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異端児たち

 安政4年2月2日(1857年2月25日)


 正月も明けてはやひと月、清河塾はようやく新年の仕事始めを迎えた。


 この時代、日本人は現代より更に休む事が少ない。

 正月休みなどというヌルイ仕組みは存在せず、直ぐに働き出すのが標準仕様。


 しかし清河八郎は年末から『ちょっと所用が出来た』と姿を消していたため、清河塾も賭場もお休みとなっていた。その後1月の末にようやく戻ってきた清河は、門下生たちに2月からの開校を知らせて来たのだった。


「水戸に行ってきたのだ。」

清河は挨拶も早々にそう言って、弥助と共に座る新入り塾生に挨拶した。


 高橋精一郎と山岡鉄太郎はまだ若いが、幕府の英才教育機関である『講武所』で教授方を務める俊英である。

 直新陰流男谷派の男谷精一郎が師範に指名されたため、弥助が修行していた練兵館の斎藤弥九郎などは、『ぐぬぬ』して悔しがったというエリート機関。

 その教授方が門下生になりたいという。


(弥助さんの腕前ってのは相当なもんなんだねぇ、今更だが。)

 自身は立合おうとも思わないので、弥助が果たしてどの程度の剣術家なのかも知らない清河は、ただ驚きの表情で2人の門下生を迎えている。


「水戸へは鴨と一緒だったか。」

 弥助の方も清河と一緒に座っている下村嗣次を見やり、ヘラヘラと笑う。


「アニキね、もうその鴨って綽名は勘弁して貰えますか?水戸で清河先生が皆にバラすもんだから、アッシあ水戸じゃあ完全に『カモ』って名前になっちまいましたよ。」


 嗣次は不服そうにそう言うが、歴史的にも彼が鴨であることは間違いない。


「ウム、鴨のお陰で弘道館のお歴々と貴重な時間を過ごすことがかなった。藤田先生にお会いできなかったのは誠に残念だったが....。」

「藤田先生とおっしゃるのは、藤田東湖先生の事で?」


 清河に『カモ』の上書きをされた挙句、山岡が華麗にスルーしてそう質問したことで、嗣次の苦情はいつもながらあやふやにされてしまった。


「ええ、山岡殿はご存知ですか。国学の重鎮、藤田東湖先生は先年の地震の際にお亡くなりになられたそうで。」


 藤田東湖は水戸藩前藩主、徳川斉昭お抱えの学者であり、彼のブレーンの1人でもあった。

 儒学を基礎に国学・史学・神道を組み合わせた『水戸学』における、幕末の中心人物だった。


 『尊王攘夷』思想にも多大な影響を与えた。というか名づけの親と言っても過言ではない人だ。

 残念ながら安政2年に起きた大地震で、その生涯を終えている。


「なんと、さ、左様でござったか!実に日本国の損失でござるな....。」

 山岡も水戸学派に傾倒しているようである。隣で義兄の高橋が、苦笑気味に2人の話を聞いている。

 水戸学は今や日本のあらゆる地方で教えられ、若者たちへの影響力は非常に高い。


「水戸では貴重な話をたくさん聞いてまいりました。今後の講義において色々とお話ししてまいります。」

「それは...実にありがたい!」

 当初山岡は弥助の稽古のみを受けるつもりであったのが、この話を聞いて毎日でも通おうかと気持ちを動かしていた。


<<<<<<<<<<<<<<<


「確かに...老中首座の阿部正弘は不甲斐のうござる。しか()()が進める改革が無ければ、水戸烈(なりあき)公も政治への復帰はかなっておらなんだ。」


 講義が白熱した結果、そのまま清河塾では酒宴が開かれていた。

 今日は賭場もお休みであり、清河も嗣次もハナから酒盛りの準備をしていたフシはある。


「イヤイヤ恐れながら今上の御心にもそぐわぬ夷狄との国交など、あってはならぬ事にございましょう!むしろサムライ大将である御公儀が率先し、攘夷の口火を切らねばならぬものを!」


 阿部はヌルイ!と叫ぶ山岡は、ガチの尊王攘夷派であった。義兄はあきれて先に帰宅してしまっている。

 門下生5名ほどと共に、清河・下村・山岡と弥助が残ってスルメをアテに酒を飲んでいた。


「まあその事よ。」

 清河は最新情報を持っている優越感から、いつになく上から目線で話を進める。

 山岡らはジリジリしながら話を待つが、弥助は面白くなさそうに酒を飲んでボケっとしていた。


「阿部殿は既に堀田正睦へ首座を譲られておる。これは親藩・譜代たちへ対する阿部殿のご配慮であったと専らの噂じゃ。」

 この事は若干解説を要する。


 この時期、日本の諸藩は大きく2つに分かれて対立していた。1つは親藩・譜代の開国派。今1つは雄藩・外様の尊王攘夷派である。

 阿部正弘は早くから国防に対し、危機感を持った人であったと言っていい。

 そのためこれまでの慣習にとらわれず、幅広い意見を取り入れ何とか日本の諸藩を一枚岩に結束させ、この難局を乗り切ろうとした。


 これには親藩・譜代の反発があった。家康以来の慣習を打ちこわし、幕政参加という既得権を侵害する行為として阿部の改革を敵視したのだ。

 そこで彼は苦肉の策として、譜代勢力の中から自分に忠実な堀田を取り立てることで、親藩・譜代の不満を和らげようとしたのだ。これが2年前の事。


 日米和親条約締結後、水戸の烈公斉昭はこれを不満として幕政から去っていった。

 そして政権外から攘夷主義者を率いて、政権批判と朝廷への奏上を繰り返している。


 対立する2者を結束させようとしたが双方から反発を喰らい、老中首座だった阿部正弘は、その座を堀田に譲って退場を余儀なくされたという体であった。


 この後も2つの派閥は対立を続ける。

 尊王攘夷派のリーダーはモチロン水戸の烈公斉昭。かたや開国派リーダーは井伊掃部守直弼だった。


「....度し難き小者ですな!阿部という男は!2者の間をフラフラと....。」


「それが今の幕藩体制なのだ、山岡君。彼らは旧習を踏み間違えぬよう動くことに精いっぱいで、内輪もめに明け暮れるだけの存在だ。」

 1人阿部正弘の問題ではない。清河はそう言っている。


「彼らにはこの未曽有の危機を乗り越えていく能力が、決定的に欠けている。広く日本という国を鑑みれば、誰が主導権を取るべきなのかは明白なんだ。幕府は....政治を朝廷から預けられただけの存在なのだよ。」


 仮にも幕臣の山岡に向かって言うべき言葉ではない。

 しかし近年、若い旗本の間にも幕府体制に批判的なモノが多く存在していた。そこに湧き起る尊王攘夷論、当然幕府首脳への不満はたまる一方である。


「いやここからが本題なんだ、山岡君。恐れながらも当代将軍家定様は、生来お身体も弱くお世継ぎがいない。今年に入って病状は重いというし、継嗣問題は既に江戸城内で声高に語られておるという事さ。」


 清河はニヤニヤと笑っている。この時期には未だ幕府の勢力は健在であり、討幕などという言葉は日本人の心の片隅にも生まれていない。

 ところがこの異端児には、明らかにこの時点でその萌芽が見られる。


 実に異常の男であった。


「開国派は紀州の若殿を、尊王攘夷派は一橋の殿様を候補に争いを繰り広げている。こんな時には揉め事の種がいくらも落ちているものだろ?」


 そう言ってキセルから一服つけ、フーっと紫煙を吹き出す清河。


「清河殿は....何を狙っておられるのか?」

 山岡はやや青ざめて弱々しくそう問うた。その先が聞いてみたいと興味がわくのだ。


 今やその場にいる者はすべて悪魔のささやきに魅了され、固唾をのんで次の言葉を待っていた。

 知識に触れ、思想に酔い、行動に憧れる。

 この後10年に渡って日本中を巻き込む破壊の衝動は、今この場に生まれつつある。


「イヤイヤ....狙っているなどとトンデモナイ!バカを言っちゃあいけないよ山岡君。」


 いやほぼ言ってんだろ!!と突っ込みがないのが不思議である。

 ほうっとため息が部屋のあちこちから聞こえ、山岡も前のめりになっていた体を、ドサリと仰向けに畳に倒した。


「狙ってなんて....金もないのになあ?弥助さん。」

 清河は軽口をたたき続ける。

 しかし張りつめた気がプツリと途切れた門下生たちは、誰もそれに取りあわなかった。


「八郎さん、ええ話があるんじゃ。」

 その時口を開いたのは、これまで黙り込んでいた弥助である。


「ええ話.....?何のことですか?」

「そりゃこの流れでゆったら当然ゼニ儲けのハナシよ。」

 弥助は当たり前じゃとでも言いたげに、真顔で清河へ話し続ける。


「これをみて頂戴な。」

 弥助は懐から黒く光る石片を取り出し、畳の上へ放り出す。

 それはゴツイ外観に似合わず、軽い音と共に転がっていく。


「これは?」

「人に見てもらった。どうやら銀が含まれとるようじゃ。」


 弥助はそう言いながら、1人スルメを齧っていた。

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