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『鴨』誕生秘話

 夜に日比谷の長州藩邸へ戻った弥助、藩邸の下女へ桂の在邸を確認し、話が出来るよう取り計らってもらう。何しろ明日には市谷の試衛館へ引越そうという話になっている。


「....それは良かったですが.....随分と急ですなあ。」

 桂はむすっとしたへの字口を、一層捻じ曲げてそう言った。


「うむ、いや長州藩邸に居るのが不都合という訳ではないんじゃが。」

 なんとなく言い訳口調になる弥助。

「善は急げというじゃろ?それにもう一つ道場の仕事を打診されとりますんで、こちらを利用させていただくよりも、住み込みでやった方が無駄がない。」


「おや、もう一つとは?」

 桂は怪訝そうな顔になって尋ねる。

「清河八郎殿とおっしゃる方が主宰する、国学塾に併設されとる道場じゃ。」

 弥助は別に隠すことでもないので、簡単に清河塾の事を伝えた。


「ふむ....清河八郎殿ですか.....。」

「おお、桂さんもご存知だったですか。」


「勿論存じております。於玉ヶ池道場(北辰一刀流)ではそこそこ知られた才人ですよ。剣の腕はそれほどでもないが、やや過激な攘夷論を語る人だそうな。」


 ふーん、才人同士やはり知っておるのかと弥助は感心している。


「ワシは学問などサッパリじゃが、今後は少しモノを知っとかにゃいかんと思うのです。そこで剣術を教えるうちに、学問も少しは身に付くじゃろうと。」


 桂は静かに笑いつつ、門前の小僧じゃないんだからと釘を刺す。


「それでも弥助さんが新しい道を進まれるのはいい事と思います。残念ながら斎藤道場は、弥助さんの身を引き取らぬと大先生が言い張っておりますので。」

 そう言って何とも言えぬ、申し訳なさそうな顔を見せた桂。


「そう言えば歓ちゃんとはあれ以来連絡もない。もう九州に帰られましたか。」

「いや、まだ道場にご滞在です。連絡を取る必要があれば、私が文なりお運びしますぞ。」


 では明朝ここを発つ前に下女に預けておきましょうと言い、その日はそれぞれの部屋に戻った。


(せっかく久々に会えたというのに、お互いしこりを残す結果に終わってしまったが。)


 弥助はそんな風に、歓助と自分の()()()を考える。

 それでも岩国からこっち、修行時代のように楽しい数日だった。弥助は思い出して笑顔を取り戻す。


(再び友として会い(まみ)える日も来よう。ワシと歓ちゃんとの間でヘタな詫びや言い訳など必要ないわ。)

 弥助はそう思い直し、手紙を残すのをやめたのだった。


<<<<<<<<<<<<<<<


 さてそれからというモノ....弥助の日常は以前の如く剣術一色、という訳でもない。


 いや勿論、基本にあるのは2つの道場での剣術指導である。これは意外と面白い。


 それまで弥助は剣術を『理』で考えたことなどなかった。見たまま、聞いたままが身体で再現できてしまうのだ。理屈など必要としていなかった。


 ところが教えるとなると『理』で伝える以外に方法がない。

 いや、やって見せて真似させるというのは、もちろん有効な手段ではある。実際他の師範達も、やっているのはその程度の事なのだが。


 弥助はイザ教えるとなったとき、口で伝えきるほど動きを『理』に落とす事を考えた。

 彼には自分は頭が悪いという思い込みがある。だから『分かりやすく単純に』を心掛け、いらぬ虚飾を全てそぎ落とした。


 これが滅法面白い。


 考えている方が面白いのだから、教わってる方はもっと面白い。面白いからどんどん上達する。


 あっという間に弥助の稽古は上手の技だと評判になり、試衛館にも清河塾にも門弟が増えた。

「アニキはやっぱつえーわ。江戸にいなかった間に、また強くなってないっすか~。」


 清河塾に通っている、斎藤道場時代の後輩の下村嗣次はそんな事を言って、弥助の強さを再認識している。


 さてここからが、弥助の江戸生活が剣術一色でない理由。

 嗣次が弥助の許を訪ねた時、賭場の話をしきりにしていたのはやはり清河に唆されていたわけで。


 どうやら清河塾を間借りする大きな商家の旦那が、滅法の博打好きだというのがコトの発端であるらしい。それなら敷地内の清河塾で、賭場を開帳すれば友人ミンナを招いた遊びが出来る、と清河に持ちかけてきたそうな。


 清河は遊び人で有名な嗣次のところへ相談する。嗣次は久方ぶりに出会ったアニキに、博徒の用心棒経験があったのを幸い、何とかこっちに引き込もうとする。


 こうしてゼニ無し3人は、神田の清河塾で目出度くツラを並べることになった。


「旦那衆は通人だから、きちっと作法が整ったモンじゃないとダメなんだ。」

 清河は普段の文武両道ぶりから想像つかぬ、下種な口調でそう言って笑う。

 博打なんかサイコロとドンブリでやればイイものだが、旦那衆は形式ばった丁半賭博がお好みだそうで。


「アニキ出来るでしょ?」

「まあ出来る。」

「出来ますか!やりましょう!」


 清河と嗣次は大乗り気で必要な道具を揃えてくる。

 盆は古い畳にサラシをグルグル巻いて作らせ、籐の振りツボに南蛮のサイコロ、百目蝋燭なんかをいそいそと運ばせ、旦那衆を集めてご開帳と相成った。


 当然他の塾生にはこんな事を教えられない。

 清河と嗣次に賭場の作法、ツボの振り方などを教え込み、当面は3人で回すことになった。


 ゼニ代わりの『駒』も手作りの力作、毎日開帳とはいかないが、弥助の清河塾での剣術稽古に合わせて3日に1回の頻度で続けることとなった。

 次郎長一家仕込みの賭場の運営は公正公平だ。

 旦那衆も大喜びで楽しんでいる。


 実は....弥助は自分でツボを振ってみて、サイの目を思った通りに出せることに気が付いた。

 手に持った時の目と、ツボに放り込んだ感触、賽が何回転しているかの手ごたえ、盆に置いた後の賽の跳ね返り具合、今の彼にはそれらすべてが手に取るように分かるのだ。


(これは使わんほうが良かろう。)

 そう思って始めたものの、実は意外と必要になる場面がある。それは負け過ぎた客への配慮が必要な時だ。


「弥助さん....あれって狙ってやってますよね?」

 清河は剣術家だけあって、弥助の動きに気付いたようだ。負けが込んだ客の張った方に、ツボを持ち上げながらコロリと賽を動かしているその動き。


「すまんのう清河さん。別にワシが得しておるわけじゃあ無いんじゃ。」


 清河は大きく頷く。常連が楽しむためにその辺の配慮は必要な事だ。

 バレない事が前提だが、弥助の方法には仕掛けがないのだからばれるもクソもない。


「やはりそうでしたか....しかし賽の目が見えるほどになるまでには、どれほど修行を積めばいいんでしょうなあ....。」

 想像を絶する世界である。いや清河の言っているのは剣術修行でバクチのことではない、と思うが。


 こうして弥助の日常は4日周期。

 2日間は試衛館でみっちりと稽古、3日目は清河塾で軽めの稽古。

 そして3日目の夜は清河塾が賭場に変わり、朝まで旦那衆を接待する。


 サイコロは交代で振ることになるので、空いている時間は清河と酒を飲みつつ、国学についてのアツい講義を聞くことが出来た。

「イイですか弥助さん!この日の本は神州の....」


 清河はいつもの如く尊王攘夷を語る。

 最新の思想というから弥助も必死で理解しようとする。だが心情的にどうしても理解できずにいる。


(一天万乗の天子が国を治めるというが、今何もしとらん朝廷にいきなり天下を与えて何が出来る?)

 弥助はその思想の入口からもうダメである。


(彼らが言うのは天子に大権を返す、その後誰かが天子を助けて国を治めるってなことじゃろ?それって今の幕府と何が違うんじゃ?)

 弥助の頭には相変わらず虚飾修辞が入って来ない。しかし道理が見当たらぬ点はすぐに目が行く。


 つまり剣術理論の如く、合理的であれば理解できるのだが。


 これが国防論であったり、もしくは産業革命のための中央集権国家論であったりすれば、難易度は高くとも弥助は納得しただろう。

 この時期の尊王攘夷とはそんなレベルである。

 そして感情論ともいえる新思想は、若者たちの胸を焼き尽くし燃え広がろうとしている。


 弥助にはのめり込めそうになかった。

(清河さんは無論いい人じゃが....最後を共にすることは無かろうな。)

 弥助はそんな風に思っている。


<<<<<<<<<<<<<<<


 さて嗣次は遊び人だけあって、飲む打つ買うの三拍子男だ。

 これが大人しく賽を転がすだけに止まるはずもなく、自分の休憩時間には銭を駒に変えて博打をしたがった。


「下村さん、アナタがお遊びになるのはどうでしょう。」

 ツボを振る清河は嫌がるのだが、旦那衆は大歓迎だった。


「......カモが来ましたぞ。」

「ホンに....カモが....。」


 嗣次は賭博が大好きなのだが、好不調の波がとにかくデカい男だ。

 特に負け始めると止まらない。

 旦那衆が喜んで、付けたあだ名が『鴨』である。


「チックショウ!!アニキ!こりゃあどうなってるんです?!アッシが張った方と逆に目を出すのが上手すぎませんか?」


 .....ちなみに弥助がツボを振っているときも、嗣次に合わせて眼を揃えてやることはしない。

 賭場のルールはそれほどに厳しい!決して嗣次をイジメて遊んでるわけではない!と弥助は思っている。


 それでも面白いほど負け続ける弟分を、笑顔でイジルのは楽しいものだ。


「よっえーなオマエ。なんつう弱さじゃ。鴨と呼ばれるのも頷ける。」


「誠に面白いほど反対に張りますな。下村君、アナタは『下村 鴨』と名を変えた方がいい。」


 旦那衆は大ウケである。


「鴨殿!ソレガシ次は鴨殿の逆に張ろうと思うのですがの!」

「おおそれそれ!ワシもそればかりやっておるのでの!マコトに鴨殿は便利じゃ!」


「アニキ....泣いていいっすか?」


 読者はうすうす感づいていよう。これぞ水戸藩から浪士組に参加する、『芹沢 鴨』の若き日の姿である。




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