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マレビト認定(雑)

 安政3年3月29日(1856年5月3日)


 長州藩邸に客として招かれた弥助は、ただブラブラと過ごしていた。

 清水にいた時からブラブラするのはお手の物だ。


 ただ来客は引っ切り無しにあった。先ずは客とは言えないがサクヤが部屋に居着く。

「武蔵野にもアタシの分社があるから、此処まで来るのも簡単なのよ。」


 居着くと言っても、サクヤはちょいちょい町中を見物しているようだ。

 長州藩江戸屋敷は日比谷御門の外側に位置する。現代の日比谷公園の中である。

 京橋・日本橋界隈や、足を伸ばして上野・浅草辺りまで一日中見て回っている様子。


 そんな訳で弥助はあまりサクヤと話す機会が無い。

「この後あーせいこーせいと、何ぞやって欲しい事はないのか?」

 段状窟(ダンジョン)を完全に攻略したわけではなく、自分の都合で勝手に江戸まで来てしまったようなものだ。すぐにでも戻らねばなるまいと弥助が言うのを、サクヤは歯牙にもかけない。


「アンタ本気で10段目まで行く気?そもそも7段目を制したのだって数百年ぶりの快挙なのよ。もういいわよアンタ帰還者(マレビト)認定!おめでとう!」


 コイツは単に江戸見物がしたいだけか?弥助は雑な認定に不満を感じるが、確かに2年近くの修行で飛躍的な....というか人間外の能力が身に付いている。


「それでは帰還者としてワシは何をすれば?」

 気になる自身の今後についても尋ねると、サクヤは『別に』と興味なさそうに答える。


「アンタがやりたいと思う事をやんなさい。それだけの能力があんだから、やりたいほ―だいでしょ?」

「....なんぞ義務とか使命とかいうモノは無いんか?」

 普通あるだろう、と弥助は思う。


「フン、馬琴の物語じゃあるまいし、姫を救えとか殿を守れとか、そんなバカみたいな話があるわけないでしょ。アタシもう出かけるから。」


 帰還者(マレビト)って大事にされたり尊敬されたりすんじゃねえのかよ?弥助は納得いかないが、そーいうものでもないらしい。


「好きにしたらいいわ。どのみち周りがアンタを放っておかないから。」

 こうして女神(サクヤ)が弥助に示した道は『好きに生きろ』のみだった。


「.....なんか考えておった事と大分違う。」

 自由は歓迎だが自由すぎるのも困りものだ。


<<<<<<<<<<<<<<<


 その後すぐに師匠の岡田十松が訪ねてきた。

「大変ご無沙汰して申し訳ござりませぬ。先日道場まで伺ったのですが....。」


 師匠は大笑いして弥助を咎めなかった。

「話は聞いとるよ。オマエさんも世間で苦労したのか、随分と肝が太くなったな。」


 齢還暦を越え体力の衰えはあるはずなのだが、頭髪が完全に白くなった以外、肌や目の輝きなど前にもまして若々しさを感じる。


 ちなみにこの岡田十松、斎藤弥九郎先生の師匠である岡田十松吉利の息子で、十松吉貞という。

 神道無念流第4代として父の後を継いだが、その後隠居して弥九郎にすべてを譲った。


 しかし『隠居先生』と呼ばれる今でも、その実力は弥九郎を凌ぐ。

 この人こそ恩人、と弥助は思っている。態度も自ずと違ってくる。


「この4年修行をしながら、先生のお言葉を忘れたことはありませぬ。」

 段状窟(ダンジョン)でも思い出されるのは、師匠の言葉だった。この歳になってようやくその極意が体得できた言葉もあった。


「なかなかいい修行を積んできたようだ。身体がデカくなった。」

 師匠は久々の愛弟子との対面を、手放しで喜んでいる様子だ。


「儂は1つ詫びねばならん。お佳代の事じゃが...。」

 昔、口約束で許嫁とした十松吉貞のひとり娘。しかし3年前に武家へ嫁いだという。


「ワシの方こそ勝手に飛び出した事をお詫びせねばなりません。お佳代さんをお待たせする資格などない。」

 その件は昨日道場の若者たちから聞き及んでいた。

 むしろ今まで待っておられたら断るにも一苦労だったはずで、弥助にも一切こだわりはない。


 十松吉貞は、弥助がソッコーで『気にしてません』と行った事に少々複雑な思いがしたが、ゴネられるよりは余程マシであろう。

 こういった約束事はこの時代、結構重いものである。


「どこで修行をしてきた。」

 十松吉貞は気分を切り替え、剣術話を始める。

「富士の洞窟に籠っておりました。修験道の霊場がございまして。」

 弥助もそっちが気楽であるため、ホッとして話し始める。


 しかしやれ牛鬼じゃ龍鬼じゃと言っては、頭の中身を疑われてしまう。

 差しさわりない範囲で――というとほぼ話せないが――弥助は修行の結果掴んだ闘気(オーラ)についてかいつまんだ説明をした。


「それは面白い。弥助はそのような境地へ入ったか。」

 師匠は弥助の非現実的な話を、一切の疑いもなく受け入れる。


「先生....こう言っては何ですが、お信じ頂けますので?」

 そんな事を言う自分にも可笑しみを感じるが、妄想幻覚の類である。

「信じるとも。我が流派にも開祖に似たような逸話がある。」


 神道無念流開祖、福井嘉平の逸話である。


 嘉平は新神陰一刀流を学んだ後に諸国を漫遊、信濃国飯縄山で老人と出会い、7日間の修行ののちに秘伝書を授けられたという。

 言い伝えでは嘉平は空を走って10間先の的を斬り、50人の弟子と同時に立合って、木刀を体にかすりもさせなかった。


「......確かに似ておりますが、人の話で聞くとやはり嘘くさい。」

「オヌシがそう言っては身もフタもない。不思議の話は幾ばくかの根拠があるもんじゃと儂は思う。」

 還暦を越えてなお柔軟な頭を持つ師匠だった。


「いずれ儂にも見せてくれ。誠に興味深い。」

「されば。」

 と言って弥助はサッと扇子を取りだし、闘気(オーラ)を纏わせ開け放たれた障子の向こうへひょうと振りぬく。

 十松吉貞がその方向を見ると、中庭にある松の木の枝がバサリと落ちてきた。


「.....何とも....凄まじいのう。それほどの力を得て、オマエさんはこれから何とする?」

 ため息と共に師匠はそうつぶやく。

 それは自身もたどり着けなかった境地にある、愛弟子への羨望交じりの問い。


「武家になりたいとは思いませぬ。ただ強い者との試合がしたい。」

 自分がどこまで来たのか確かめたい。今の弥助にはその事が一番の望みであった。


「先生はお旗本のお知り合いがございませぬか?」

 弥助が思うところあってそう尋ねると、師匠はウーンと唸って考えておこうと言った。

 隠居の立場で道場の人間関係を使うのは無理があろう、弥助もその辺りはわきまえている。


「それよりも他道場で師範代などしてみてはどうじゃ?」

「他道場ですか?」


「ふむ、斎藤道場にはいくつも申し入れがある。市谷の試衛館などは手練れを1人紹介せよといつも言っておる。暫くそういう所で他流試合をしてみてはどうじゃ?」

「他流試合が多いのでしょうか?」


 試合と言っているが、ここでは道場破りの事であろう。

 竹刀剣術の隆盛に伴って、剣術道場は江戸で大ブームとなった。百姓町人でも気軽に習える剣術の隆盛は、『道場破りビジネス』という一つの流行を生み出している。


 弥助も先日行った『他流試合申し込み』は、命がけの試合だ。主に試合の前後で激しい攻防がある。

 道場側も面目にかけて、道場破りを撃退しようとする。しかも田舎の小さな道場では、門人の増減にもかかわる死活問題である。


 こうした道場では他流試合の申し込みがあると、対戦を避けて酒などでもてなし、金を包んでお引き取り願うというケースが多かった。これを狙った『道場破り屋』が生まれてくる。

 しかしいつも逃げ回っていては、それこそ門弟たちが『腰抜け道場』の評判にやめていく。


 それを防止するために、小さな道場は有名道場から手練れを派遣してもらう事があった。

 十松吉貞はそのことを言っている。


 弥助は...正直気が進まなかった。

 田舎道場へ他流試合に来る者など、腕もたかが知れている。


「うむ、そこには桂などもよく行っておる。紹介してもらうといいだろう。」

「ありがとうございます。」


 口ではそう言うモノの、弥助には完全にその気は無かった。市谷?江戸の西の果てである。

 そんなところに骨のある武芸者がいるとは到底思えない。


 また道場にも顔を出せ、そう言って十松吉貞は帰っていった。


<<<<<<<<<<<<<<<


 その次にやって来たのは練兵館で馴染の下村嗣次である。

 この男、先日の練兵館訪問時は居なかったが、どうやら今は出入りしてないらしい。


 水戸藩の出身、といっても弥助と同じ百姓である。

 ただしどういう流れを辿ったか、水戸藩の講武所とも言うべき『玉造文武館』で剣術を習うという幸運に恵まれた。そこで頭角を現し、江戸へ派遣されて来たそうである。


 身分が低い事もあり、弥助の事を『兄貴』と呼んで慕っていた。金魚の糞と言っていい程に、弥助の後を追いかけて回っていたものだ。

 弥助が江戸を出る際にも、一番悲しんでいたのはこの男である。


 それが練兵館の仲間から聞いたか、長州藩邸まで弥助を訪ねてきたのだった。


「アニキ~、お久しぶりっす~。.....ってなんかデカくなってない?」

 もう涙ぐんでいる。色白の下膨れた顔を真っ赤にさせて、弥助との再会を喜びかつ驚いていた。

 図体は今の自分よりさらに大きいが、涙もろくて子供気質が抜けない男だ。


 それでも2人は仲が良かった。嗣次の方は、百姓出身なのにとにかく強い弥助にあこがれていたし、無口で友人の少ない弥助は、嗣次くらいしか話し相手がいなかった。


「嗣次、オメエ道場は辞めたのか?」

 嗣次の疑問には構わず、弥助は彼の近況を尋ねる。

「へえ、どうにも皆伝なんて永遠に無理そうなんで、今は清河塾で学んでるっす。」


 清河塾?弥助には聞きおぼえのない名前だ。


「清河八郎ってえ偉い方がやってるんすが。いやこの人ぁオラより2つばかし年上なだけっすが、北辰一刀流皆伝、学問は東条一堂から塾頭を任されようっていうほどの偉物っす。」


 そりゃあ凄いな。弥助は素直に感心する。

 文武両道を地で行く天才だ。自分などとは出来が違うのだろう。


「ところでアニキはどうしてたんっすか?何だか岩国でバカみてえに強えおサムライを叩きのめしたってえ話っすけど?」

 そこで弥助はまたまた嗣次に対し、此処までの経緯をかいつまんで話す。

 面倒なので段状窟(ダンジョン)の話は完全カット版だ。コイツに話すと尾ひれがついて、トンデモナイことになる予感があった。


「ほえ~ヤクザもんの用心棒っすか~。そりゃあ色々あったっしょ~。」

 ソコか?弥助はガクリと脱力する


「てえ事はアレっすね....アニキは賭博なんかも作法に詳しくなったでしょ?」

 嗣次はニヤっと笑って期待を込めた言い方をする。


「そりゃあ毎晩賭場に詰めてたからな。賽子遊びなら何でもござれだ。」


 やった!と嗣次は嬉しそうに叫ぶ。

「アニキ!賭場開きやしょう!これゼッテー儲かりますから!」


 死んだような目になる弥助。それをゼンゼン気にした様子もない嗣次。


「なんで?」

「いや儲かるっすから。」

「なんでワシが賭場開かにゃならんの?」

「ゼニ稼がにゃ江戸じゃ暮らしていけないっすよ。」


 世の中を変える使命の帰還者(マレビト)になったというのに、舞い込む話は『道場破り屋』退治とか賭場の開帳とか....あの江戸見物女神の所為か?そうなのか?と弥助は頭に手を当て悩むしかなかった。



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