そう聞かれて、俺は少しだけ迷った。言い慣れない言葉だ。けど、言って悪いものでもない。


 俺は玄関の奥へ視線を向ける。


「……行ってきます」


 小さく言うと、明日香が嬉しそうに頷いた。


「行ってらっしゃい。……私も一緒に行くけどね」


「そうだな。じゃ、行くか」


 そんなことを言いながら、俺たちは外へ出た。


 鍵を閉めて、朝の空気の中へ踏み出す。


 隣には制服姿の明日香がいる。寝起きは壊滅的で、飯に釣られて覚醒して、寝癖ひとつ直せなかった元勇者。


 けれど、家を出る時に「行ってきます」と言える女の子。


 それが妙に、可愛くて。少しだけ、眩しかった。

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