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幕末を始めた男

安政4年2月8日(1857年3月3日)


「此方にございます。」

「コリャまた......ボッロイとこじゃの。」


 山岡鉄太郎が身なりの整った壮年の武士を連れ立って、清河塾を訪れたのはまだ春先、肌寒さの残る時期であった。

 身の丈6尺2寸(約188cm)という、この時代突出した大男の山岡に連れられたその武士は、さながら七五三の子供のように見える。

 しかしながら壮年の武士が如何にも落ち着いた物腰であるのに対し、山岡の方は緊張がありありと見える。


 清河塾を見てボロいとは言ったものの、壮年武士のその顔は笑顔であった。方や山岡の顔は緊張で強張ったままである。


 武士の名は永井玄番頭尚志(げんばのかみなおゆき)、生来質実な性格である彼の目には、このボロ屋が華美な屋敷よりもよほど好ましく見えている。


 崩壊寸前の裏門を潜り抜け、ガタツク引き戸をこじ開けて山岡はどうにか屋内へと永井を案内した。


「清河殿!御免くだされ!」

 大声で呼びやると、奥から謹直な顔つきの清河が登場し、永井へ手をついて挨拶する。

 相手は旗本、従五位下玄番頭。


「本日はかようなボロ屋へお運びいただき、誠にありがとうございます。当塾を主宰しております、清河八郎にございます。」


「誠に近年、滅多にお目にかからぬほどのボロ屋ですな。」

 永井は機嫌良くそう言って笑った。

 清河は軋む廊下を先に立って案内し、客人を座敷へと誘った。


「清河さん、先ずこれはお返ししておくよ、改めておくれ。」

 永井はそう言って、懐紙に包まれた()()()()を取り出す。

 畳に置かれたそれは、パサリと微かな音を立てた。


「お見立ては如何にございましたか?」

 清河はそう言うが、声は自身に漲っている。ただの石ころであったなら、勘定奉行である永井がわざわざこのボロ塾にやって来る筈もなかった。


「お見立てなんてもんじゃないよ、ねえ清河さん。」

 くだけた調子で永井は続ける。


「少々常識を外れたものだ。表面こそ黒ずんでるが、コイツは殆ど混じりっけのない()()()()()っていう鉱物だよ。」

 永井は淡々とそう言うが、その目は好奇心で輝いている。


「これがゴロゴロしてる洞窟がある?そんなバカな話、オイソレと信用できるもんでは無いでしょう。」

 とはいえ現実にその鉱物を見せられて、つい足を向けてしまった自分がいる。

 

「信じられぬとおっしゃるのもご無理ございませぬ。しかしながら、永井様には斯様なむさ苦しき所へお運びいただいた。それには何か訳がございましょう。」


 探るような清河の物言いに、永井は思わず吹き出してしまった。


「そりゃ勿論だとも。知っての通りご公儀の台所はいつだって火の車だ。そんなときに手付かずの銀山が眠ってると聞けば、勘定方として放っては置けないさ。」


 痴人の夢のような話にも飛びつかざるを得ない、そんな幕府の事情を隠しだてなく話す永井に、清河は少し緊張を解いた。


「さればこの鉱物、私が見つけて参ったモノではございません。」

「その件は鉄太郎から聞いてるよ。」

 永井は近所のおじさんがやって来たかのように、気さくに話を進める。


 横に端座する山岡鉄太郎は小山のようにそびえ、永井の姿をより身近に感じさせた。

 その山岡は相変わらず緊張して座ったまま、一切口を開いていない。


 この時清河は数えで28歳、永井は42歳。

 

「何でもとんでもなく強いヤツが、鬼の居る洞窟から持って来たんだと。」

 そう言われてしまえば、まるっきり子供の戯言にしか聞こえない。

 清河も苦笑するしかなかった。


「しかしながら、その者の言う事に偽りはございません。ここにある、この世のモノとは思えぬ鉱物が何よりの証拠にございます。」


 永井は面白そうに清河を見ている。

「それで貴殿は私に、この場所を教えてくれると言う。」

「左様で。」


「それで一体、対価として何をお望みなのかな?」

「其処でございます。」


 清河は少し改まる。

「この洞窟、どのような場所かは先ず現地をお改め下さい。その上で私共の申し立てが間違いない、とお分かり頂けましたら、鉱物の採掘に腕の立つ剣術家が大勢必要なことも、お分かりいただけると思います。」


「鬼が出るからかい?」

 半信半疑の永井は、揶揄うようにまぜっかえす。


「左様にございます。」

 だが清河はブレない。表情を崩さず、いたって生真面目に話を進める。


「其処をご理解いただきますれば、私共に江戸中の剣術家が対戦する、剣術試合開催のご許可を頂戴したい。」


「なに?」

 聞き間違いかと永井は問いただす。

「剣術試合開催の、ご公儀の許可を頂きたく存じます。」

 清河は変わらず無表情で、自身の希望を淡々と述べる。


「そんな試合を公儀は禁じていませんよ。やりたければ好きに出来ましょう?」

 永井は今ひとつ、清河の意図を理解できていない。


「いやいや、私が申し上げておりますのは、ご公儀が主宰される剣術試合を私が札銭を取って開催する、という事にございます。」

 

 いけしゃあしゃあとそう申し立てる清河に、さすがの長井も驚きあきれる。

 剣術試合を見世物に?それで収入を得ようというのか?


「何を馬鹿な事を....公儀が私人にそんな便宜を図れるはずがないじゃありませんか。」


「さにあらず。」

 清河はここぞとタタミかける。

 後年諸国を遊説して回り、口だけで九州諸藩をまとめかけたほどの弁舌を持つ清河は、この時既に口先だけなら永井の敵う相手ではない。


「これは幕府の鉱山事業のために、先ず必須の戦力集めでございます。これが無ければ採掘する者たちは常に安全を脅かされ、事業もはかどりますまい。試合において勝ち上がった者、彼らの中から優秀なモノを集め、採掘の露払いをさせるのです。」


 立て板に水とはこの事である。

 清河の弁舌は止まることなく流れ出し、永井はさながら言葉の洪水に溺れるかの如しだった。


「さて幕府の事業を手伝う市井のモノと言えば、これは珍しくありますまい。人足集めは言うに及ばず、年貢の回収や米廻船、街道整備にお城の普請、これら全ては町人の仕事にございましょう。またこのような剣術の試合は数多くあれど、民草に娯楽として見られたことは無く、これが始まれば皆大いに喜んで、これを見るようになりましょう。」


 永井玄番という人は、勿論ただの官僚ではない。

 30代で目付、長崎海軍伝習所の総監理となった超エリート官僚であり、維新後は元老院権大書記官まで務めている。


 その永井をしてただの聞き役にしてしまう清河の弁舌は、ある意味この時代の幕開けを担う力があった。

 幕末を始めた男、清河八郎の面目躍如である。


「ご公儀は銀鉱採掘に必要不可欠な、優秀な護衛役を選ぶために、私共は興業のため、市井の町人は娯楽のためにこの試合に参加する。正に三方良しの事業にございます。」


「うーむ何やら詭弁のようにも聞こえるが。」

 とーぜん完全に詭弁なのだが、永井は警戒しているようでいて、既に心は銀鉱採掘へ向かっている。


「先ずは貴殿の言う通り、その銀鉱を確認しようではないか。それと....実際に言った事のあるという、その男には会わせてもらえるだろうか?」


 落ちた、と心の中でガッツポーズの清河だった。


<<<<<<<<<<<<<<


安政4年4月27日(1857年5月20日)


 山頂部分はまだ深い雪に覆われる、木曽御嶽山。


「ぎゃあああああああ!!でたぁあああああ!!」

 洞窟から数名の武士が走り出してくる。皆、幕府の勘定方で勤める役人であるという。


「だから言ったじゃろ?何で人のいう事を信用せんのか。」

 弥助は予想通りの展開に呆れ声を上げる。


 かつて自分も同じように洞窟の中で恐怖を感じたが、あれは事前に鬼がいると教えられていない状態だったからだ。

(親切に教えてやっとるのに、何で敢えて入り込んでいくのか。)


 自分が準備を終えるまで待てと言っただけで、何やら指図は受けぬとイキって入って行ったのだ。

 命が無事だっただけ、有り難いと思ってほしい。


 弥助はサクヤから無理やりこの場所を聞き出した後、事前に一度入ってみている。

 神から放置されて、既に五百年以上の時間が経っているという事もあり、一度中を確認しておきたかったのだ。


「ここは鬼の数もそれほど多くは無い。ワシの後から着いてくれば、それほど危険はないぞ。」

 尊大な口を利く弥助を疎ましく思っていた役人たちだったが、小鬼(ゴブリン)に遭遇した後だけに、彼の言葉にただガクガクと首を振るのみだった。


「弥助先生.....やはりお入りになるので....?」

「先生、何やら悪い予感しかしないのですが....。」


 試衛館から若先生の近藤、土方、沖田を同行してきている。

 彼らは役人たちの恐慌ぶりを見て、何かを諦めた顔つきになった。


「何をビビっておるんじゃ!強さを究めるのに鬼ごときを恐れるのか!」


 深くため息をつく3人。

 これから長期にわたる稽古が彼らを待っている。




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