挿話:ある雑誌の取材
挿話部分の宋晴子さんを『T大学の准教授』に変更いたしました。
先日上梓された宗晴子准教授著『仏生寺弥助と明治維新』は、研究者のみならず歴史愛好家にも多大な衝撃を与える研究書であった。
この研究が正しいとするならば、これまでの幕末史を大幅に塗り替えるものである。
学会から芸能界までを賛否両論に巻き込んだニューヒーローについて、雑誌『歴史創造』は著者である宗晴子先生へ単独インタビューを行った。
以下はその時のテープから起こされた原稿である。
小誌: 本日はお忙しい中ありがとうございます。
宗先生: よろしくお願いします。
小誌: 先ずはニューヒーロー、仏生寺弥助に
ついてお聞かせください。
先生の著書を拝見すると、この弥助が
途轍もない人物であるという印象を
受けます。
これ程の重要人物が、これまでなぜ
注目を集めなかったのでしょうか?
宗先: (笑) ご疑問よく理解できます。
そもそも幕末の討幕運動は、日本の
至る所で同時多発的に発生し、
その後いくつかの動きに収斂されて
いったものです。
幾つもの小さな動きが見落とされ
た事自体は何ら不思議ではありません。
小誌: なるほど。しかしながら弥助の働きは
先生の著作によれば、決して小さなもの
とは言えません。
それにも関わらず、これまでいかなる
学者も研究してこなかった。
その原因は何でしょうか?
宗先生: まず弥助がどんな組織にも属さない、
単なる農民出身者であった事が理由の
1つです。
歴史は成功者によって語り継がれる
もので、多くはその人が率いた組織に
よって、その功績が語られているのです。
2つめは弥助があらゆる名誉に一切
興味のない人物だった事です。
その無欲な自己犠牲の精神が、弥助
ほどの人物を歴史の陰に留まらせて
いたのです。
3つめは弥助の能力があまりに高く、
言わば最高機密として、
当時のリーダー達に扱われた事です。
この3つにより、弥助の存在は隠され
伝わらなかったと考えられます。
小誌: ........にわかには信じがたいという
思いを、小誌読者も感じていると思います。
『弥助』とはどんな人物でしょう?
宗先生: 彼は剣術家としてこれまで知られて
来ました。しかしながら彼の本質は
『政治家』です。
当初は幕府改革を民間からサポート
しようとしましたが、何らかの理由で
それは困難となったようです。
その後は清河八郎と共に浪士団を
結成し、京都へ上洛。それをきっかけに
新撰組が生まれたことは皆さま良く
ご存知の通りです。
小誌: ....そこが良く分からないのですが、
江戸幕府へ協力するお話の中で、段状窟
というキーワードが出てまいります。
これはご著書にも詳しくは語られて
おりませんが、経済的に幕府を利する
ものだったという事ですよね?
宗先生: その通りです。弥助は人生の中で、
消息が不明な時期の多い人ですが、
特に安政元年から3年ごろにかけ、
長期に行方が分からなくなっています。
清水の次郎長一家で食客となっていた
時期であり、文字を解する人材が身の
回りにいなかったことから、この時期の
事は詳しく分かっていません。
しかし、その後江戸に戻って剣術試合で
大活躍します。そのことからも剣術修行の
時期であったと考えられます。
その時に段状窟なる洞窟で修行したのだ、
という仮説を私は立てております。
当時の勘定奉行、小栗忠順が「財政の
立て直しに目途がついた」と発言した時に
段状窟の鉱脈に話が及んだと、山岡鉄舟が
書簡に記しています。
小誌: その点について『鉄舟書簡集』には該当する
書簡が無い、という指摘が一部の学者から
ありますが?
宗先生: ....これは最近民間で発見された、鉄舟の
書簡です。私は知人からその写しを入手
しています。
小誌: .....写しですか?オリジナルはご覧に
なってますか?
宗先生: え?
小誌: え?
宗先生: ....段状窟には豊かな鉱物資源が埋蔵
されていたと、弥助は芹沢鴨に語って
いたそうです。
その鉱物資源が弥助によって幕府へ
もたらされました。しばしば語られる
『幕府埋蔵金』は、小栗が鉱山から得た
利益を隠匿したものです。
小誌: 芹沢鴨は新選組初代総長ですよね?
弥助とはどういった関係だったのでしょう?
宗先生: 練兵館の道場仲間でした。
期間は重なってます。
小誌: いや...具体的にどういった繋がりが?
宗先生: そこは良く分かっておりません。
小誌: ....え?
宗先生: え?
小誌: ....その後、弥助は岩倉具視の下で、
護衛の任務に就いていたという新たな説を
提唱されています。
....これは...何か一次資料が?
宗先生: はい。これは岩倉と大久保一蔵との間で
やり取りされた書簡の中に『かの御仁』
という言葉が多く取り交わされています。
この『かの御仁』こそ弥助だと、私は
推測しています。
小誌: ....一部の学者からは、遠島処分中の
西郷隆盛のことだという指摘が多いですが?
宗先生: え?
小誌: ........
宗先生: ...岩倉村で隠棲中であった岩倉の下に
多くの暗殺者が侵入しています。
彼は弥助が護衛していたからこそ、
無事に明治を迎えることが出来たのです!
小誌: えーと、弥助が岩倉と大久保へ与えた
影響が、明治維新の方向性を決定したと、
言われてますよね?
これは?なんか資料は?
宗先生: .....岩倉が公武合体派から討幕へ
転換したのはこの時期です。
これは弥助の影響があったからです!
小誌: だから!資料は?
宗先生: .....明白な事じゃないですか。
小誌: はあ―――っ.....。
最後にね、桂小五郎だけど。彼も練兵館
師範代でしょ?それで知り合いだった!
そうね?
宗先生: ....桂は塾頭です。
小誌: 細けーこたぁいいんだよ!
桂が引き込んだ弥助が、第2次長州征討で
幕府の戦艦を打ち負かしたっていうけど、
一体どうやって?
海戦なんか出来ないでしょ?
まさか刀で斬ったってーの?
宗先生: .....そうです。
小誌: ハア?ハア?マジでいってんの自分?
頭おかしいんじゃねーの?ねえマジ?
宗先生: ..........
原稿はここで終わっている。
雑誌『歴史創造』はその後検証取材を重ねていったが、最終的に仏生寺弥助に関する新説を『ヨタ話』と結論付けたのだった。
無論このインタビューが本誌に掲載される事は無かった。




