10本勝負でゼロゼロ敗退
『大江戸剣術祭り』第3日目。
弥助は最終の試合で特別招待剣士と対戦することになっている。
本来江戸市中の道場から出場者を募った本大会だが、開催者枠として幕府推薦枠や清河の推薦枠などが存在した。より多くの優秀な剣士を招こうという趣旨であり、弥助としては大賛成である。
これにより弥助の対戦相手は、久留米藩士で加藤田神影流の松崎浪四郎となった。
「知らんのだが?」
「先生の非常識ぶりには兎に角呆れて......。」
今日は土方が弥助の付き人として控えに入ってくれている。
感情をあまり面に出さぬ男だが、弥助の教えに触れその強さを知った今、私生活においても完全に弥助の付き人の様になっている。
「先生の教えは理である。私が先生に私淑するのは、当代の剣術名人の中でも教えに理のある師は弥助先生のみだからだ。」
多流派の教えなど要らぬと豪語した当初から見ると、すっかりデレている。
しかし練兵館という流行道場に学びながら、競争相手に対する弥助の知識の無さに土方は呆れるばかりだ。
「先生は凡そ人と自分を比べるという事を考えておられない。むろん我が師に匹敵しうる剣士などどこにも居るはずもないが、それにしても知らな過ぎだ。」
土方はそんな弥助に孤高の剣を見る。
「つまりは比較すべき相手が居らぬから知る必要がない。敵は常に己の中にある、それが先生の剣に向かう姿勢である。」
実際には道場内の身分が低すぎて、試合に出られなかっただけだ。
だが土方がこう説明すれば、道場内の若者たちはみな感嘆のため息を漏らす。
「さすがは弥助先生だ....何という高みにおられるのか....。」
「かっこよすぎるぜ先生....。先生からすれば千葉も桃井も物の数ではないのだな。」
いや弥助は本当に知らないだけなのだが。
おまけに試合したくて仕様がないから、こんな試合を無理やり組んだわけだし。
だがここで対戦する松崎浪四郎については、弥助が知らぬのも道理だ。
前述したとおりの久留米藩士、江戸に修行に来たのは弥助が清水でやくざ稼業をしていた頃である。
この時この男が話題をかっさらったのは、桃井春蔵・斎藤新太郎・千葉栄次郎・上田馬之助という江戸最強メンバーたちと立合い、桃井・斎藤を破ったためだ。千葉栄次郎には案の定歯が立たず、上田馬之助とは引き分けたモノの、その強さは当時の江戸中で話題となった。
彼が明治に入ってからその事を語って、『技の千葉・力の斎藤・位の桃井』と言ったのは有名な話。
これはそれぞれ千葉栄次郎・斎藤新太郎・桃井春蔵直正の事であって、道場そのものを語ったものではないようだが。
ともあれ弥助はその松崎浪四郎と対戦する。
事前情報は一切ない。しかし観客は松崎が先年、江戸の猛者たちをなぎ倒したことも、弥助が宇野金太郎を手も出させず撃ち据えたことも知っている。
つまりこの試合も注目の一戦だった。
この2日間は最後の試合ともなると、少々空いている席も出てくる状況だったが、この日の客は誰も帰らない。早い人なら晩飯も食おうという時間だが、皆握り飯にかぶりついて一向に席を立とうとしない。
「先生、お出番でございます。」
土方の声に弥助はゆっくりと立ち上がる。
会場に出れば歓声がさらに大きく響く。弥助はちょっと感動した。
(なんじゃろうなあ。こんな日が来ることが夢だったんじゃ。)
江戸に出て来てからというモノ、この日が来るのをどれだけ待った事か。
『守護神としてアタシも嬉しいわよ。』
棒読みだがサクヤも労う。
『ナンかつよそーね?ねえねえあの人ちゃんとした剣術家だし。』
「ワシがちゃんとしとらんのは、一重にオノレの所為じゃろが?」
強くなりたいとは言ったが、人外にしてくれと言った覚えはない。
弥助の苦情は我儘とばかりも言えないだろう。
【ちゃんとした剣士】松崎は既に花道の前に立ち、弥助の登場を静かに待っていた。
流石にちゃんとした人は礼儀も折り目正しい。
「先生、参りましょう。松崎殿はご自分からは動かぬようです。」
「ああ、実にちゃんとしとるな。」
弥助はそう言って花道をずんずんと歩き始める。慌てて面を持ち直し、後に従う土方。
松崎の方も慌てて花道を進み土俵へと上る。
「待ってたぞ!金太郎殺し!」
会場から弥助に向かって、盛大に声がかかる。
弥助は宇野を殺した覚えもないが、江戸中に対戦の様子が知られているという事は土方から聞いて理解していた。
(江戸者の評価は大げさなモンじゃ。)
数年間を江戸で過ごした弥助にはなじみの江戸っ子気質だ。
(相手の松崎さんが大げさに評価されてない事を祈ろう。)
そうでなければ戦っても面白くない。
新太郎を退けたのだから、かなりの腕前であることは間違いないのだが。
お互いに面をつけ、準備整うと場内はこの日一番の歓声に包まれた。
審判員の声も聞こえぬほどの大歓声。
弥助は開始前にスイっと松崎に近づくと、面金越しに声をかけた。
「松崎殿、よろしくお願い申す。」
言われた松崎はちょっと驚く。本人はこの大歓声に少々緊張気味だったのだ。
「こちらこそよろしくお願いいたします。」
松崎は年下であるからか、それとも元々丁寧な性格なのか、礼儀正しく挨拶を返した。
(この人はなんと肝の太い。)
少し威圧されたようにも感じる。するとこれだけでは終わらなかった。
「ワシの得意は上段からの面でござる。今日はそれ以外を撃つつもりがないので。」
付き人の土方へは歓声でかき消されたが、頭上のサクヤにはハッキリと聞こえている。
『ちょっ....アンタ....。』
守護神がビビったのも無理はない。初対面でこの言い草、剣術家にとっては虚仮にされたも同然であった。
弥助としてはそんなつもりもなく、ただ人外となった自分の方向性を伝えて、戦いを面白くしたい気持ちから言った事だったが、面金の奥で目を光らせる松崎の反応を見ると、明らかに挑発と受け止めていただいたようだ。
「面白い!!さすれば私は貴殿の竹刀に触れず、10本すべて取らせていただきましょう!」
2人が後ろに下がって蹲踞の姿勢を取る。頭上でサクヤはため息と共に語りかけた。
『面白くなりそうじゃない....ホント、天然の煽り上手よね。』
「何を言っとる?勝負の邪魔はするなよ。」
弥助にすれば善意から言った事であり、勿論松崎の怒りには気付いていない。
双方がスッと音もなく立上り、会場の空気は一瞬外の冷気を感じさせた。
「はじめぇ.....。」
「うぉりゃああああああ!」
審判員の声が終わるかどうかの瞬間、食い気味に松崎の太い声が響き渡る。
相手方が距離を掴む前に仕掛ける、俊足の突きである。
弥助は正眼からいつもの上段へ構えも取っておらず、一瞬の虚をつく松波の素晴らしい出足だった。
その刹那、弥助の身体は僅かにブレる。
「ラァアアアアアッ!」
「うぉあっ!」
どちらの声が先に聞こえたのか、あるいは松崎が膝から落ちたのが先だったか。
ブァッシィイイイインと金具が鳴り響く音がして、観客は膝をついた松崎が顔を上に向けつつ、土俵上をそのまま滑っていく姿を見つめていた。
まるでサッカーのゴールパフォーマンス『膝ズザー』のように。
弥助が突きを交して面を撃ったが、松崎の面をわずかに捉えきれず面金を撃って顔が上に向いたようだ。
松崎は土俵の端まで『膝ズザー』を決め、そのまま仰向けにパタリと倒れてしまった。
審判員の判断は【浅い】ために一本とはならなかったが、会場内の誰もが続行不可能だろう事を見て取れただろう。
「浪四郎さま!!」
付き人が飛び込んでくる。今の倒れ方は如何にもおかしいと見えたはずだ。
『アンタねー、面ぐらいちゃんと撃ちなさいよ。ケガ人出るでしょ?』
「うーむ、実に見事な奇襲。つい手元が狂ってしまった。」
弥助が照れを隠せず出来の悪い言い訳を言っている間、土方は土俵の下で一部始終を目撃していた。
「なるほど、実戦であれば今のも有効打となり得る。先生は防具と規則に縛られぬ、剣術本来の強さを求めておられるのだ。」
弥助の未熟さを非難するサクヤ、ケガ人出して謎の照れを見せる弥助、安定して弥助の真意を補正する土方。
様々な思いが交錯する舞台、松崎浪四郎は一本も取られぬまま試合続行不可能により、1回戦敗退となってしまったのだった。




