金太郎退治
安政3年2月10日(1856年3月16日)
「いつまで待っても来よらんのう?」
弥助が大村藩へ到着して、早くもひと月が経とうとしている。
親友である斎藤歓之助と再会し、10日ばかりはやれ酒じゃのやれ祭りがあるのと、再会を祝してアレコレと馬鹿騒ぎをしていた2人だったが、1月の終わりが来るにつれ、どうも様子がおかしいとうろたえ始めた。
武者修行などと言って道場破りに乗り込んで来た、宇野金太郎と福島範輔が約束通りに再度大村藩を訪ねて来ない。
遅くともこの1月の終わりにはもう1度立ち寄ろうと、大見栄を切って立ち去っていった2人組。
よくよく考えてみれば、もう1度アウェーに来たりするのは大変危険な訳で。『もう1度来て汚名をそそぐチャンスをやろう』というのは、今回無事に敵地を脱出するための常套文句でもある。
道場破りは襲われた道場の評判と名誉にかかわる。
ましてやそれが藩お抱えの剣術指南であれば、藩の名誉も一身に背負わなければならない。
道場破りは口封じに襲われたり、暗殺されたりと命がけの武者修行なのだ。
「よもやヤツらワシを謀りおったか....?」
まんまと騙され2人組に脱出された挙句、待ちぼうけを喰わされたと気付いた歓之助。
(やっぱり歓之助きゅんって.....お馬鹿ちゃんだったのね。)
サクヤは憐みの籠ったうるんだ瞳で、歓之助を見つめている。
彼女はめっきり表に出てこなくなったが、専ら歓之助観賞を楽しんでおり特に不満も感じていないようだ。
江戸では斎藤道場の花形剣士として『鬼歓』などと二つ名で呼ばれ、二十歳そこそこの若さで大村藩お抱えの剣術指南役となった歓之助。
若さゆえの世間知らず、剣術で手玉に取られた後に知略でも完全に遊ばれてしまい、今となっては何が何でももう1戦して汚名返上せねばその身が危うい。
「弥っちゃんワシは岩国へ行く。どうか力を貸してくれ!あのクサレ外道ども....刀の錆にしてくれる!」
道場破りだった宇野金太郎は、岩国藩の人である。
これがさらに事情をややこしくしている。
周防国岩国藩は吉川家、当然長州藩の支藩である。そして本家長州藩毛利家は、歓之助の実家である練兵館斎藤道場を藩指定の剣術道場としている。
支藩の御家流である『片山流』の剣士、宇野金太郎が本家の剣術より優れている、となってしまえば歓之助は切腹モノの恥をかかされたことになる。
つまり歓之助は剣士として、流派として、藩士として、3重にも4重にも汚名をかぶされている状態。
さらにその場しのぎのでまかせにアッサリ騙され、怒髪天を貫かんばかり。
「おうよ肥前まで来たついでじゃ。岩国など帰り道、サッサと行って片付けるとしよう。」
弥助は何の気負いもなくそう言った。
「弥っちゃんはホントに変わったのう。身体がデカくなっただけじゃない。」
こういう時にいつも威勢のいいことは言わず、慎重に事を進めるのが弥之助という男だった。
歓迎すべき変化でもあり、2人揃ってお調子者であっては抑え役がおらずやや不安でもある。
「変わった....そうかもしれん。身体が変化すると頭も変わらざるを得ん。ワシはそんな事がようやく分かってきた。」
より速く強くなった弥助は、その力を使いこなすために頭の使い方も変えねばならなかった。
その事が性格にも多少影響しているという自覚がある。
そうと決まれば善は急げ、2人は明朝出発することにした。
(剣術勝負はともかく、頭脳戦ではかなり劣勢ね....。)
サクヤはそれとなく弥助に作戦を授けようと思っている。
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安政3年2月20日(1856年3月26日)
弥助と歓之助が岩国藩へ乗り込み、『先般お手合わせ頂いた返礼として、当方より足を運ばせていただいた。』という丁寧な書状を、片山流道場の門番に託したのが2日前の事。
『先般お見苦しい剣をお見せした。この度は是非ご指導賜りたい。』という殊勝な言付けもしておいたのは、サクヤの策である。
自信満々に乗り込めば警戒される。人数をそろえず、2人で乗り込んだのも油断を誘う策だ。
「普通にやればアンタの負ける要素は無いわけよね。」
小奇麗な旅籠の一室で、サクヤはそう弥助に言う。
弥助は日も高くなってきたというのに、布団にくるまりゴロゴロしている。
サクヤは空中で指南中。
「しかし試合後に岩国から脱出するのは骨が折れる。普通は人数を集めて乗り込むものだが。」
弥助にも練兵館で道場破りを返り討ちにした経験はある。
「20人や30人なら、どうってことないでしょ?ドーンとやっちまいなさい!」
確かに犬鬼100匹ほどと戦闘した経験はある。
あれがどの程度、人間相手に通用するのか。大村滞在中にも道場で稽古はしたが、余りのレベルの低さに全く参考にはならなかった。
「歓ちゃんと対戦して、門人の面前でふっ飛ばすわけにもイカンかったしのう。」
「本気で心配してんのかしら?人類だったらアンタの敵にはなりえないんだけど。」
弥助と歓之助は現在、旅籠で宇野金太郎からの連絡を待っている。
こちらの様子を探っているところだろう。情報戦は既に始まっている。
昨夜2人は芸妓を上げて大騒ぎしたところ。これも誘いの一手である。
恐らく酒の抜けぬウチに、一勝負に出てくるだろう。サクヤはそんな予測を立てている。
すると弥助の部屋の障子が勢いよくバンッとひらかれ、満面に笑みの歓之助が仁王立ちしていた。
「来たぜ弥っちゃん!金太郎退治だ!」
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片山流道場では、師範の宇野金太郎が道場を覗きつつ、ニマニマと笑っている。
「阿呆が雁首そろえて眠っとる.....。」
傍に着く師範代の福島と、声を忍ばせカッカッカと笑い転げている。
昨晩遅くまで酒盛りをしていたのは、様子を探っていた道場の弟子から報告済みだ。
そこを見計らって、今日の午後来られたしと使いを出す。
やって来た2人を暫く待たせておいたら、2人とも眠気に勝てずうたた寝を始めた次第。
「これでは剣術試合どころではあるまい。」
作戦勝ちである。してやったりと金太郎は笑いが止まらない。
「どれ、寝起きで動きもままなるまい。俺がサッサと終わらしちゃる。」
金太郎は自ら準備を整えると、道場へ向かって颯爽と乗り込んでいった。
色白で眉目秀麗、背は5尺3寸(約160cm)と大柄な方ではないが、技の冴えは天下一品の評判がある。
一時期江戸でも修行をしており、北辰一刀流の道場で学んだこともある多彩な剣。
寝不足の相手などハエを叩き潰すに等しい。
この宇野金太郎、飛んでるハエを箸でつかんだ逸話の持ち主でもある。
「これはお待たせ申し上げた!師範の宇野にござる!!!」
大音声での名乗りを受けて、舟を漕いでいた2人はビクッと跳ね起きる。
「おお、ようやくおこしか~。この仏生寺弥助がお相手つかまつる~。」
「オイ弥っちゃん、ヨダレよだれ。」
締まらぬ2人組は緊張感の欠片もない。これは3本と言わず10本勝負で行こう、と金太郎は笑みをこぼした。
ノロノロと面をつける弥助に、10本勝負の手合わせを申し入れると、おおー何でもござれと良く分かっておらぬような返事。
(全くナメくさりよって.....足腰立たぬようにしてくれようぞ。)
暗く燃える金太郎。
両者向かい合って、ハジメ!の声。審判は師範代の福島が務めた。
弥助は5尺8寸(175cm)ほど、相手より一回り大きい。
えええい!の気合が金太郎から発せられる。弥助はおう!と応えると....左上段へ構えを取った。
道場からざわめきが聞こえてくる。
弥之助の面金の奥は陰になって見えず、どんな表情をしているかは分からない。
(上段じゃと?オノレ不遜な....。)
弥助にしてみれば不遜などと思いもしていない。自身が最も好む構えをしたまでである。
だが竹刀剣道の立合いでは、互角以上の相手には正眼の構えが基本。
上段に取るのは余程力量に差がある時と決まっている。
(俺の力を見せてくれよう!宇野の泣き籠手を喰らってみよ!)
金太郎の籠手撃ちはつとに有名である。桂小五郎もこれを喰らって、暫く箸も持てなかったという。
金太郎は後の先を取り、弥助が撃ち下して来たところを狙って、籠手を襲う作戦。
鋭い踏み込みからセヤアアアアと偽装をかけた。
「お面ちょうだい!」
声が上がった。
その瞬間。
ヒョウッ!と空気を切り裂く音と共に、弥助があり得ぬ位置まで踏み込みを入れる。
脚をどう動かしたかすら見えぬ。
周囲からはすり足で動いたようにも見える。
動いたと思ったら竹刀は1つの動作で撃ち下された。
バッシィイイイン!!と撃ちすえる竹刀は真上から真下へ振り下ろされて、金太郎は衝撃を後ろ方向に受けたのではなく、真下へ受けた。
据えモノを切るが如しとはまさにこの事。
あまりの強烈な下への打撃に、金太郎はペタリと座り込んでしまった。
道場内は静まり返る。
弥助が間合いを詰めた後、一度勢いを殺してから打撃を加えたのは明らかである。
なのにその動作は....誰の目にも見えなかった。
特別な事はしていない。速く動き、止まって撃った。それだけであった。
「い.....一本.....。」
師範代の福島範輔は、躊躇いがちに宣言した。
ようやくザワザワとつぶやきが弟子たちから漏れる。
「今の見えたかオヌシら.....。」
「全く見えんじゃった.....。どれだけ速う動けばああなるんじゃあ....。」
「恐ろしか打撃じゃあ。師範が腰を抜かしてしまわれた....。」
弥助にしてみれば最初は様子見。相当手加減したつもりである。
「やれやれ、幸運にも一本取らせていただいた。師範殿はさすが器が違う。一本目はお譲り頂いたか。」
ワザとらしく声高にそう言い放つと、金太郎はふんぬと竹刀を杖代わりに立ち上がった。
「お見事な面でござった。じゃが次はこうはいかぬ。」
ふらつく頭を籠手でガシガシ殴りつけ、正気を保とうと懸命になる。
(何という強烈な打撃か!ケツの先までしびれたワイ。)
既に神経がやられてしまっているが、アドレナリンの出た体は大きくダメージを感じていない。
「参る!ハアアアアア!!」
しかし今度は踏み込まず、声で挑発してくる金太郎。
(打撃もさることながら、踏み込みも尋常な速さではなかった。この男は何もんじゃ?仏生寺などと、江戸でも聞いたこともないが....。)
「お面ちょうだい!」
弥助はそう叫び、再び左上段から面を襲う。
金太郎はその打撃を、竹刀で受けることも出来ずにまともに喰らう。
ブァッシィイイイイン!!!と深い打撃音がして、金太郎はまたもペタリとションベン座り。
「ええぞ!弥っちゃん!見事な面撃ちじゃあ!」
歓之助はノリノリである。金太郎はボー然としてその場を動けない。
場内は重苦しい雰囲気となった。日本最強との呼び声も高い宇野金太郎が、据えモノ同然の扱いを受けているのだ。
「なんの...まだまだ、2本取られたばかりでござる!」
10本勝負にしておいて良かった...次こそはと意気込む金太郎。
しかしその三半規管は、すでに正常の働きを失っている。足元がふらつき、おお、と場内の弟子たちから不安の声が上がる。
「師範、少しお休みになられては....。」
「黙れノリスケ!俺はこんな事で負けはせぬ!」
金太郎が意地になって上段に構える。しかし彼にはそこからの攻め手がほとんどない。
面を取られたくない、その一心で上段に構えたのだ。
「お面ちょうだい!」
無情にも弥助は三度面を強襲した。
金太郎の竹刀は盛大に弾き飛ばされ、余りの強打に彼は前のめりに倒れ込む。
「そ、そこまで。この勝負は...ここまでに。」
師範代は割って入ると勝負の打ち切りを宣言する。10本勝負を面3本、それで継続は不可能だった。
(アッタリマエの話。帰還者が剣術勝負なんて悪い冗談よ。死なずに済んで幸運と思いなさい。)
サクヤは道場の中央に浮かび、半笑いで場内を睥睨していた。
弥助は指示通り闘気や神業を一切使わなかった。むしろ相当手を抜いていただろうと思う。
(よくやったわね。後でホメてあげようか。)
そう思った矢先。
(うん?歓之助きゅんなにを....?)
オレはまだやれるぞ!と大声を出して暴れる宇野金太郎を相手にせず、弥助は既に面を外している。
しかし歓之助はナゼか面を取りつけ、ツカツカと金太郎の方へ歩み寄った。
「やあやあ流石は日本最強と呼び声の高い、宇野先生であらせられる!『閻魔』の弥助が打撃を受けながら、未だ倒れぬその鍛え方!恐れながらこの未熟者にも、一手ご教授いただきたい!」
(......弱ったところを攻めようっていうのね?歓之助きゅんったら姑息....。でもそんなアナタもステキ。)
さすがは生き馬の目を抜く江戸の道場で、力比べにしのぎを削った斎藤道場の『鬼歓』である。
まさに姑息!その戦いぶりは卑怯そのものであった。
「斎藤殿、師範は既に前後不覚。このままもう一勝負などとても....。」
師範代の福島が必死に断るのを、金太郎は無理やり押しとどめる。
「黙れ!だまれノリスケ!!オレはやれる!やれるぞお!」
明らかに無理だが歓之助はそこを逃がさない。
「ほれ!いかがじゃ!師範殿がやれると申されておる!ここで止めるは師範の男を下げようとせん者じゃ!それはイカン!イカンの~!」
煽りに煽ってまんまと試合に持ち込む歓之助。
「ウァッハッハ!どうした!ホレどうした!!」
嬉々として金太郎を打ちのめす。
弥助は傍で見ながらやや青ざめ、サクヤは上空で興奮している。
「これは....無事に済みそうにないのー。」
「歓之助きゅんったら外道....でもそんなアナタもス・テ・キ...。」
この後道場総出の立ち回りとなったのは言うまでもないだろう。




