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第5話:夜に蠢く掃除人、あるいは慈悲深き魔王

 王都の夜は、欺瞞ぎまんあぶらで煮え返っている。

 勇者アリスが前線で命を削り、聖剣に心を食われているその裏側で、肥え太った貴族たちは酒を酌み交わし、「道具」である勇者の使い道を談笑していた。


「——その笑い声。少し、耳障りだな」


 聖教会の高層階、レオンの私室。

 窓から差し込む月光を遮り、漆黒の外套コートを纏った男が音もなく着地した。

 部屋の温度が、一瞬にして氷点下まで急降下する。


「な、何者だッ!? 警備兵はどうした!」


 聖騎士団長レオンが、酒杯を落として立ち上がる。

 だが、彼が腰の剣に手をかけるより早く、室内の「影」が生き物のように伸び、彼の四肢を壁に縫い付けた。影はただの束縛ではない。レオンの皮膚を焼き、肉を侵食しながら、骨を軋ませる。


「が、あぁっ!? この魔力……お前、まさか『あの時の魔王』か!?」

「……久しぶりだな、レオン。五年前、俺を『無能』と蔑み、村へ帰る馬車代を恵んでくれた時の威勢はどうした?」


 カイルはフードを脱ぎ、冷徹な紅い瞳を露わにする。

 その瞳に宿るのは、かつての温厚な農夫の面影ではない。深淵を統べる王の、底知れぬ狂気だ。


「カ、カイル……!? なぜお前がそんな力を……ま、待て! 話せばわかる! アリスならあそこにいる、好きにすればいい! 俺たちはただ、教皇の命令で——」


 レオンの言葉が、物理的に遮断された。

 カイルの指先が、レオンの喉元に触れる。

 瞬間、『深淵の浸食アビス・イレイザー』がレオンの体内に潜り込み、彼が誇りとしていた聖騎士の加護と魔力回路を、音を立てて食い潰し始めた。


「あ、が……ああああああッ!!! ぎ、あああああッ!!!」


 それは、魂を直接ヤスリで削られるような激痛。

 レオンの全身の毛穴から血が吹き出し、白銀の甲冑が赤黒く染まっていく。

 カイルはその絶叫を、心地よい音楽でも聴くかのように、無表情で見つめていた。


「殺すのは簡単だ。だが、それでは君がアリスに与えた苦痛の百分の一にも満たない」


 カイルはレオンの耳元で、死神のように囁く。


「君がアリスを『道具』と呼んだ、その口。……二度と、言葉を紡げないようにしてやろう」


 カイルの闇がレオンの口内へ侵入し、舌と声帯を「存在しなかったこと」にするように、分子レベルで消滅させた。

 レオンは声にならない悲鳴を上げながら、ただの「肉の塊」と化して床に崩れ落ちた。


「安心しろ。死なせはしない。……お前の汚職の証拠はすべて、明日の朝には国王の机に並ぶ。お前が蔑んだ『平民』たちと同じ牢獄で、声も出せず、魔力も持たず、ただ這いずり回って余生を過ごすといい」


 カイルは窓際に立ち、遠く離れた勇者の宿舎を見つめる。

 『鑑定眼・深淵』を通して見えるアリスの魂は、今夜も聖剣の毒に侵され、泣き叫んでいる。


「……もう少しだ、アリス。君を縛る鎖は、俺が一本ずつ噛み切ってやる。この手が、どれほど血に染まろうとも」


 カイルの影から、第一軍大将レイヴンが姿を現した。彼女の服もまた、返り血で濡れている。

「魔王様。教会の地下保管庫、および腐敗貴族たちの資産の接収、完了いたしました。……抵抗した者は、すべて『処理』済みです」

「ご苦労。……奪った金はすべて、戦災孤児たちの支援に回せ。王国ひかりが救わない連中を、俺たち(やみ)が救う。……邪魔をする者は、神であろうと屠る」


 夜風に消えていくカイルの背中は、誰よりも孤独で、そして誰よりも優しく——いや、誰よりも「おぞましい魔王」そのものだった。


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