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ただ強き者となるため

本日は次郎長一家から三人称視点で。


大政さんの登場です。

安政元年12月20日(1855年2月6日)


 次郎長一家の朝は比較的早い。

 前日どれだけ賭場が遅くまでかかろうと、親分は辰の刻(午前8時)には起きてきて神棚へ手を合わせるのが日課になっている。


 下の者はそれまでに家じゅうを掃除し、表をきれいに掃き清めて朝のお出迎えをしなければならない。

 よって若者を束ねる中堅どころも、朝の早さは変わりがない。


 師走の早朝、身の引き締まる寒さの中、仁吉は眠気をこらえて若い衆を使っていた。

 といっても本人も数えで18歳。若者には違いないのだが。


 薄暗く光が差す玄関に来てみると、下足棚を掃除する若者が目にとまる。


「おい!オメエその下駄は....。」

 仁吉は思わず大声を上げる。

 しかし若者は構わずそれを持ち上げようとして、ああっ!と取り落としてしまう。


 下駄は重い音を立て、玄関口にめり込む様に落ちた。


「あーあ、だっから言ったじゃねえか。バカ野郎!」

 仁吉は自分よりも年下の若者を怒鳴りつける。

「すいやせん!こんな重てえ下駄だとは知らずに...。」


 幸いにも若者にケガはなく、下駄も壊れた様子はない。

「オメエ、此間ウチに入ったばかりだな?」

「へい!3日前にお世話になると決めやして、今日は掃除を言いつかっておりやした。」


 仁吉は自分が部屋住みになった去年を思い出し、怒る口調も段々と思いやりが出てくる。


「ああ、今度から気を付けな。そいつは弥助ってえとんでもなく強えお方の下駄なんだ。鉄やら鉛やらでメチャクチャ重く作ってある。そん人はそいつを履いて、浅間神社の参道坂を駆け上るっていうバケモンなんだ。」


 若者は驚愕の色を隠さない。

「そんな...こと出来ますんで?この下駄アタシが片手じゃあ持ち上がらねえほどですぜ?」


 仁吉は自分の事でもないのに、何か嬉しくなってフッフッフと溜めた笑いをする。


「普段からそんな無茶して鍛えてんのよ。その弥助ってえお人はな。」

 強えヤツ知ってるっていうだけで、何となく自慢になるっていうのも任侠の可愛らしさだ。


「言っておくがそん人ぁな、ケンカの時にもその下駄脱がねえで勝っちまうんだぜ。」


 若者は流石にヨタ話と思ったようだ。

「いや~アニキ、そりゃあねえっすわ!いやいやサスガにこれ履いて、出入りかけようてえ人はいませんわ。」


 任侠3日目の感想は標準的だ。これが1年も経つとフカシやブっこみに慣れてくるのだが。


「何だとテメエ?俺の言ってる事がフカシだってえのか?」

 仁吉はついムキになって若者を脅す。


「オイ仁吉っちゃん、そうムキになりなさんなよ。」

 通りかかったのは政五郎。通称『大政』と呼ばれる重鎮だ。

 身長六尺を超える巨漢が現れると、広い玄関も一気に手狭なものに感じる。


「あっカシラ...すいやせん。いえね、このヤロウがアッシの話がヨタだって言いやがるんでつい..。」


 若者はひたすら頭を下げている。

「そりゃあオマエ、弥助さんの話を信用しろってえ方が酷ってもんだ。あんなバケモノの話は俺だって、自分で見ていなけりゃあ信じられるモンじゃねえよ。」


 大政はカラカラと笑いながら2人を見る。

 冷え冷えとする玄関口に、弥助の下駄が転がっているのは何か縁起でもないと思って付け足した。

「先生の大事な履物だ。転がしてねえでサッサと片付けな。」


 ヘイと返事をして若者が棚に戻すのを見届け、小政は表へ足を向けた。

 仁吉が後から従ってくる。


「仁吉っちゃん、朝から精が出るな。」


 野太い声で仁吉をからかう大政。

 仁吉は一家の者ではなく客分なので、扱われ方もちょっと違う。まあやっていることは一家の者と変わることがなく、いずれ故郷の吉良に帰るかそれともこの一家で腰を据えるか、悩みどころでもあるのだが。


 とにかくこの一家は暖かい、居心地がいいのだ。


「へっ、すいやせん。朝からツマンナイところをお見せして...。」

 大政はニコニコと笑顔で応える。細かい小言を言う人じゃない。


「早いねえ、弥助さんが修行に行くっつって、もう半年たったんだからなあ。」

「へえ、無口なお人でしたが、居なくなっちまうと寂しいもんで。」


 仁吉は同じ客分として弥吉とは仲が良かった。用心棒と部屋住み並みっていう立場の違いはあったが。

 弥助も自分と同じように、ここに居心地の良さを感じていたに違いないと仁吉は思っている。


「こんないいところを出て、わざわざ修行なんてねえ。ホント浪人稼業ってのは分からねえ。」

 仁吉はポツリと口に出す。


「あの人は武家の出じゃねえ、百姓の生まれだ。仁吉っちゃんは聞いたことがあるかい?」

 仁吉は聞いていなかった。しかし今の世の中それほど珍しい事でもない。


「東照大権現のお身世ならいざ知らず、今どきエセ浪人なんざ珍しいもんでもないでしょう。」

「エセ浪人てえのは容赦ないが、まあそりゃあそうだ。特にあれほど強えお方なら、そこらの武家だって裸足で逃げ出すだろう。」


 大政は大きく頷いた。元は力士だったという大きな体躯は、着こんだ綿入れの上からでも見て取れるほど緩みなく引き締まっている。ケンカ負け知らずの評判のわりに、大きな顔は優し気な印象を与える。


「そこでさあね、あれほど強えお方が何だって修行なんかに行くんです?あれ以上強くなってどうしようってんで?」

「さあねえ、アタシも本人から直接聞いた訳じゃねえけどね。」


 大政は江戸にいたころの斎藤道場『練兵館』の風聞を思い起こす。


「斎藤弥九郎先生っていう方は、何でも文武両道、勉学に大そうやかましいお方だって事だ。弥助さんは勉学に関しちゃあ百姓の出、文字も読めねえアタシらと同じだ。それで師範にもなれず道場を出たって筋書きだったと思うのよ。これが清水へ流れ着いた因縁の話な。」


「へ、へえ。」

 仁吉は目をぱちくりさせて聞いている。これほど能弁な大政はあまり見ない。


「弥助さんの心中考えてみねえ!自分より弱え野郎どもが大藩の剣術指南役に推挙され、自分は道場で冷や飯喰らい。バカにすんなと飛び出すのが心情ってもんだ。」


 大政は朝一番の富士に向かって手を合わせる。弥助はあの山で修行すると言って出ていったが、この寒さにあの大雪で、難儀してはいまいかと気が気じゃない。


「そこであの人あ考える。勉学なんざやっても無駄だ、そもそもお頭が着いていかねえ。」


「....カシラそこは言わでものことじゃあ...。」


「うるせえ!バカ野郎黙って聞きやがれ!....な、そこであん人は考える。もっと強くなる、江戸で並ぶものが無いほど強くなる。そうなっちまえば誰もあの人を無視できねえ。」


 どうだこのヤロウと言わんばかりに、大政は仁吉を睨み付ける。


「いや、アッシをにらんだって....。」

 仁吉は迷惑この上ないという表情で、大政にヘラヘラと笑いかける。


 大政は富士山をキッと見つめて言葉を続ける。

「本当のところは分からねえ。アタシも弥助さんから聞いた訳じゃあねえしな。それでもアタシにゃあ何となくわかる。」

 一時は相撲取りとして頂点を目指した自分だから、大政は言外にそう言っている。


「あの人は誰の批判も撥ね返すほど、並ぶものが無いほど強くなって自分を証明しようとしている。強さに取りつかれた男ってのはそう言うもんだ。強くなってどうするなんて、考えたこともねえんじゃねえか?」


「はあ、そんなもんすか。」


 大政はイラッとしたように仁吉を睨み付ける。

「仁吉っちゃんはそういう男の生き様ってのにシビレねえのかなあ、こんな男は滅多にいるもんじゃねえぞ!ああ?」


 仁吉はむしろ大政のとんでもねえ迫力にシビレている。怖い、間違いなく清水一怖い。


「へ、へええ....。」


「なんだい頼りねえなあ!アタシがこれほど仔細に説明してやってんのによお!」

 

 大政は再び視線を雄大な富士の姿に戻した。

 そして優雅な姿に秘めるその過酷な環境を、さらにその中で想像を絶する研鑽を積み、武芸を磨き続ける友人の姿を思い、自身の魂を揺さぶられる思いがした。


「弥助さん、頑張っておくんなさい。」


 同じ勝負に生きる男として、大政は尊敬する武芸者の帰還を信じていた。

 そして自分や一家の男たちの思いが、少しでも弥助の支えになってくれればと願わずにはいられなかった。



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