第二十九話 カイノ、覚醒 後編
彼女の顔を見るなり、群衆はさらに強くうねり、今まで隠していた怒りを露わにする。
メーベルだ、人殺しを捕まえろ。心無い心のこもった怒りが罪のないメーベルに降り注ぐ。それは雨となり彼女の全身をぐっしょりと濡らした。
「め、メーベル、隠れてろって言われただろ!」
メーベルはカイノの言葉を聞きつけない。
「それで、アタシのために誰かが殴られてるのを指くわえて見てろっていうの? そんなのごめんよ」
ふんと鼻を鳴らす彼女の語尾は掠れ震えていた。
腕を組み仁王立ちをしてようやく立っていられる、そんな様子だった。
「メーベル、お前はやりすぎた、わかるよな?」
デンダはカイノに向けて構えた拳を下ろし、その拳を握りしめたまま鋭い眼光をメーベルに向ける。カイノが真ん中に立っていなければ、メーベルを殴り殺す、そんな姿を想像するのは容易かった。
「ええ、そう、やりすぎたわ」
メーベルは男を、群衆を真っ直ぐ見据えてそう言った。
「違う、お前はやってないだろ!」
「違う、今はそういう話じゃないの。この怒りを生んだのは、今までアタシがやってきたことなの。アンタには関係ないから、下がってて」
力のこもったカイノの言葉に反して、彼女の言葉は落ち着いていた。いや、感情をむき出しにして仕舞えば、どうしようもなくなることを彼女はわかっているのだ。
「関係あるだろ! ほら昨日だって、俺も一緒に……」
「うるさい!! アタシが決めたことなの、指図しないで!」
哭声とも取れるような、湿った叫び声をあげる。
「お前は罪を償わなくちゃならなん。さあ、こっちに来い」
デンダの静かな怒りに、メーベルは吸い寄せられる。カイノが彼女の腕を掴むも、それは力強く振り払われる。
「関係ないアンタはどっか行って」
彼女は悲しそうに吐き捨てる。ひときわ大きな雨粒が彼女の頬を伝った。
「こんなのおかしい。こんなのは間違ってる、だって何もしてないじゃないか。なのに何で行くんだよ、なんでそんなことするんだよ。こんなのは、間違ってる!」
カイノは包帯を巻かれた腕でデンダに殴りかかる。その腕は、昨日感じたような熱を持ち、男に接触するとともにその熱が弾け飛ぶのを感じる。
カイノの拳を顔面に受けた彼は、後方に弾き飛ばされ後ろの男たちに支えられる。
「が、ガキが!」
カイノを睨むデンダの目には、怒りと一抹の動揺が浮かぶ。
吹き飛ばされたデンダを取り囲む他の男達が、腕を捲り上げ前に身を乗り出す。
「おい、このガキやっちまうぞ! のしてメーベルと一緒に連れてけ!」
「カイノ! やめて!」
次々に迫る男達の拳を避けることは叶わず、それを受けながらもカイノは拳を繰り出していく。
握りしめた手のひらは熱く、吐く息にはあの時のように血の匂いが混ざる。
男達の拳は沈み込むように重くて痛くてたまらなかったが、同時に言い表すことのできない高揚感が彼の中に生まれていた。
その高揚感に煽られて出す拳を受けた男達は皆一撃で沈んでいく。
「バカな正義感を振り回しやがって!」
その最中も、真ん中でカイノと殴り合うデンダが声を荒げる。
「うるせえ! こいつはやってねぇって言ってんだろ、この分からず屋が!」
もう何度拳を振り翳したかわからない。そして、何度顔面に岩のような拳を受けたのかわからない。ただ、カイノの中に渦巻く感情の中に、確かに楽しいと言う感情があった。
沈痛な面持ちのメーベルは叫ぶ。
「お願い、やめて! そうよ、アタシが悪いの。全部アタシのせいなの。なのにアンタが、なんでアンタがアタシを庇うのよ! アンタにとってアタシはただの厄介者。庇ってなんの意味があるのよ!」
「意味、だって? 変なことを言うなよメーベル、お前が俺に教えてくれたじゃんかよ」
「え?」
「意味なんて考えたって無駄だって、得なんて大人の言い訳だって」
無防備な肌を打ち付ける雨が、昨日の記憶と結びつける。
「でも、アンタに本当に得なんて……」
「うるせえ! 体が動いたんだから仕方ないだろ! 俺だってなんでこんなことしてるかわからないさ。わからなけど体が動いた、これが俺のするべきことだって、そんな気がするんだよ!」
「青二才が、気取ってんじゃねえ!」
デンダの拳を頬に受けてカイノはよろけ、メーベルがそれを受け止める。その顔は青く腫れ上がり、血だらけになっていた。それでも悲壮な決意を揺るがせないカイノの姿を目の前にして、メーベルの目からは涙が溢れる。
「なんでここまでするのよ、アンタ死ぬわよ」
「うるせえ、うるせえうるせえ! 戦ってる奴に死ぬなんて言うな、頑張れって言えよ!」
カイノはそう、自らを鼓舞するように言って、支えるメーベルを振り払う。
「………がんばれ、がんばれ! そうよ、頑張りなさい! アンタがやられたら、アンタも、アタシも捕まっちゃうでしょ! だから負けるな!」
「あぁ!!」
「イキがんなよガキが!」
メーベルの声援が体の奥にすっと溶けて入っていく感覚を覚える。
耳の奥に届いた熱が、そのまま真っ直ぐ心臓に届いて、心臓が体の隅々にそれを押し出していく。
拳に籠った熱を拍動に合わせて押し出していく。手にこもっていた熱は、熱は拳を内側から圧迫しながらそれに反発する。その窮屈さが痛みとなって、痛みが力となる。
今まで感じたことのないような、胸を少し抉れば体の中の全てが飛び出してしまうような、そんな力の奔流がほとばしる。笑みが溢れる。
今なら、なんでもできる気がする。
その力のままにふるった拳はデンダの手前で伸び切ると、その拳とデンダの胸の間にある空気を炸裂させて眩い閃光と共に彼を遠くに吹き飛ばす。
その拳は人波を割って、しぶきのようなどよめきがたつ。
「な、に、今の?」
後ろに立つメーベルは、上擦った声を出して目を瞬かせる。
「マジか、出ちまった」
体の中に流れる力が流れ出た後の手を握ったり開いたりしながら、その感触を確かめる。
振り返ると、メーベルの恐怖や怒りや悲しみは、街の人にではなく、こちらに向いていた。
「カイノ、今のって……」
「ああっと、あれは……」
カイノの濁した答えの部分を、誰かが遠くから叫ぶ。
「おい、今の魔法じゃないか?」
「てことは、あのガキ、魔女か!」
乱闘騒ぎ、それも魔導機構が原因となった乱闘騒ぎに、魔女の登場は火に油。
怒りから恐怖となった感情は、緩やかに殺意と姿を変える。
割れた群衆の向こうで倒れたままのデンダの姿は、黒々とした目の男達の体で隠される。それぞれは、これを予期していたのか、ツルハシや剣など鋭利なものに手を伸ばす。
「魔女なんて、捕まえる余裕ないぞ」
「殺さないと、殺されちまう」
その声の、半分は倒れたままのデンダを見て、半分はこちらを見る。
「か、カイノ、アンタ……」
振り返れば、メーベルが震える眼でカイノの全身を見回している。
まるでそれは、目の前にいる男が、人間であるのを再確認しようとしている仕草であった。
弁明の言葉が口先から溢れるのを両手で抑えて、目の前の男達に向き直る。
ゆっくりとゆらゆらと距離を詰める男達の手には、鈍い光が込められている。
もう、何を言おうと彼らの足を止められない。自分がそれを引き起こしてしまったことに気づく。
手の放熱がそれを否が応にも自覚させる。
メーベルは口を開かない。
打ち付ける雨粒と、踏み締めて削れる小石の悲鳴と、早まる呼吸が、耳の中を反芻する鼓動に混ざる。
もう三歩もすれば、その光が喉元に届いてしまう。
しかし震える足が、カイノをその場に留めて離さない。ただそれは恐怖ではない。
武者震いであった。
さっきの感覚を思い出して、今度はもっとうんと強い力を体の中から引きずり出す感覚をイメージする。そのイメージは、熱となり力となり光となって手の平に形作る。
「殺せえぇ!」
男達が絶叫する。
カイノはそれに答えるように力の塊を撃ち出した。
「……メーベル、伏せて」
「えっ」
流れの合間を縫うようにラニが姿を表す。
メーベルの頭を地面に押し付け、カイノの腕を掴む。
力の脈動でうねる紫の光の塊を、ラニは細い手で握りつぶした。
刹那、閃光が教会を真ん中に街中を走り抜け、雲を切り裂き、雨を吹き飛ばす。
群衆は衝撃と閃光に倒れ、その衝撃を真正面に受けたカイノはそこで意識を失った。
薄れゆく意識の最中にカイノは誰かが悲しげに自分の名前を呼ぶのを聞いた。
あらすじ
目が覚めると、そこは森の中だった。
第三章 王都ライザーノ編
第三十話 森の中で




