ウっとやってズバ!
江戸を出て7日目の夕刻、永井玄蕃頭と清河八郎はようやく木曽王滝村へと到着した。
「江戸よりは涼やかだねえ。」
永井はこの数ヶ月間で、相棒同然となった清河へ語りかける。
「左様ですな、樹々の色や木陰も江戸よりは濃く感じます。」
日陰が涼しいと感じるのだろう、清河はそんな表現で木曽の夏の過ごしやすさを語った。
弥助と勘定方の役人が先乗りして3ヶ月ほどが経つが、役人達はさっさと江戸へ戻って報告を済ませている。
曰く『銀鉱を見る能わず。されど鬼の跋扈するを見る』との事。
つまり鬼を目撃して、腰を抜かして帰ってきたという事である。
これでは全くラチがあかぬので、永井は部下をさんざん叱責した挙句、自ら鉱脈の確認に乗り出すことにした。
『ふた月もあれば、鉱脈にたどり着けるだろう』という、弥助の報告を以って目安とし、清河と連れ立って江戸を出発したのである。
「木曽は尾張藩の領地ですが、御公儀が摂取なされるおつもりでしょうか?」
清河の問いに、永井は気負いなく答える。
「御嶽山は御嶽神社の所領だからね。幾ばくかの銭を与えれば問題は無いさ。」
そんな事より鉱脈が本当に存在するのか、それが問題なのだと永井は念を押す。
幕府高官であるというのに、従者も連れず清河と2人で木曽の山奥までやって来るところが普通ではない。
輝くばかりの才に恵まれた人ではないが、役人と言うより文人気質の人物だ。
幕府など屁とも思わぬながら、こんな人材が尽きる事ない幕府を、清河はやはり恐ろしいと思った。
「本日は宿まで弥助が来ているはずでございます。現地への立ち入りは明日以降、少し休まれてからでもよろしいでしょう。」
清河は40を超える永井に気を遣ったつもりだったが、永井は不満そうな顔をした。
「明朝出立すれば良いんじゃないかな?」
「本日弥助の話を聞いてから決めましょう。登山になるのですから、どの程度時間がかかるのかも聞いておかねばなりますまい。」
清河のその言葉に、永井はようやくこの後の道のりの険しさに思い当たる。
「そうか....山を登るんだったな。」
道中の疲れが一気に出た。
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江戸時代に入り御嶽山は、登山客で賑わうようになった。
無論山岳信仰の一環であるが、登頂まえに麓の王滝村に一泊するのが普通のコースだ。
彼らが止まった宿も、そんな登山客を泊める宿の1つだった。それほど居心地のいい所ではない。
そんな宿の一室で、彼らは弥助と対面する。
「仏生寺弥助にござる。」
死んでも治らぬ無愛想さで、弥助は永井に挨拶をする。
ちょこんと頭を下げているだけ、今日は上出来の部類だった。
「永井尚志といいます。」
永井は弥助の無礼を咎めず、自分も礼を気にせぬ挨拶を返した。
「お役人の実地検分と聞いたので、弟子を残してお迎えに上がった。少々心配でもあるので、なるべく早く出立したいんじゃが....。」
弥助は申し訳なさそうにそう言って、清河の反応を窺う。
「ここから現場まではどの位かかる?」
清河が弥助にそう確認する。
「そうじゃな、3合目あたりといったところか。朝から登って昼には到着できる。」
「ほお、そんな近くにありますか!」
永井は意外な近さに喜びを隠さない。
「それならどうだろう、清河さん。少々疲れちゃいるが、朝から登り始めては?」
清河も頷いている。
「仏生寺殿は毎日どこに泊まってなさる?」
永井がそう尋ねると、弥助は面白味を感じたのかフフッと笑った。
「もちろん洞窟の中で寝泊まりじゃ。段状窟が今ひとつ上手く動いてないんで、メシの手配が大変じゃが。」
永井と清河が今ひとつ要領を得ないでいると、弥助は説明を追加する。
それらをまとめると段状窟とは以下のようなモノであるらしい。
『そこは古代の神々が、人間の修行の場として造り、管理している場所である。
修行の場所であるため、ある程度の安全と食料は本来確保されている。
しかしこの木曽御嶽山は、はるか昔に管理が放棄された場所なので、この機能がかなり弱まっている。
食料が自動で出てこないので、仕方なく3日に1度ほど麓の村で仕入れている。』
永井は聞き終わって唖然とした表情をしている。
「永井様、弥助さんは狂ったわけではありませんよ。」
清河は表情の固まった永井に向かって、笑いながら声をかけた。
「まあ突然こんな話を聞けば、頭がおかしいと思われても無理はない。」
弥助の方も苦笑しながらそんな事を言った。
永井は我に返って言葉を探す。
「うむ、つまり...どこから質問してよいやら分からず困っておったのだ。」
そう正直に打ち明ける永井に、2人の男は笑って打ち解けた様子を見せた。
「先ずはメシでも食いながら話しましょうぞ。」
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「ふむ、つまり弥助殿は神のお告げにより段状窟で修行の場を得た、ということか。」
永井は未だ半信半疑ながら、目の前の男が説明する状況に追いついていた。
そもそも清河からも荒唐無稽な大枠を聞いている。今さらディティールが理解できぬ事も無い。
「しかしその場所は残念ながら、今も神に管理されているため勝手には使えん。ここであれば自由にせよと言われたので案内できるんじゃ。」
「なるほど。してその....神との話はいかなる方法でなされるのか?」
どうにもそちらの方へ興味が流れる。勿論鉱脈の確認が大事なのだが。
「いかなるって....オイと呼ぶとナンじゃと出てくる感じで。」
「なんと?!弥助殿は神々をオイと呼び出されるので?」
大げさに驚く永井を見て少々閉口する弥助だったが、ふと横の友人を見るとやはり驚いた表情をしている。
「清河さんまでなんじゃ。そこまで驚くよな事でもあるまいよ。」
「いや驚くと言うか、少々呆れると言うか....。神との対話とは、もう少し神秘的なものと思っていたが。」
国学者でもある清河からすれば、弥助の態度は少々不謹慎であるとも思える。
「この場にも呼び出すことができるので?」
「いや、大概はソヤツの....いやその方の祀られる神社でな....。」
少々空気が読めて来た弥助は、最低限の配慮をサクヤに払う事にした。
「その神は何といわれる神で?」
「いや申し訳ないが、そこは喋らぬようにと念を押されている。」
弥助が正月にサクヤを訪れこの場所を聞き出した時に、彼女から堅く喋ってはいけないと申しつけられていた事の1つだ。
「....それで、その中に鬼が出る。しかし安全は保たれておると。」
「いや、まるっきり安全という訳でもない。ただし結界と呼ばれる所までたどり着ければ、そこに鬼は入って来んし、ケガをしとってもその中なら治りが早い。」
またしても黙る聞き手2人。
元々喋りの上手くない弥助は、質問が無ければそれ以上の説明はしない。
どこから質問していいか分からぬ話題に、3人はサッパリ盛り上がらなかった。
「誰も管理していないとなると、鬼は倒せば自然に居なくなるのだな?」
「ワシもそれを期待しておったが、どうやらそうではないらしい。魔素が未だそれなりに残っておるので、倒してもいずれ湧いてくるようなんじゃ。」
「魔素?鬼が湧く?それはどのような仕組みで?」
思わず永井のツッコミが入るが、弥助も当然そこまで説明は出来ない。
「まあ、そういうもんじゃと思うてくだされ。」
清河がたまらず笑い転げる。
「わっはっはっは!弥助さん!そんな説明じゃ誰も納得はしないよ。」
猪口を傾けながらも釈然としない永井。
それを見ながら別に信じて貰わんでもいい、と開き直っている弥助。
その様子がおかしいと、ただ酔って笑う清河。
3者3様の夜は更けていく。
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明朝早くから出発した3人は、弥助の言う通り昼前に洞窟へたどり着いた。
弥助は大量の食糧を購入し、それを担いで洞窟へと入って行く。殿で松明をかざすのは清河の役目だ。
「ここいらには鬼は出ませんか?」
恐る恐る永井が尋ねてくる。
「3段目までは片付けたんじゃ。全部ワシがやってしまっても修行にならんので、弟子たちにやらせとったら少々遅くなってしまって....。」
弥助は申し訳なさそうにそう言うが、他の2人にはやはり今ひとつ通じていない。
「恐らく鉱脈は7段目以降にあると思うんじゃ。このペースではお2人に鉱脈をお見せできん。」
つまり弟子の育成に力を入れ過ぎ、約束の2カ月で行きつく場所にまだ到達していない、というのが弥助のお詫びポイントであるらしい。
「それでも今からワシがサッサと片付ける。問題はないんじゃ。」
そんな事を言いつつ、弥助は奥へと進んでいく。
真直ぐの洞窟を突き辺りまですすみ、さらに奥まった階段を下りる。それを2度繰り返し、3つ目の階段に差し掛かった時、手前の脇道から人がワラワラと飛び出してきたため、ヒヤッと永井が驚く。
「先生!お帰りなさいませ!」
「弥助先生!お待ちしておりました!」
口々にそう叫ぶ若者たちは、弥助が言っていた彼の弟子たちであるようだ。
「オマエら....まだこんなところでウロチョロしとったか....。」
弥助の口調が重く彼らにのしかかる。
「し、仕方がございませぬ!あのようなバケモノを素手で倒せるはずがないので!」
中でも年上であろう青年が、弥助の叱責に不服を唱える。
「オノレらまだ闘気も習得しておらぬな?それが無ければ『鬼斬り』も出来んのじゃ。先に進める訳もないわ!」
弥助は更に若者たちを叱りつける。それは『鬼斬り』ではなく『裂斬』とサクヤは言っていたのだが。
「闘気などとおっしゃられても、具体的に分かりません!先生の仰るのは『ウっとやってズバ』とか、余りにも感覚的です!」
もう一人の若者も苦情を申し立てる。
普段道場では理論的な稽古で評判の弥助だが、闘気の取得までは理論化出来ていない。
「あーもー分かった!仕方ない。見せてやるからすぐ覚えろ!」
弥助はそう叫ぶと、ブツブツ言いながら4段目へと1人降りていく。
「そう言われて随分見たけど、あんな動き見ただけじゃ分からんよ。」
一番歳若い少年が、小声で文句を言いながらも弥助に付き従う。後の2人も慌てて追いかけていった。
「私たちも....いった方がいいですよね?」
清河へそう問いかける永井。
「そうですな....出来れば行きたくなくなって来ましたが....。」
2人の足取りは重い。




