28
東門前から伸びる南からの列に、小さな男の子と母親の二人連れがいた。母親は開いたばかりの門に気を取られている様子だ。しっかり繋いだ息子の手を離さない。
しかし男の子はその手を離し、空へと向けて上げる。
「母ちゃん……、誰か空飛んでるよ」
しかしそんな夢見る少年のような言葉は、母親には通用しない。
いつものことだと返事さえしなかった。
それよりも解かれた手の方が心配だ。
母親は目尻を上げて息子を叱る。
「人が多いんだから、手を離したら駄目だよ。はぐれてしまうだろう?」
「……」
息子は叱られてもう二度と露天市には連れて来ないと言われるのが嫌で、母親に視線を戻しその手をしっかりと繋いだ。
そのあとまた空を見上げたが、もう何も見えなかった。
「見間違いじゃない。俺、目いいもん」
小さく呟いたが母親には聞こえない。しばらく空を見ていたが、空を飛んでいた誰かはもう二度と現れなかった。
息子は仕方なく母が気にしている列の前を見る。すると一人の少女が東の方から現れた。東から人が、しかも歩いてくるなんて滅多にないことだ。息子の意識はすでに空の誰かではなく、その小さな少女に向けられた。
テクテク歩いてきた伊織は、少し視線を感じながらも東門へと歩いた。
今日も東門の前には数人の門兵がいる。その中に見知った顔がいた。
「隊長さん、おはようございます」
「おはよう。イオリちゃんだったよな」
名前を覚えてくれていたことに嬉しくなって、伊織は笑顔になった。
「はい、そうです。今日は露天市に参加するんです」
今日街に来た目的を聞かれもしないのに告げる。
伊織は身分証をトルテに見せた。
「あ、前も思ってたんですけど……列に並ばなくてもいいんですか?」
「列は北、南、東に別れて並ぶことになっている。東からはイオリちゃんだけだからね」
並ばなくてもいいと確認できて、伊織はほっと安心した。
「よかった~、気になっていたんですよ」
「……」
身分証を返してくれたトルテだったが、じっと伊織のことを見詰めてくるので、こてりと首を傾げた。
「何か顔についてますか?」
「いや……、君を待っている人がいるんだけど。知り合いかな?」
親指で門の中を指さすので、伊織はトルテの身体越しに顔を覗かせる。
「げっ」
カエルのような声に、トルテはビクリとした。トルテが知る伊織らしからぬ声だった。
顔も歪んでいることから、オーレリアンとセルジオは伊織にとって歓迎できる知り合いではないようだと思った。
「凄い前から待ってるんだけど」
「本当ですか? もう~、嫌だな。でも遅かれ早かれギルドでは会ってたかな? でも街にずっといたんですね~、あの人」
興味を抱かれているのは知っていたが、待ち伏せされる程とは思っていなかった。
「イオリちゃん、遅いよ」
トルテと話している内に、オーレリアンは門の外まで迎えに来たようだ。
「あ……、おはようございます。何かご用ですか?」
思わず大きなトルテの身体の影に隠れながら朝の挨拶をした。
「この間、君の薬を買い忘れてしまったから欲しくてね。持ってきてる?」
「はい。あのでも……露天市でも販売しますから。それとも急ぎますか? どこかに……行く、とか?」
できればどこかに討伐にでも行って欲しいという希望を添えて、伊織は言葉を発した。
しかし返ってきた言葉は予想通りにものだった。
「いや一週間以上予定入れていない。その後は王都へ戻らなければならないけど」
王都。そんな大きな街がオーレリアンの拠点地なのかと、伊織は曖昧に頷く。
「イオリちゃんも一緒に行く?」
「行きません」
はっきりとお断りする。こういう人ははっきり言わないと通じない場合が多いのだ。
人生経験だけは前世部分も足せば充分あるので、これくらいの処世術は持っているつもりだ。
「オーレリアン、外に出ると手続きが厄介だと言っているだろうが」
のそりと現れたギルド長セルジオに、伊織はホッと安堵の息を吐いた。この人がオーレリアンが暴走したら止めてくれそうだと思った。
伊織はトルテの身体の影から出て、ニコリと笑んだ。
「おはようございます、ギルド長」
「ああ、おはよう」
自分とは違い笑顔を見せることにオーレリアンはむくれるが、それは顔に表さないのが彼だ。
「早くギルドに行って店の用意しなきゃ駄目なんだろう?」
「あ、そうだった。じゃあ隊長さん、また」
伊織は手を上げて少し駆けるようにして街に入った。
その後を二人が追う。
背後に二人の気配を感じていたが、伊織はあえて無視して小走りした。しかししっかり一定の距離を開けて着いてくる二人に、伊織はため息を吐く。
『変な者に懐かれたな』
「本当だよ~、もう帰りたい」
『もう帰る?』
『イオリ、もう帰る?』
風の精霊が悲しそうに顔を歪める。せっかく街に来たのにもう帰るのか? と残念に思ったのだろう。
「帰らないよ。ちょっと思ったけど」
帰らないと聞いて風の精霊たちは大喜びする。
その様子を伊織の背後から見ていたオーレリアンは、満面の笑顔でこう告げた。
「今日も風の精霊を連れてきている。しかも前回より数が多いようだ。キラキライオリちゃんの周りに飛んでいて幻想的だよ」
「……俺には何も見えないがな」
「だろうね」
魔力が一定以上ないと精霊たちは見えない。
セルジオは魔力は高くその点はクリアしているのだが、精霊の方が気を許していないので見えない状態だ。精霊が見せてもいいと思う相手にしか見えないものなのだ。
しかし精霊も常に気を張っている訳ではない。気が抜けている時に魔力の強い者が側にくると見える場合もある。
そういう時、精霊は屈辱に感じるものらしい。人の魔力に負けたと思ってしまうのだ。
今回は街に入るということで、常に気を張っている状態だ。見せる相手は自分で決めるとでもいうように、今は伊織にだけ気を許している。
だが例外もある。
エルフや魔人、魔獣の血が入った者は例外だ。精霊が気を張っていても見える者はいる。
伊織が道の端に寄ったので何かあったのかと二人が注視していると、誰かが近寄ってきた。
その人物は商業ギルドの職員だった。いつものように大きな腹を突き出して偉そうにしている。
伊織は怯えるように箒を握り締めて、その男を見ていた。
「また来たのか、魔女めっ!」
オーレリアンたちがいる方にまでその声が聞こえて、二人は不快そうに眉を寄せた。
風の精霊たちが彼女の前に守るように立ちはだかる。
「あいつ、また絡んでいるのか」
仕方なさそうにセルジオが前へ出ようとするが、オーレリアンはそれを止めた。
「大丈夫だよ、今日はナイトがいるようだ。しばらく見ていよう」
今にも伊織の腕を掴みそうな勢いに、セルジオの眉間の皺がさらに増える。
「もう我慢できない。あんなに罵りを受ける必要はない筈だ。正式に抗議しないと駄目だな。あいつは……」
近寄りながらも、何なら目の前に立ってからもずっと何かしらの悪態をついている。
風の精霊たちの毛が逆立っている。相当、怒っている証拠だった。
『やる』
『やる』
『あいつ、殺す』
風の精霊たちの怒りを感じた伊織は、心の中で必死に止めていた。だけど喉に何かが詰まって声がでない。
タジアムを見て止めろと目で合図するが、違う方に取られてしまった。いや態と違う方の台詞を言ったに違いない。
『殺すのはさすがに拙い。伊織がこの街に二度と来られなくなる。遥か遠くへ飛ばしてしまえ。例えば……東の森とかな』
タジアムの言葉を聞いて、風の精霊たちの瞳がキラリと輝いた。
『それ、面白い』
『面白いから、やる』
「え……、ちょっと待って。東には獣が……。あぁ~……いっちゃった」
ようやく声が出たと思ったら、もう事は終わっていた。
別に伊織はどうでもいいと考えていた。あんな性格なら、いつかは誰かに背中から刺されていただろうしと思う。でも人が目の前で死ぬのは嫌だなと、考えてしまうお人よしな伊織だった。
「ど、どうしようか?」
『放っておけ、あれも自業自得だろう』
「そ、そうだけどぉ~」
確かに何もしていない伊織にいちゃもんをつける方が悪い。でもあれはただの人なのだ。東の森に行けば殺されるのは確実だ。しかも獣に食べられるという最悪な死に方だ。
「どうしよう……」
そう考えていたのだが、商業ギルドの職員たちの方が慌てていた。
上司が何故かいきなり飛んで行ったのだ。訳がわからないながらも、必死にその後を追う計画を立てている。
先週この街に現れた魔女を見て何やら言っていたようだが、魔女は魔法が使えない。あんなことはできようがないのだ。ならばなぜあんな摩訶不思議なことが起きたのか。しかし今はそんなこと言っている暇はない。上司を助けるのが先だ。
動揺している職員の目に、オーレリアンが映る。彼に依頼すれば一人で助けて無事に帰ってきてくれることだろう。
「オーレリアン様っ! どうかあの方をお助け下さいっ」
「いや」
「え……?」
まさか断られるとも思わず、職員たちは一瞬言葉をなくした。
「まあ、そう言わず助けてやれよ」
「ならセルジオが行けばいい」
「えぇ~、俺ぇ~? 俺はこれからギルドでいろいろしなきゃ駄目なんだよ、忙しんだよ」
全員がセルジオの言葉を嘘だとわかっていたが、誰もそれに口を出さない。
「……はぁ、仕方がない。これもイオリちゃんに余計な嫌疑がかからないためだ」
「そうそう、媚は売っておけ」
オーレリアンは一つ頷き、その瞬間姿を消した。門の方を見ると飛んだように走るオーレリアンの残像らしきものが微かに見えた。
「す、すごいね……」
『ふん』
タジアムが面白くなさそうに鼻で応えた。




