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清河八郎の野望

 下村嗣次が訪ねてきた翌日、朝食を摂って部屋へ戻ると珍しくサクヤがいた。

 弥助は早速昨日までの状況を伝える。


帰還者(マレビト)にはチョット相応しくないお仕事ねえ。」

 サクヤはそう言って面白そうに笑っている。

 田舎の師範代になるか博徒の親分になるかでは、そう言われても仕方ないが。


「すまんなサクヤ。せっかく機会を与えて貰ったが、オマエの役に立てそうにはないんじゃ。」

 力なく弥助が言うと、女神は更に声を出して笑った。


「.......可笑しいのは分かるが、そこまで笑わんでも....。」

「勘違いしないで、笑ったのはアンタがあんまりシケた事言うからよ。」

 サクヤはまだ笑顔だが、口調はマジメに言い訳をした。


「まだ始まったばかりで、そんなに劇的な事件は転がって来ないわよ。良いじゃない道場の師範代なんて。江戸での再出発には申し分ないんじゃない?」


 そんなものだろうか、と弥助は気持ちを切り替える。


「アンタの使命は巨大すぎて、取っ掛かりなんか誰にも探せない。焦らずやりたい事やって頂戴。」

 サクヤは相変わらずそんな事を言い、呑気に構えている。


「そんでオマエはずっと江戸に居るつもりか?」

 言外にヒマなのか?と含みを持たせている。


「言ったでしょ?この辺りにもアタシの信者は多いのよ」

 サクヤがファサっと髪を掻き上げて気取ったポーズを取ると、髪に飾られた素朴な花がハラハラと散る。

 生成りの目の粗い織物で作られた服といい、イイ女の雰囲気は出し辛いキャラだ。


「やはり居るつもりか......。」

 別に邪魔になるわけでもないが、女神の居候というのも気分が落ち着かないものだ。


「アンタこそどーすんのよ。ずっとここに厄介になるわけにゃいかないでしょ?」


 ソレは弥助も考えていた。

 別に長州藩の重要人物でもない自分が、桂の好意だけで何時迄もここに居座るわけにもいかない。

 師匠の勧めでもあるし田舎者に剣術でも教えるか、とは考えているが......。


「チョット出かけてくる。」

「どこいくのさ。」

「なに、学問の師を求めにな。」


 怪訝な顔のサクヤは、弥助に着いて部屋を出てくる。


「着いてくるつもりか?」

「守護神として興味があるのよ。」


 顔面ニマニマのサクヤの顔には、『良い暇つぶし見っけ』と書いてある。

「本業に戻れば良いと思うんじゃが......。」

「これも仕事。アタシアンタの守護神。」


 こうなっては弥助に防ぐ術はない。仕方ないので勝手にさせる事にする。


「昨日嗣次から聞いた、清河塾とやらに行ってみようと思うんじゃ。」

 弥助は人生で初めて学習に対する意欲が湧いていたし、その清河なる人物にも興味があったのだ。


<<<<<<<<<<<<<<<


 清川八郎という『大層な偉物』が経営する私塾は、神田三河町にあると昨日嗣次が言っていた。

 2、3人に道を尋ねて、すぐにその場所を見つける事ができたが。


「ナニココ、ボッロくない?」

「まあ.....私塾じゃし豪華とは言えんな。」


 清河は比較的大きな商家の敷地内に、離れを借りて私塾としていた。

 元は武家の屋敷であったのか、比較的大きな庭が母屋との距離を空けている。しかし長年放置されているようで、専用の門も崩れ落ちて廃墟のようにも見える。


「此処に間違い無いんでしょうね?」

「中から声も聴こえるし、間違いはなかろう。」

 弥助は平気でサッサと門を潜り、というか跨ぎ、薄暗い玄関から中に声を掛ける。


 すると程なく中から弥助と変わらぬ程の年齢の、イケメンと言っていい容貌の男がガタガタと引戸を開けた。


「何の御用でしょう?」

 穏やかな口調で来訪の意図を尋ねる、眉毛キリリとしたイケメン。


『なかなかの色男ね。』

「コチラで私塾を開かれていると聞きまして、興味があったので見学などさせて頂ければと。」

 弥助は女神の言葉をスルーして、丁寧に申し入れる。


「おや、入塾のご希望ですか。本日は休みにしておりますが、宜しかったらお上がりください。」

 男は気さくにそう言って、引戸を大きく開ける。

 建て付けの悪そうな戸は、ガタガタいいながら何とか人が通れる広さまで開けられた。


『ここでナニ学ぼうってのよ?悪霊に取り憑かれるわよ?』


「既に自称守護神に取り憑かれとるじゃろ。あと一つ二つは問題ない。」


 悪霊扱いされてギャーギャーと喚くサクヤをあしらい、弥助は男に続いて建物内へ入り込む。

 引戸を閉めるのに若干時間を取られたが。


 室内の様子は外観の崩壊ぶりに比してソレほどでもなく、畳は換えられ掃除もなされていた。

 弥助は一安心して勧められるまま座敷の一角に腰を下ろす。


『まあ中は普通にしてあるのね。幽霊屋敷じゃなさそうだわ。』

 サクヤはそこらじゅうを物色して回っている。


「ハッハッハ、いや余りのボロ塾ぶりに驚かれたことでしょう。お顔に書いてあります。」

 弥助は何と答えていいか分からず、はあと適当に返事をした。

 その間も男を観察している。彼がこの私塾の主宰者であろう。


「仏生寺弥助と申します。本日は突然お邪魔して申し訳ありません。」

 月並みなことを言って頭を下げる。


「清河八郎と申します。つかぬことをお尋ねしますが、仏生寺殿はどなたから当塾の事を?」

 落ち着いた物腰だが、多少警戒の色がある。


「こちらで学んでいるという、下村嗣次殿から伺いました。まあ彼とは道場の馴染でして。」

「おお下村殿か。とおっしゃると貴殿も練兵館の....いやまてよ、練兵館で弥助と言えば....もしや『閻魔』殿か?」


 にやりと笑った弥助に清河はハタと膝を打つ。


「おお!道理でただならぬ身のこなしと思いました。於玉ヶ池の千葉道場にも、ご尊名は聞こえておりましたぞ。」


 清河八郎は北辰一刀流の目録、ここから何年かのちには免許皆伝となる腕前である。


「いやいや、試合1つさせていただけぬ盆暗です。」

「ご謙遜を。千葉栄次郎殿も貴殿の噂を聞かれ、かねてから是非対戦したいものじゃと仰せでした。」


『あらスゴイ。アンタも意外に有名人じゃない?』

 サクヤはそう言って驚いたようだったが、弥助にも初耳の事だった。


「そうでしたか....ならば突然お邪魔しても、ひと試合受けていただけようか?」

 冗談めかしてそう言うと、清河は笑顔で頷く。


「ご所望ならば某が間を取り持ちましょう。貴殿ほどの方が、道場破りの真似ごとをされる事はない。」


 なんか....いい奴だと弥助は単純に思った。


「ところで当塾で学問をとおっしゃられるが、これまでに何を修められましたか?」

 そこへ塾長として当然の質問が来る。これは弥助も正直に答えるしかない。


「いや....お恥ずかしい事に、つい最近まで文字に親しまず、ようやく洒落本などを読んでいる程度なのです。何も知らんヤツと思っていただいて結構。末席で講義の様子だけお聞かせ願えませぬか?」


 随分と無作法な願いだが、清河は感心したように頷いた。


「何の、恥と思われる事などございません。そのお歳にして学問をしたいと思われる、そのお気持ちこそ大事。されば某からもお願いでございますが。」


 と清河は身を乗り出して弥助に近づく。


「貴殿が某より剣術において上であることは明らか。されば当塾で剣術を指南してはいただけませぬか?些少ですが謝礼も致します。」


 は?と思わず聞き返す弥助にサクヤは言う。

『ほら~。周りがほっとかないのよ。これから忙しくなるわよアンタ。まあ守護神が優秀ってことも大きいけどねえ!』


 こうして何の因果か守護神の活躍か、『清河塾』への就職が決まった弥助。しかしそれで終わりではなかった。


<<<<<<<<<<<<<<<



「な~んっと!それは面白い!弥助殿は面白いご経験をされておられますなあ!」


 働くことが決まると早速祝いじゃ!と言って、清河は酒を持ってきた。

 肴も無くただ酒を飲む。庄内藩出身の清河は中々の酒豪だった。


 サクヤはすっかり飽きてしまい、先ほどから姿を見せない。

 恐らく神田を見物しているか、神社に戻ったかであろう。


「いやそのような....剣術修行も中途半端に、諸国を旅して博徒の用心棒になった、など良くある話にございましょう。」

「いやいやそんな事はございませんよ!そーですかそーですか....では、博打の作法などはお手の物でしょうなあ?」


 うん?最近何処かで聞き覚えのある質問に、弥助は首をかしげる。


「....まあそれは、毎晩の如く賭場におりましたので。」

 何やらキナ臭くなってきたが、弥助は既にこの男に興味があった。

 剣術も学問も当代一の資格を修め、何故このようなあばら家で私塾を主宰しているのか?


 仕官の道ならいくらもあるように思えるが、何故この男は今、弥助と2人茶碗酒を飲んで賭博について話しているのか?


「単刀直入に申しまして、このあばら家は賭場を開くつもりで借り受けました。」

 清河は隠すつもりもないらしい。サラッと非合法行為を弥助に打ち明ける。


「....理由をお聞きしても?」

 ただ金のためなら仕官の道こそ安定しているだろう。


「弥助殿は、『尊王攘夷』という考えについて知識をお持ちですか?」

 それは当時の知識人の中では、最先端の思想である。

 国学の研究者を中心に、米国艦隊司令官ペリーの来航に対するリアクションとして巻き起こった。


 とーぜん弥助は知る素地が無い。興味も薄い。


「簡単に申せば皇尊のおわす朝廷を興し、日の本に夷人どもを入れるべからずという事です。」


 清河はかなり酔っている。だがそもそも思想に陶酔している。


「某はっ、幕府が取った態度に我慢がならぬ!夷人どもを神州である日の本へ上陸させるのみならず、条約まで結び誼を通じようとしておる!今上がならぬと仰せであるにも関わらずでええっす!」


 もう酔いが回ってフラッフラである。清河フラッフラでボロボロしゃべる。

 初対面の自分にそこまで話して大丈夫なのかと弥助は言ってやりたい。


「幕府に任せておけばこの世は闇に覆われてしまう!!それを防ぐためにこのあばら家を拠点とし、活動家を教育し資金を集めようと思うているのですっ!!」


 そんな事ワシに言われても困ります、と弥助は目で訴えてみたが、清河には全く届いていない。


「だあ~っはっはっは!!弥助殿!貴殿の能力でじゃんじゃんもうけましょー!!そして討幕だあ!!」


 ....守護神は何処へ行ったのじゃと、弥助は声を大にして言いたかった。




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