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魔女の血  作者: 津田ナオキ
第二章 鉱山街パウルア
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第三十話 森の中で

 気味の悪い夢を見た。


 空の淵に手の届く魔女が自ら命を絶ち、その体が月に昇り血の雨となって大陸に降り注ぐ。その雨を受けて宿った命が、月に登りその亡骸を食べてしまう。うまく言語化することはできないけれど、それでも頑張って言葉にすればそんな夢だった。


 あまりの気持ち悪さに、カイノは吐き気を催して目をさます。薄く開いた瞼の奥には、揺らぐ白と緑の光があった。布越しの背中に感じる細かくて硬い凹凸の感触から、はっきりしない頭でも自分が外で横になっていることがわかった。


 数枚の布が間にあっても、小石はそれらを貫通して背骨に突き刺さる。寝心地が悪くてカイノはゆっくりと上体を起こした。


「おはよう、と言ってももう昼だけど」


 体を起こしたカイノに気づいたラニが声をかける。、向かいに植わった木の下に腰をかけた彼女は、視線を手元に戻すと細かく柔らかい髪をかきあげながら静かに本をめくる。

 辺りをぐるりと見回すと、そこには腰下までの低木と空を覆うような広葉樹に囲まれた森が広がっている。パウルアで鼻腔に染み込んだあの異臭も、耳の中から離れることのない櫓の唸りもそこにはなく、耳をすませど聞こえるのは鳥の鳴き声と、風で揺られた木々の葉音だけであった。


 覚えているのは、魔法を放とうとする腕をラニに掴まれ、目の前が真っ白になった記憶。あの時魔法を放った右手を優しく握りしめても、そこにあの時感じた熱はない。人肌の温かさだけだった。


「あれから、どうなったんだ? メーベルは助かったのか?」

 ラニは本から目を離さないまま答える。

「二人を連れて、街を出た。メーベルは途中で目が覚めたけど、カイノは二日目が覚めなかった。今はライザーノに向けて歩いている途中」

「よかった、というか二日も寝てたのか?」

「そう。魔法を使いすぎたんだろうね。ここまで運ぶの、大変だったよ」

 あっさりと言う彼女の体の細さをカイノは理解している。

 理解しているからこそ、呆気にとられた。長袖の外套の間から覗く彼女の細く白い腕に目をやる。


 すると、そこに巻かれた包帯が目につく。

「その包帯って」

 意識を失う前の眼前に広がる閃光と、包帯の白さが重なる。

「そうだね、使い方までは教えていないはずだったんだけど」

 いつものように平らな顔をして、包帯の巻かれた腕をさする。その白さと、綺麗さから巻かれてすぐのものであり、血などが滲んでいるような気配もなく、彼女の表情からも大事には至っていないと、そんなことが推し量れた。それでも彼女が包帯を巻いているところは初めて見た。


 カイノは、罪悪感で濁った自負心に表情を曇らせる。ラニは、ちらりとこちらを見て、ねえ、と言った。その静かで重い呼びかけは、何よりも彼にのしかかった。


「少し、話をしようか」


 カイノは返事をしなかった。

 ラニが続けようとしていることが、わかってしまったからだ。わかってしまったからこそ、なんでも見通してしまう彼女に辟易した。


「カイノ、君がやったことは、正しい。あのままだと、彼女は捕まって、もしかしたら殺されてしまったかもしれない。でも、私があそこで間に合わなかったら、どうするつもりだったの?」


 弾けるように顔を上げる。そして見開いた目の赤色は、ゆっくり燻んでいく。

 

 わからなかった、考えていなかった。そんなこと思いもしなかった。

 思いもしないほど、自分は未熟だった。彼の感情を濁らせていたのは、メーベルを助けたことと彼女を怪我させたこと、ただそれだけだったからだ。それまで澄んだ水に投げられた一滴の血に、憤りさえ感じていた自分の姿は、ラニから見ればさぞ滑稽に思えただろう。


「メーベルは帰れなくなった。街の人の怒りは宙ぶらりんになった。カイノ、大きな決断をするっていうことは、そういうことだよ」

「ご、めんなさい」

 静かな彼女の言葉に、口をついて出たのはそれだけだった。


 ラニはカイノの眉が下がったのをちらりと見る。

「私には謝らなくていい、カイノのやったことは間違ってない。カイノに任せた私にも責任があるから。これは、なんだろうね。知っておいて欲しかった。……でも」

 ラニはそこで一度息を整えた。

 カイノにはそれが肺の中にある何かおどろおどろしいものを吐き出して空にするための行動のように見えたが、いつものように涼しい顔は何も語らない。


「そうやって、誰かのために力を使うところは、私はいいところだと思う」


 カイノは、ありがとうと言うべきか、淡白な相槌にするべきなのか決めあぐねて、結局何も言わない間にその時間は緑の風に流されて行った。


 ラニとカイノの間に流れる沈黙に居づらいと思ったのは初めてだった。お互いそう思った。十五年で初めてだった。尻を据えて、本を開いてしまったラニは、カイノにどこかに行ってもらうことを望んだ。

 カイノは、形のわからない重い感情の、せめても形だけはわかるようにと、体を動かして整理がしたかった。だから静かにカイノは立ち上がって、一言、メーベルはどっち? と言った。

 ラニは静かに木の切れ間に光の差し込む方を指した。

あらすじ

カイノはメーベルを見つけ声をかけるも、あの時のような温かい憎まれ口は返ってこない。

次回更新タイトル

第三十一話 嵐の後で、メーベルとこれから

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