試衛館
清河とシコタマ飲み明かしたその翌日。
弥助は少々遅く起き出して、桂の所在を確認した。
そろそろここを引き払い、住む場所を探さなくてはと思っていたのだ。
「清河殿のところで働くと決めたわけでは無いが.....。」
何と言っても賭場の仕切りが仕事というのは、気が進まないにも程がある。尊王攘夷のためという、趣旨の良し悪しも良く分からないが。
折りよく桂は長州藩邸に居た。
「ああ弥助さん、おはようございます。」
黙っていると口をへの字に曲げた気難しい男だが、喋り出すと人あたりのいい好青年だ。
「おはようございます。桂さん、ちょっとお話が。」
弥助はそう切り出して、この半月ほどお世話になったお礼と、此処を引き払おうと思っていることを告げた。
「それはまた...いやモチロン弥助さんにはご都合もおありでしょうが、当方としてはずっと居ていただいて構わないのですよ。」
桂がそう言ったので弥助の方が驚いた。
「私は弥助さんの強さってものを知っている。今はその強さが認められる時代じゃないが、いずれアナタの強さを求めて皆が寄ってくる時代になる。」
「随分と買いかぶられたもんじゃ。」
弥助は改めて、桂が自分に与えている評価の高さにぞくりとした。これはちょっと普通じゃない。
弥助の表情を見て桂はフッと笑みを見せた。自分の好意が少々行き過ぎているのに思い当たったのだ。
そうして誤解を招かぬよう、ちょっと説明を試みる。
「自分の師とも兄ともいえる人で、吉田寅次郎という人がいるのです。」
桂はそんな風に話を始めた。
「その人は弥助さんと同じ歳の頃ですが、山鹿流兵学を修め9歳で藩校明倫館の兵学師範になった、という大天才です。」
弥助に言わせれば、それは天才どころでなくバケモノだ。
「その人は陽明学に傾倒し、ついに行動の人となる。見聞を広め諸国を遊学するのにも、藩の許可が遅いから脱藩するというような、極端な行動の人です。」
それは....一周回ってオカシナ人なのでは?と弥助は思う。
「私は彼のような人が、この先の日の本を切り開く未来を信じています。その時必要なのは論ではなく力だ。私はこう考えているので.....弥助さんの持つ力に注目している訳です。お分かりいただけますでしょうか?」
「つまり将来、何か起きたら長州藩に味方せいっツう事じゃな?」
弥助の言い方は桂のように詩的ではない。
無学者である以前に、もって回ったモノの言い方を好まなかった。
「まあ、そんな風に思って頂ければ結構です。こう申しては何ですが、弥助さん一人居られたところで、財政が火の車になるような長州藩ではない。」
事実、長州藩はかなりゆとりがあるようで、弥助のように寄宿する浪人の姿を幾人も見かけた。
(誰と事を構えるかも分からんのに、易々と返事が出来るか。)
弥助はそう思っている。今既に幕府とケンカしようという知り合いがいるのだ。
「お申し出は有り難いし、ワシごときの力が必要であれば、その都度仰っていただければいい。しかしその事と、お世話になりっぱなしという事はまた別の話じゃ。」
そう言って弥助はやんわり桂の申し出を辞退する。
「.....そうまで言われるのであれば、無名の道場ですが師範の口はいかがですか?」
桂はそう言って、岡田十松吉貞が言い残していった話を持ち掛けてきた。
<<<<<<<<<<<<<<<
もう初夏と言っていいほどの午後の日差しは、弥助の影をくっきりと地面に映している。
弥助は長州藩邸を出たところで空を仰ぎ、腰に手を当てううんと伸びをした。
「....ジジイか。」
見上げた先に、いつの間にかサクヤが浮いている。
「おお、やっぱり居たのか。今の桂の話は聞いとったか?」
サクヤは歩き出した弥助の上を同じ速度で進みながら、ウムと頷いた。
「アンタの師匠が言い置いてった話でしょ?住み込みで宿もいらないなんて持って来いじゃない。」
守護神のくせに、さほど宿主の生活環境には関心が無いらしい。
「市谷といったら田舎じゃぞ?そんなところに住み込んで、何か面白い事でもあると思うか?」
「それでも今から行ってみようと思ってるんでしょ?まあ行って見て、話を聞いてから決めても遅くはないでしょ。どうせ無職の浪人なんだから。」
少々腹が立つが事実でもあり、弥助は反論もせず歩みを進める。
「神田の清河塾の話はどうするの?」
サクヤは一応話を聞いてやってもいい、といった体で尋ねてくる。
「うーん、サクヤは聞いておらんかったろうが....実はあの後酒を飲み始めてな....。」
弥助は昨晩の清河の話を説明する。話が賭場のところまで来た途端に大笑いしたが、すぐ真面目な表情に戻って弥助に言った。
「アンタにはまだ馴染が無いと思うけど、『尊王攘夷』っていうのはこの後さほど珍しい事じゃ無くなるから、それほど警戒しなくてもいいわよ。」
「.....随分危険な考え方じゃと思うが。異国人は話し合いもせず皆殺せというんじゃろ?」
異国人を脅威と認識していなければ、尊王攘夷は少々乱暴な話に聞こえるだろう。
「意外と冷静なのねアンタ?この国の若者なら、普通は血が騒ぐはずの言葉なんだけど。」
「そんなもんか?だとしたらワシに学問が無いからじゃろ。やはり清河殿の所で学ぶことが必要じゃな。」
尊王攘夷思想は国学がベースになって流行している。確かに勉強しなきゃ身に付かないモノではある。
「まーそーね。でもいずれにしてもアンタ既に『尊王攘夷』に取り囲まれてるわ。さっき桂君が言ってた吉田寅次郎も、尊王攘夷思想の親玉みたいな男よ。」
弥助は唖然としてサクヤを見上げる。
「オノレは守護神としてワシをどうしようと思っとるんじゃ?」
「あら、ちょっとアブナイくらいの方が面白くない?」
<<<<<<<<<<<<<<<
さんざん田舎呼ばわりしていた弥助だが、長州藩邸がある日比谷から市谷までは1里(約4km)ほど、練兵館のある九段からはそれほど離れていない。
ゆっくり歩いて半刻ほどで、桂に紹介された試衛館にたどり着いた。
「なによ、ゼンゼン近いじゃない?」
「いや...近さではなくて何も無いとこじゃと。」
確かに何もない。だがそれを言ったら練兵館周辺もそれほど変わりはないのだが。
「そもそもアンタだって田舎の出身でしょ?」
「そうじゃった。」
弥助が道行く人に尋ねて回ると、試衛館の場所はすぐに判明した。
何しろ荒稽古で有名な道場という。
「荒稽古!なんかそそられるモノがない?」
サクヤは何かがツボにはまったらしい。
「稽古をわざわざ荒稽古なんて言うあたりが、いかにも臭いわ。」
弥助は相変わらず期待していない。
試衛館は質素な構えの、民家と見紛うような建物だった。
中からは荒々しい声が聞こえ、板床を踏み鳴らす音と共に竹刀の割れ音が響く。
「さっ♪入ってみましょ!」
「そうじゃな....。」
簡素な門を通過し、引戸を開けて声をかける。
「もうし、ワシは練兵館の紹介で伺った、仏生寺弥助というモノでござるが.....。」
その瞬間。
ビシリ!という殺気がまるで敵地を襲撃したかのように、道場内のいたるところから弥助に飛んでくる。
それは悪意むき出しの生々しさで、剣術道場で感じるような類のモノではない。
『わ~お。』
頭上でサクヤが脱力した声を出す。
「これはこれは....中々の歓迎ぶりじゃな。」
弥助は予想外の出来事に、ちょっと嬉しそうな声を上げる。
全員が獣の如くギラギラとした視線をぶつけてくる中、落ち着いた声の男が弥助に話しかけてきた。
「わざわざお越しいただき痛み入る。」
顔からは歓迎の意図を微塵も感じないが、取りあえず言葉面は『ブッ殺すぞ』よりマシであった。
中肉中背、総髪の頭は面をつけていない。意志の強そうな口元に通った鼻筋。
男前の部類だが、その雰囲気はフレンドリーじゃない。
「師範代の土方歳三と申す。早速ではあるが、ご指南いただけようか。」
男はそう言うと、防具もつけずに竹刀を投げて寄越した。
「守護神....全く役に立たんな。」
弥助は笑顔で言う。戦闘快楽症には丁度いいご褒美である。




