26
東の冒険者ギルドのギルド長セルジオは、台所からの物音に目を覚ました。カーテン越しの外はまだ夜が明けきれていない。
「あいつ……」
ずっと自分の家に居候している相手はただ一人。遠い祖先にエルフの血が入っているオーレリアンだ。
彼は人と接するのを極端に嫌っていた。見た目はエルフの血を受け継ぎ、頗る美形。その美形に引き寄せられて集まる輩は多い。その誰もを彼は本気の相手にはしなかった。
エルフの先祖がえりと称されるほど、冒険者としての身体能力も高くこの国に数人しかいないSS級の実力の持ち主だ。誰もが羨み、憧れる存在。孤高の冒険者。
……だった。今までは。
この数日で、その輝かしい印象は壊れてしまった。
一人の少女によって。
「そうか、今日から露天市か……」
だから昨夜は酒を飲まなかったのかと、セルジオは舌打ちした。
まだ眠たかったが、仕方なく起きる。
腹を掻きながら台所に入ると、勝手に材料を使い朝食を作っていた。
「悪い。借りてる」
先に言われては咎めることもできない。
「ああ」
返事して、オーレリアンが淹れていたコーヒーをカップに注ぐ。席につけばタイミング良く朝食が目の前に置かれた。と言っても昨日買っておいた堅いパンと、野菜のスープだ。
それを見ながら礼も言わず、セルジオは食べ始めた。
「そういえば、ハイスの野郎がイオリの飯が美味いって言ってたな……」
目の前の男がガチャンと持っていたカップをスープの器に当てるように落とした。
「……その男はまだこの街にいるのか?」
「……いるだろうな。今日もイオリの飯を買うって自慢してたからな。お前、何もするなよ」
まさか奪う気かというように、じろりとオーレリアンを睨む。
今日は東が任された一月に一度開催される露天市の初日だ。揉め事や面倒事は困る。
「ふんっ」
鼻で軽く返事するオーレリアンは、普段なら物静かで律儀ものだ。
ここ数日ですっかり変わってしまった。まさに青天の霹靂である。
彼の輝かしい栄光は消え去ろうとしている。一人の少女によって……。
「ああ、くそ。気になるから聞くぞ」
今度は頭を掻きながら、セルジオはスプーンで指さす。
それが嫌だったのか、オーレリアンは顔を歪めた。
「人を物で指さすな」
「ああ、悪い」
注意されたので素直に謝る。確かにこの態度はよくない。
「それで何を聞きたいのだ?」
スープの器に視線を戻したオーレリアンは、神妙な顔のセルジオに訊ねた。
「お前、イオリをどうしたいんだ? まさか恋人や妻って感じでは……ないよな?」
ギルドの受付係であるカリーヌも言っていた。伊織は十五歳だと。決してそうは見えないが十五歳の成人した立派な女性なんだと。
伊織の姿形を思い出し、そうは見えないなと脳裏に過ったが、頭を振って気持ちを切り替えた。
「カリーヌによれば確かにイオリは成人にしているということだが、俺は年齢を偽っているようにしか思えない。……今日確かめるか」
「僕は別にイオリをどうこうしようとは考えてないよ。でも久し振りに精霊が見える子だったから、……少し嬉しくなっただけだ」
「本当か?」
疑わしいというようなセルジオの視線に、オーレリアンはさらに顔を歪める。
「僕に少女趣味はない。……手を出すのはもう少し大きくなってからだ」
「やっぱり手を出す気じゃないかっ!」
オーレリアンは今年五十歳になると聞いたが、見た目は二十歳過ぎに見えるから詐欺のように感じる。まあそれには羨ましいという思いも大いに加味されているが。
エルフの血を引く一族は皆長生きすると言われている。彼はその特殊な一族たちにさえ、先祖がえりと称された人物だ。これからどれだけ生きるのか、オーレリアン自身にもわからないだろう。
そんなオーレリアンからすれば、伊織が大人になるのを待つ時間も些細な間しかないのかもしれない。
「精霊が見えるということは、純粋な心の持ち主と証明されたようなものだ。今を逃せば、もうそんな貴重な人間には会えないかもしれない」
友が先に死ぬ現実にオーレリアンはいつも苦悩した。
結婚も何度も考えた。だが妻は必ずと言っていいほど先に死んで行くはずだ。もしかしたら自分の子供も。そう考えたら結婚などしなくてもいい。一人で生きて行くと考えた。
だけど目の前に可愛いキラキラ輝く彼女が現れた。
彼女は魔女だという。他の人間より長く生きられる魔女だ。
「彼女なら共に生きていける」
「……お前、まだ諦めてなかったんだな」
オーレリアンの苦悩を見てきたセルジオは、それ以上苦言を言い辛くなってしまった。
「もう来るかな?」
聞かれたセルジオは窓の外を見た。遥か向こうに聳える山脈から光が差し始めた。
「さすがにまだ来ないだろうな~」
この日を待ちわびていたのだろう。少年のようにそわそわしているオーレリアンを見たら、苦笑することしかできなかった。
「とにかくだ。イオリの気持ちは尊重してくれ。お前もイオリのことは気に入ったのだろうが、どうもいろいろな意味での彼女目的の者が多いように思う。奴らは束になると厄介だからな。面倒は控えてくれよ」
「ああ。でも彼女の側に近付く者の排除はする」
「だ・か・らっ! それを止めろって言ってるんだよっ! 彼女だってこの街で友達の一人や、知り合いだって欲しいだろうが。お前が囲んでしまうとそれもできない」
「……なるべく、そうする。嫌われたくないからな」
伊織が絡むとオーレリアンはどうも子供っぽくなる。
それがいいことなのか、それとも悪いことなのか。今の段階では判断できない。
だがセルジオにとって、今のオーレリアンは好ましいものだった。自分の感情を押さえ、苦悩している姿より数倍いい。
「門まで迎えに行ってくる」
「はいはい。もう何を言うのも面倒だ。勝手に行ってこい」
セルジオが返事すると、オーレリアンは外へと飛び出していった。
「この恋が叶うといいんだが……」
先日の伊織の反応を見る限り、少し難しいように思う。
「さて、どうなるか……」
呟きながら、セルジオは食器を片付け始めた。




