大江戸剣術祭り⓶
弥助は控えの手すりに寄りかかって、会場の様子を眺めていた。
熱気に包まれた会場は、立ち見の観客によって完全に埋め尽くされていたが、控えは櫓が組まれてやや高くなっており、土俵の上の様子が見渡せる。
出場者たちも手すりの方に集まって、それぞれが思い思いの試合予想に花を咲かせており、重量が片側にかかりすぎて床がきしんでいる。
「始まりましたなあ。」
弥助の後ろに桂小五郎が立って、声をかけて来た。
「桂さん、確か2日目のご出場では?」
「そう言う弥助さんは3日目だ。」
お互いそんなことを言っては笑みを交す。出場者は皆、初日の様子が気になって仕方がない。
「これほどの試合はかつて無い。各道場も主力を参加させてきておりますから。」
そう言いながら、桂の目は土俵上に吸い付けられている。
弥助にとっては念願の他流試合、自ら策を弄してまで実現に漕ぎつけた待望の試合だ。
「そう来なくってはいかん。」
目を輝かせ土俵上を見つめる。
「この人たちは強いんじゃろか?桂さん知っとるか?」
桂はおやっという表情で弥助を見る。
「優勝候補ですよ!弥助さん知らないんですか?」
『そりゃアンタは知らないわよねえ~。千葉栄次郎以外興味ないんでしょ?』
頭上では相変わらず女神がうるさい。
『その栄次郎を負かしてる男も来てんのよ?』
「なにっ!」
くるりと上を向いて詰問する弥助。
「いや....失礼しました。弥助さんはもう何年も江戸におられませんでしたからな。知らぬ剣術家がいるのも仕方がない。」
恐縮する桂に『いや、アンタに言ったんじゃないんだ』とは言えず、弥助はきまり悪げにああ、と返事を返した。
頭上のサクヤはケタケタと笑っている。
(この...疫病神が...。)
弥助はブツブツと呪いの言葉を小声で吐いた。
「ほ、ほれ!これをご覧ください!剣術家の紹介が載ってございます。」
ビビる桂は、弥助に当日の瓦版パンフを見せる。
「なになに...ウエダもサカキバラも同じ歳...天保元年生まれじゃからワシより一つ下か。」
流派・道場は言うに及ばず、中々細かい事も書いてあった。
「ほうほう上田は正眼からの出籠手が得意...榊原は面撃ち。どちらも中々に気性の荒い剣術家じゃと。」
上田馬之助は、後年新両替町(銀座)の料亭で、口論になった2人の侍を斬り捨て、その名が大いに話題となった。斬られた相手も天童藩の槍術師範であるにもかかわらず、僅か2太刀で両名即死という手際。
前後の事情もあって形式的な投獄で済んでいるが、大先生の桃井はその一報を受け『馬之助がまたやったか』と顔をしかめたそうで、これが初めての騒ぎではなかったようだ。
一方の榊原は、名門直心影流男谷道場の代表であり、現職の講武所剣術教授方である。
「講武所の面々も本気でかかってきておりますな。」
桂はワクワク感を隠せぬ口調でそう言った。
「鉄太郎も出れば良かったのだ。」
弥助はそうつぶやく。山岡鉄太郎は『師匠がご出場なら某は遠慮いたします』の一点張りで、頑なに出場を辞退した。弥助はそれを講武所との兼ね合いと思っていたのだが。
「そういえば今回、槍術や薙刀が出場できなかったのは何故でしょうな?」
桂は疑問を口にする。戦場での主力武器と言えば槍であり、この時代こそ剣術が流行していたモノの、他流試合でも槍と剣術の混合制は珍しくない。
桂は弥助が、山岡やその義兄の高橋と親交があるのを知っていたのだろう。
『槍は長すぎて洞窟内で使えんからじゃ。』
頭上でサクヤが弥助の真似をしながら、ふざけたようにそう言う。
(ホントの理由が言えるか馬鹿者)
弥助は心の中で毒づく。
(そう言えば栄次郎を負かした男がどうたら言うとったが。)
危うく忘れるところだった。弥助はなるべくさり気なく桂に問いかける。
「桂さんや...何でも於玉ヶ池の千葉栄次郎を負かしたっちゅうヤツがおるそうじゃが....。」
すると桂はその話題に飛びつく。
「そうそう!それも弥助さんが居られぬときでした!大石神影流の大石進です!」
「大石進じゃと?大石....それってもしかして?」
その名は恐怖の伝説に彩られている。
身長7尺(約210cm)、使う竹刀は5尺8寸(約175cm)。自らの工夫で左片手突きという荒業を編み出し、江戸中の武芸者を恐怖の混乱に陥れた男。
千葉周作がその余りの突きの凄さに、竹刀の鍔を樽のフタに変えて防御に徹したという逸話まで残されている。
男谷精一郎も初見では躱すことも出来ず、どうにか勝つことが出来たのはこれまた超伝説級の剣豪、白井亨のみだったという。
「しかしその話は確か天保年間の事じゃったはず。大石先生がご存命なら還暦にはなってるはずじゃ。」
その老先生が栄次郎を?弥助にはチョット信じられない。
「いやいや無論、今言う大石進とは2代目の事ですよ。」
桂が慌ててそう訂正する。剣術家は初代の名前を襲名する事がよくあるのだ。
「世の中広い。あの栄次郎を負かす奴がいるとはな。」
弥助はそう言って感嘆する。しかしだからこそ、剣術は面白い。
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土俵上では優勝候補同士の10本勝負が始められている。
双方の動きはまさに一流剣士、余りの素早さに目にも止まらず、観客席からはどよめきと歓声が止まらない。
しかし双方裸足で相撲取りのように勝負しているので、踏み込みには足が滑ってやり辛そうである。
「床が板張りでない分、かなりやりにくそうにしてるな。」
「そうですね。速さが身上の流派は少々難しいでしょうな....例えば北辰一刀流。」
桂がそう言うのを、弥助は頷きながら聞いている。
これはしまったと弥助は思った。
十全の千葉栄次郎と対戦したい。屋外に会場を決めたのは早計だった。
「それでも言い訳にはなりますまい。戦いは場所を選んで起こってはくれません。」
「まーそりゃそうじゃが。」
数十合重ねるうちに、お互い土俵での勝負に慣れてきたようで、滑る足場を前提とした戦いぶりを見せるようになった。滑りながらの一撃は一本と見做されないが、捌くときには問題がない。
「なるほど、一流同士の対戦ともなれば、滑る足場も利用するということか。」
「いいものを見せてもらいました。明日の参考といたします。」
桂も弥助も興味深げに第一試合を見つめている。
お互い拮抗した取りあいが続き、両名息が完全に上がっている。4本ずつの展開から上田がこの日3度目の籠手を取って、榊原は試合続行不可能となった。
好勝負を見せた両者へ会場から万雷の拍手が鳴り響く。
「10本勝負とはやはり厳しい。」
桂の感想である。体力的にもそうだが、このレベルの剣士から同じ個所への打撃を受ければ、防具の上からでもただでは済まない。
「其処を含めての江戸最強決定戦じゃ。」
弥助はとにかく嬉しそうだ。
『このルールアンタが作ったわけ?普通の人なら絶対考えただけでイヤになるわよね。』
「江戸のみならず日の本中から、最高の32名が集まったんじゃ。これくらいの事が出来ぬモノなど1人もおるまいよ。」
弥助はサクヤに答えるようにそうつぶやく。
土俵から降りた榊原は、無念そうに治療を受けている。
傍には若い胴着姿の男が、心配そうに声をかけていた。その表情は硬く強張っている。
「横にいるのは次の試合の出場者、同じ桃井道場の坂部大作殿ですね。」
「桂さん....良く知っとるのお。」
『アンタ知らなすぎじゃない?この2人桃井の四天王っていうのよ?どっちも優勝候補の一角なんだから!』
サクヤは瓦版を熟読していた。すでに立場を忘れ、剣術祭りにのめり込みつつある。
「次の試合は試衛館から総司が出とるぞ。」
「彼...わっかいですね...。」
『ああ、彼が御岳山の修行組?デカくなったわねやっぱり....。』
見違えるほど逞しくなった沖田総司、天然理心流を代表して近藤と2人出場していた。
坂部大作23歳、沖田総司17歳のフレッシュな対戦だ。
「アヤツは師匠のワシが出るというのに、鉄太郎のように遠慮はせんのじゃ。」
弥助は愉快そうにそう言って微笑む。
「試衛館は何度か言った事ありますけど...あんなイカツイ若者いましたっけ?」
桂は会っているはずだが、この半年ほどの段状窟修行で体格が倍増している沖田を見分けることが出来ずにいた。
「ハジメイ!!」
土俵上に声が響いた瞬間、沖田の壮絶な踏み込みが空間を斬り裂く。
「セィアアアアア!!!」
志学館四天王の坂部大作は、必殺の7段突きをまともに喰らって場外へ吹っ飛んだ。
静まり返る場内。
坂部は土俵外で全く動かず、脇で控えていた医者が慌ててかれの許へ駆け寄るが、明らかに続行不可能である。
「ウーム、やり過ぎじゃろ。」
弥助は一言感想を述べたが、桂は驚きの余り声も出せずにいる。
『また1人人外が...アンタどーゆ―訓練してんのさ。』
(オノレに言われとうないわい)
進化した沖田の突きを全て受けてしまった坂部。観客には突きが1つ中ったようにしか見えていないだろう。
「せめて5段突きくらいに抑えればいいものを。」
「そういう問題じゃないと思います。」
(手加減する事を教えとらんかった。出場者全員壊す前に、注意しとかねばなるまい。)
御嶽山での育成が、順調に行き過ぎたことに気付く弥助だった。




