第二十六話 魔物、再び
メーベルは柵越しにその光の色を訝しむ。
「おい、越えるならさっさとしろよ、人に見られる前に」
「そ、そうね、じゃあ、アタシを担ぎ上げて」
と、カイノが彼女の腰に手を回した時、聞いたことのある鳴き声が山に響く。
地を揺らすように低く、身の毛をよだつような唸りは、馬車に乗っていた時に遭遇した魔物を思い出させる。
刹那、山の方から三頭の黒い毛の魔物が降りてくる。そしてそれらは一直線にカイノとメーベルの方へ駆けてくる。
「な、何あれ!」
「魔物だ! 逃げるぞ!」
腰に回した手を滑らせて彼女の手を握ると、カイノは一目散に正門の方に駆けていく。
しかし一頭が二人の前に回り、二人の行く手を阻む。振り返ればそこには先ほど見た三頭がいる。全部で四頭いたようであった。
「囲まれた」
カイノの漏らす声の中に絶望の色が混ざる。
その色を感じ取ってか、魔物は一歩ずつ二人ににじり寄りながら周りを完全に囲む。鋭く尖った牙を見せて、グルル、と地の底の揺れのような唸り声をあげる。
雨に濡れた長毛の魔物は、末恐ろしい化け物として二人の目に映る。
「……アンタ、魔物の倒し方知ってる?」
背中を合わせの状態で、メーベルは震える声を捻り出す。
カイノは日夜読み通している本の中身を思い出すも、そこにあるのは魔法の体系的理念とその歴史だけで、使い方のところまでは至ってないか、そもそも乗っていない。
ましてや魔物の倒し方なんてもってのほかだった。
「わかんねえ、あんたは?」
「残念ながらね」
ラニが倒した魔物よりもひとまわり小さい魔物であったが、向き合うとふた回り大きく見える。そして、感じたことのない、でも見知った存在感がその魔物をさらにひとまわり大きく見せている。
その気配は、カイノの気分を高揚させる。足の裏の血管を血が駆け抜けるのを感じて、くすぐったいと思う。指先がジンジンと熱く、かゆみを感じる。呼吸には熱がこもり、全身の筋肉が緩やかに力み始める。
どうにも落ち着かない。落ち着いて対処しなければならいのに。深く息を吸い込むと、血の匂いがしてむせてしまう。
「ちょっと……」
咳を合図に魔物たちが飛びかかった。
こちらを振り返っていたメーベルにそれを去なすような余裕はない。気がつくと、首元に魔物の牙がある。
メーベルは一瞬の出来事に声が出ない。死を予感する余裕もない。それでも何かを覚悟した。
しかし、その牙が首元を抉り取ることはなかった。
キャウン、と弱々しい声があがる。
開いている目を開けると、そこにはカイノの手があった。
「……かはっ、はぁ、はぁ、あ、ありがとう」
「痛ってぇ……!」
カイノは魔物を振り払った腕を抑える。
傷がある様子はない、血が垂れてもいない。彼の手の向こう数メートルのところで魔物が力なく起き上がるのが見える。
「……や、やるわね」
腰丈に至らないほどの魔物が襲いかかってきたのを、数メートル吹き飛ばす。目の前にある細い腕が成し遂げた技とは到底信じられなかった。
しかし、四体のうちの一体が戦闘不能になったことで、残りの三体が引き返す様子は見られない。むしろ、カイノが手負いである様子を見て、追撃するために布陣を組み直しているように見られた。
カイノは遠くでよろける魔物を見ても、もし右手の痛みがなければ自分のやったことだとは信じられなかっただろう。
しかし、危機に迫られて振り絞った力のせいか、魔物を打った場所だけでなく右手全体に強い痛みを覚え、もう一度撃退できる姿は想像できなかった。
カイノは振り返り、こちらを、その腕を心配そうに見つめるラニに言う。
「ど、どうも。でも、もう手が使い物にならない。今の間に逃げるぞ!」
「わ、わかったわ!」
カイノが正門の方へと目配せをし、駆け出したのに合わせてメーベルも正門の方へ走り出す。咄嗟の出来事に、目の前を塞ぐ魔物の間を抜けることに成功する。
しかし、数メートル進んだところ、正門の前でまた魔物が目の前に立ちはだかる。奇跡が起きようと、四足獣に早さで勝ることはない。
目の前で二体、狭い間隔をとって睨みつけてくる魔物から、語らずとも二度と逃がしまいという意思を感じる。
魔物はにじり寄って、二人との間をゆっくりと詰めていく。
すると、近くで扉が勢いよく開け放たれる音がした。
「おい、メーベルそこで何してる! ……って、魔物か!」
近くの小屋から鉱夫が顔を覗かせる。おそらくメーベルがまた侵入したのだと思い飛び出してきたようであったが、二人を囲う魔物の姿を捉えてその態度を変える。
「ちょっと待ってろ! 今人を呼んでくる!」
魔物は新たな人の登場に動揺を表し、数歩後ずさる。そして、背後には騒ぎを聞きつけた他の男達が、魔物の背後に集まりつつあった。
二人を見つけた鉱夫は、小屋の中から警備兵を連れて戻ってくると、二人に向かって手招きをする。
「こっちだ二人とも!」
双頭の獅子が刻まれた銀の軽装甲冑を身につけた警備兵は、二人と魔物の間に立つと、
「さあ、行きなさい!」
そう言って、二人を押し出した。
その慣性に身を委ねて、二人は小屋の中に滑りこむ。扉を閉める直前、鋭利なものが肉を切り裂き、血が噴き出る音がした。
「た、たすかったぁ」
「はぁ、死んだと思ったわ」
扉を閉めるなり、二人はその扉にもたれかかるように膝から崩れた。二人を呼び寄せた鉱夫は、奥から体を拭く布を持ってきて二人の頭に被せる。
床は泥で汚れ、壁も煤けていたが、そんな些細なことを気にする余裕は二人にはなかった。二人して、尻と背を真っ黒にする。
「お前ら、ラッキーだったな」
「ああ、助かったよおっちゃん」
カイノは受け取った布で顔を拭きながら答える。
「にしたってなんであんな場所にいたんだ。まさかメーベル、デートとは言わないよな?」
「何、アタシが男を連れていちゃまずいわけ?」
「ちげえよ。あの場所にいた方がまずいって言ってんだ、また壊したんじゃないだろうな?」
「何にもしてないわ。こいつが鉱山を見たいというから連れてってただけよ」
あっけらかんと嘯くラニに、カイノは内心感嘆する。
柵を越えるためだとか言っていたが、見つかっても言い訳するためでもあったらしい。
「ほんとか? まあいい、調べりゃわかるからな」
男は扉をあけ外の様子を見て、大丈夫らしいと判断したのか雨の中出て行った。
男が出て行ったのを確かめてから、カイノは気がかりなことを口にする。
「おいメーベル、あのことはいいのかよ」
「何よ、機械のこと? 別にアタシ達がしたんじゃないわ」
「でも、見つかったら絶対俺らのせいにされる」
「でもアタシたちがやったわけじゃない。そうでしょ?」
そうだけど、とカイノは弱く呟いた。
結果として、その心配は杞憂に終わる。
調査から戻ってきた鉱夫が告げたのは、問題なし、帰っていいぞ、ということで、二人はそのまま解放されて家路につくこととなる。
帰り際、奇妙に思ったカイノがそれを口にするも、さあ、知らないわよ。いいならいいんでしょ。とメーベルに一蹴され、カイノもそれ以上考えることはなかった。
あらすじ
宿に戻るとラニはカイノに今日のことを尋ねる。そして、カイノに旅立つ支度をするように言った。
次回更新タイトル
第二十七話 Get out of Pawula




