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この世界の魔女は空を飛べない  作者: 如月美樹
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 男性はウソンと名乗った。ウソンがじっと手元を覗き込んでいることは感じていたが、伊織は無視していた。

 絵を描くのは昔からすごく好きだった。数少ない伊織が自慢できること。

 鼻歌でも歌いたい気分で十センチ四方の紙を左手で押さえる。

(まずは人を描いて……、あれ? 頭以外は棒になっちゃった。ま、いっか)

 流行病は皮膚が爛れるものという認識が伊織にはある。でもこの絵では身体にそれを表現できない。なので唯一皮膚がある顔にそれを表現する。

(次は違う風に描こう)

 内心失敗失敗なんて思いながら、今度は腕だけを描く。

(あ……、指が四本しかないよ。親指、横に足しておこう)

 区切り線ができてしまったので、親指を黒く塗り潰す。ついでに腕にも数か所丸で囲って黒くした。

(あと一枚は足にするかな)

「ふんふん♪」

 鼻歌を歌いながらご機嫌で絵を描く伊織を、ウソンは信じられない気持ちで眺めていた。伊織が描くあまりにも不気味な絵に、言葉を失ってしまう。

 思わずウソンはその絵の意味を訊ねてしまった。

「そ、それは……何?」

「え? 足ですよ。見ればわかりますよね? あ……、話しかけるから指が六本になっちゃったじゃないですか、もう……」

 いや指が五本とか六本とかのレベルではない。

 伊織は六本になってしまった足の指にペケを付けた。

(ま、これでいいかな? ……紙ももったいないし)

 描き直す気が全然ない伊織は、心の中でいい訳する。

 伊織が描き終えて顔を上げると、ウソンが目を見開いていた。その瞳はどうやら伊織の絵を見ている様子。

「そ、それ……何?」

「……絵、ですよ。見てわかりますよね?」

 少し不安になってきた。小学生の時、外部から臨時で雇われていた美術の先生に言われたことを思い出した。

『南條さんの絵はその何て言うか……斬新ね』

 と。その時は褒め言葉だと喜んでいたが、もしかして……。

 急に不安になってきた。先程まで楽し過ぎて体温が上がっていたが、一気に氷点下まで下がった気分だ。

「……」

 ウソンはまさに絶句状態。何も言葉を発せない感じに見えた。

(し、仕方ない。文字も一応保険で入れておこう)

 しかし伊織が描いた文字は『日本語』であった。

「そ、それは……何?」

 またも同じような台詞がウソンの唇から洩れた。

「え……? 文……」

 文字と言いかけて伊織はハッと気付いた。

(に、日本語で書いてたよ)

 『病魔退散っ!』と書いた紙を前に、少し冷や汗を浮かべた顔で誤魔化すように笑顔を作る。

「魔女のおまじない」

「そ……そっか」

 もうここは何でも『魔女』で片付けるしかない。他の紙にも日本語を書いて、三枚まとめて両手を祈るようにしその中に挟んだ。

 伊織は心の中で祈る。

(あらゆる病気や流行病からウソンさん一家を守ってくださいっ!)

 その時小さな光の粒が手のひらから発生するが、あまりにも少量だったので誰にも気付かれなかった。もちろん伊織も目を閉じてお祈りしているので気付いていない。

 いや誰も……というのは語弊があった。約一匹だけは見逃さなかった。伊織の肩に乗っていたタジアムだけは、その奇跡の瞬間の一部始終を見ていた。

(……願力が過ぎるだろう。まあ、誰も気付いておらぬからよしとするか)

 風の精霊たちもおかしそうにキャラキャラ笑っている。単なるお守りにしては過ぎる力の込め方に。

 伊織は知らぬうちに最大級の魔法を使っていた。それは親切にしてくれたウソン一家を助けたい一心だったので、伊織本人でさえ自覚はない。

「ん、これでよし。ウソンさん、袋どれがいいですか?」

 伊織は机の上に出してある小さな袋を示す。

「あ……、終わったの? ん~、そうだな。これとこれとこれ、かな」

 ウソンが指定した三つの袋に一枚づつ紙を丁寧に折って入れる。

「これは常に肌身離さず持っていてください。じゃないと効果は薄れてしまいますからね。ここに紐を通して首からかけておけばいいですよ。お風呂に入る時はさすがに外して欲しいですけど」

「ああ、わかった」

 ウソンは三枚の紙幣を伊織に渡した。ここのお金はどうやらコインだけではなく紙幣もあるらしい。

 家にある本も手書きの方が多かったが、印刷したものも混じっていた。だから印刷技術は高いのかもしれないとは思っていた。

(でもお金の価値や、紙幣や硬貨が日本と似ているって面白い)

 千ギルは千円ほどの価値。しかもお札であるという類似点。あまり考えなくてすむので、その辺は大変有り難いことだった。

 単位だけがギルと円で違うので気を付ける必要があるが、それは些細なことだ。

「ありがとうございます」

 伊織はお金を両手で受け取り、丁寧に畳んで鞄の中に入れた。

(お金を入れる袋も作らないと……ね)

 家には布が一杯あった。だから今回このお守りを思い付いたと言ってもいい。カラフルな布を見ると何か作りたくなるものなのだ。

「あ、そういえば本当に手の傷は大丈夫?」

「はい。塗り薬を携帯していたのですぐに治りますよ」

 お守りを受け取ったウソンはポケットに入れて、再度尋ねた。

「うちの子もね、よく転ぶんだよ。怪我が絶えなくてね。そのうち傷跡が残るほどの怪我をするんじゃないかって気がかりで」

「お子さんは女の子ですか?」

 男の子なら多少の傷はそんなに気にならないだろうと思い、伊織はウソンに尋ねた。

「ああ、もう八歳になるのにお転婆でね。近くの森に行って男の子に交じって木に登ったりするんだよ」

「それは本当にお転婆すね」

 ウソンの愚痴に、伊織はくすくすと笑った。

 お父さんとしては本当に心配なのだろう。

「じゃあ、初めてのお客さんにおまけ」

 傷薬の入った容器を、伊織はウソンに渡した。

「一日に二、三回塗ればすぐに治りますから」

「悪いから、これ買うよ」

「いいえ、これは私からウソンさんへの贈り物です。初めてこの街に入って不安なところ声をかけてくれたんだもの。その感謝の気持ちです」

 ウソンは守り切れなかったことを思い出して、少し眉を寄せて目の前で微笑む伊織を見る。

「本当に君は損な性格だ。そんなことでは商売はやっていけないよ」

 仕方がないなというように苦笑を浮かべ、伊織の将来を憂いた。

 この純粋な子が社会の荒波に揉まれて、生きていくことができるのか心配になる。

「じゃあ、他の薬をもらおうかな。この頃この街への移動も辛くなってきているから、疲労回復かな」

「あ、ありがとうございます。千ギルです」

「せ、千ギルだってっ!? 安過ぎるよ~、イオリちゃんっ」

 ウソンの反応を見て、やはりそうなのかと思った。

 門番の隊長トルテが言っていたことは本当だったのだ。

 この世界の薬は相当高いらしい。

 でも伊織はこれ以上高くする気はなかった。結構手間暇はかかるが材料はただで手に入るし、一粒で千円以上の価値はないとどうしても思ってしまうのだ。

「安いと思うなら他の薬も買ってください。痛み止めと風邪薬もありますし、同じ疲労回復でもいいですよ」

「じゃあ、疲労回復と痛み止めを一つづつもらおうかな」

「はい。ありがとうございます」

 満面の笑顔で伊織は薬の入った包紙を渡した。

(初めて売れた。……う、嬉しい)

 手が震える思いだった。久し振りの感動だった。

「じゃあ、俺はもう帰るね。来週また会えるだろうけど」

「はい。道中気を付けて」

「ありがとう」

 手を上げてギルドを出るウソンを、伊織は外まで出て見送った。

「いい人だったね、タジアム」

『力を使い過ぎだ。あれではどんな病も跳ね返してしまうぞ』

 叱責するタジアムの頭を指先で撫でて、伊織は微笑みを浮かべた。

「いいよ。初めてのお客さんだもの。それくらいのサービスはしないと」

『……む、もう何があっても知らぬぞ』

 呆れたようにタジアムがそっぽを向く。

 でも伊織の気持ちは大満足だった。

 去っていくウソンの背中を見て、ほっこりと胸が温かくなる伊織だった。

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