2回戦展望
『江戸市中剣術御比試合』....もはやその名で呼ぶ者はいない。
予想に反して空前の盛り上がりを見せる剣術試合だが、その名は『大江戸剣術祭り』で知られていた。
取締りを担当する勘定奉行の永井玄番にしても、既にその呼び名を訂正するような気は失せている。
「大成功だね清河さん。無理を押して剣術試合を実行した甲斐があったというものだ。」
永井は甘酒をすすって暖を取りながら、にこやかに談笑している。
「永井様には一方ならぬお骨折り、誠にありがとうございました。江戸の民草も思わぬ娯楽に喜んでおります。」
何やら時代劇の一幕の様な風景。しかしそれぞれに思惑は異なる。
永井は目の前にいる切れ者が、日の出の勢いで広がる尊王攘夷主義者であることを承知している。本より旗本の主流派である『阿部派』、前老中首座 阿部正弘を領袖と仰ぐ彼らは、水戸の斉昭公を支持している。
水戸の老公は尊王攘夷が服を着ているような人物だ。永井は清河も『その一派』程度に考えている。
ところが清河当人は幕府では尊王攘夷は実行できぬと見限った、新しい勢力『討幕派』である。永井はそこの所まで把握できていない。
いや永井だけでなく清河塾に参加する者のほとんどが、清河の真意を理解していないだろう。
彼がその本領を発揮するのは、まだまだ先の事である。
それぞれの思惑はすれ違うが、この日も話題は剣術大会に限定されている。
「しかし剣術試合がこれほどに面白いモノとはね。見物客が入っていることもまた、いつもとは違う雰囲気を造っているようだ。」
「マコトにその通りです。しかも一流同士の対戦がこれほど数多く見れるのも、この『御比試合』のいい所で。」
「『剣術祭り』でいいよ、清河さん。」
双方笑顔で言葉を交わす。二人とも本来の目的はひとまず置いて、この試合を楽しもうという心情になっている。
「今日は1回戦最終日か.....。目玉剣士はどんなのがいるのかな?」
「何といっても『千葉の小天狗』こと千葉栄次郎でしょうな。圧倒的な優勝候補ですよ。それに『鬼歓』斎藤歓之助も出てきます。」
清河も甘酒をすする。
旧正月の1月末、今でいう3月初旬とはいえ寒い。
「年頃の娘たちは、その2人が目当てで来るそうな。」
「ええ、今日はいつにも増して大入り満員です。」
4日目には本命と目される剣士たちが多い。これもプロモーター清河の采配だった。
「ここまで2回戦への出場者もかなり出そろった。清河さんとしてはどのあたりが本命と思う?」
永井は興味深げに問いかける。
「永井様もこれから賭けに乗りますか?」
面白そうに清河が問いかける。勝者予想は更に白熱している。毎日のように新しい賭け口が設けられ、参加者は増える一方だった。
「なるほど、開催者の予想なら勝率も高そうだ。」
「いやいや、これ程の高度な戦いともなれば、予想するのも一苦労というもの。」
清河はそう言って両手を目の前に、永井を押しとどめる仕草をした。
「ここまで優勝候補は順当に勝ち上がっておりますな。前評判通りという所です。」
清河はそう言って3回戦への有力候補を上げる。
「何と言いましても、4大道場と呼ばれる士学館・練兵館・玄武館・錬武館からの勝ち上がり組が優勝候補筆頭でしょう。」
志学館は鏡新明智流 桃井道場、練兵館は神道無念流 斎藤道場、玄武館は北辰一刀流 千葉道場、さらに錬武館は心形刀流 伊庭道場である。
「士学館四天王からは上田馬之助・逸見宗助の両君が、練兵館からは桂小五郎・渡辺昇、玄武館からは千葉道三郎・山南敬助、伊庭道場は伊庭秀俊・中條金之助諸君がそれぞれ勝ち上がっております。」
「うまいこと2人ずつ出たものだ。」
「これに千葉栄次郎・斎藤歓之助両君が必ず加わって参りますが。」
多少の番狂わせもあったのだが、今のところ各道場の面目は保っているというところ。
「賭け事には必ず大穴というものがあろう?」
永井は興にのって来た様子。
「されば招待剣士である2名。」
これは清河が厳選し、わざわざ江戸へ招待した剣士たちである。
「私の朋友である宮部鼎蔵が推薦してきた、河上彦斉という男は面白うございます。」
1回戦では小兵ながら、相手を打ちのめして試合続行不可能としている。
「下段から雨あられの如く撃ちこんでくる、変則剣術を得意にしております。江戸のきれいな剣術とは違い、実践重視の剣術だそうで。」
変則すぎて1本が取れぬ剣術でもある、と清河は面白そうに説明する。
「今1人は大石進殿。」
千葉栄次郎を2年前に打ち破っている。その左片手突きは脅威であった。
「さらに試衛館の面々も実践重視の形で面白い。」
「当然そこに弥助も入ってくるわけだ。」
優勝候補の松崎浪四郎を一撃のもとに下した弥助、当然優勝候補に挙げられている。
「何というか、実戦型の剣術が台頭しているという感じだね。」
「左様です。まずこの滑る足場が、形のみ綺麗な剣術には不利に働きますな。」
実戦では足場は選べない。清河の考える剣術の本質を、この会場は体現している。
「しかしながら講武所教授方の皆さまや、昔ながらの達人と呼ばれた皆様も健闘されています。」
その筆頭が浅利又七郎義明、小野派一刀流の道場主である。
「私の塾にも顔を出す山岡殿も、浅利殿の技には舌を巻いておられた。」
「これから先も楽しみな試合が多いという事だな。」
2人の興味が本来の目的から完全に離れていたその頃、会場内では本命の登場となった。
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『出てきたわね~。凄い人気。』
「強い、男前、千葉道場の御曹司とくれば、人気も出ようというもんじゃ。」
『あら~、嫉妬しちゃってんの?』
「嫉妬したさ、昔はな。」
今はどうだろうか、と弥助は自分の胸の内を探り、そんな感情が見当たらぬことにむしろ驚いている。
百姓の倅として生まれた自分と、大道場の御曹司として生まれた栄次郎。
その境遇の差に嫉妬していたかつての自分は、命がけの修行の末に何処かへ消え去ってしまったのか。
輝く様な灰色の胴着に身を包んだ栄次郎は、対峙する剣士を既に見切っているように静かである。
「北辰一刀流は細かな動きが身上じゃ。この足場で如何に対応するか。」
『縮地が使えないかも知んないわね。』
対戦するのは佐々木某とかいう剣士。
「いずれにしても栄次郎が後れを取る相手じゃない。」
『ホント、皆どう勝つかしか興味無さそう。』
ここまで一撃で相手をKOするという試合がいくつかあった。
弥助もそうであったし沖田総司もそんな試合をしたため、千葉栄次郎にかかる期待もそのような勝ち方をする事である。
『これは多少重圧よね、栄次郎ちゃん。』
「コイツが重圧など感じるタマか。おっ?闘気が....出とりゃせんか?」
土俵上の栄次郎を見て弥助が叫んだ。
裸足で土を踏みつけるその足元が、弥助の言う通りうっすらと赤く光り輝いている。
『あら~、火の闘気。栄次郎ちゃんも出しちゃったのね?何だか闘気の大安売りね。』
サクヤは何となく気に入らない。
これほど多くの人間が、容易く身に着けられる技ではない。
自ら時代の変化に発現率が増したのだろうと分析した彼女だが、こうも多くの使い手を見せられると武神としての存在意義に関わる気がする。
「はじめぇ!」
審判員の声が響く。
「うおりゃぁああ!!」
佐々木某が声を上げて挑発するが、栄次郎は静かに動かない。
ならばと佐々木は前に仕掛ける。
鋭く踏み込み相手の竹刀を下から擦り上げようとするが、動かぬ栄次郎にぶつかって、おわぁ!と尻餅をついた。
『弱い....。』
「いやヤツも別に弱いわけではない。足に闘気を纏う栄次郎が、根の生えた松の如しという事じゃろ。」
動かぬ戦いなど、剣術の立合いではあまりお目にかからぬ光景である。
ましてや常に変化し『瞬息』を尊ぶ北辰一刀流に、こんな戦い方は存在しない。
尻餅ついた佐々木は、慌てて立ち上がり竹刀を拾う。その間も栄次郎は撃ちこんでこない。
『完全に舐められているって感じね。』
そう言うサクヤに弥助は意見する。
「そうじゃない。相手を舐めるなぞ、栄次郎にそんなスキなどないんじゃ。」
弥助は赤く輝く足に注目し続けている。
「出るぞ。」
彼の言葉通り、栄次郎は動いた。
「ラァアアアアアッツ!!」
甲高い声が会場の空気を引き裂き、栄次郎は次の瞬間佐々木の背後1間にいた。
どすん!と土俵への着地音が響く。バシィイッ!!と胴が鳴って佐々木がのけぞったのは、まるで着地後の様にすら見えた。
「胴あり!」
叫ぶ審判員とうずくまる佐々木。
「骨折れとるぞあれは。」
『栄次郎ちゃんも一撃で決めたかったのね。』
「うーん。足が床から離れた状態で、有効打になるもんじゃろか?」
『いいじゃない、どうせ続行できないんだし。』
弥助とサクヤは土俵上の足跡を凝視していた。
栄次郎の踏み出した位置は、土俵上が深々と足の形にえぐれていたのだ。




