第二十五話 メーベルと魔導機構
外は雨が降っていたが、彼女に遠慮はなかった。
急ぎ足の彼女も頭巾をかぶることはせず、二人濡れながら静かな人通りの少ない建物の間の道を抜けていく。右に左にと曲がるたびに、カイノは腕を持っていかれて、よろめく。
「お、おい、どこにいくのか教えてくれよ!」
「いいからついてくる」
ついてくるっていうか、連れていかれてるだろ。カイノがそう口にしても返ってくる言葉はない。もう一度同じことを言ったが、今彼女の耳には何も届かない様子であった。
軒を連ねる家々は、大通りを挟むと石造りのものの中に木造りや、薄い金属板で壁を拵えた簡素なものがふえてくる。あまり衛生的ともいえない道の両端には、体のどこかを故障した人が横たわっていて、二人を見るなり動く方の手を差し出してくる。
カイノはそれが意味するところが分からず、その手を取ろうとしてメーベルにその手を払われる。
「こいつらの相手なんかするな」
彼女の言葉は簡潔で、その目は冷たかった。凹凸のない平坦な目で、その男たちを見下す。今までの憎まれ口に温度があったのだなと理解する。
そしてカイノは初めてシスターとあった時のことを思い出し、彼らが何者であるかを思い出し、メーベルの身の上を思い出した。
そこでカイノが口にできたのは、「ごめん」というただそれだけの言葉だった。スラムに足を踏み入れてから、メーベルの足は一層早まった。
しかし、もうカイノは手を引かれることはなく、彼女の背中を追いかける。泥と細かい岩とゴミに足を取られないようにするので精一杯だった。鉱山が近づくにつれ、特有の匂いも強まったがそれ以上に、鼻が曲がるような悪臭が立ち込めている。それに比べたら、あの山の匂いがマシだとさえ思えた。
しばらく進むと、ツギハギの屋根もなくなり大きな道に出た。目の前には赤くなった鉄柵があった。隙間から覗く建物の辺りに人の姿がちらほらと見られる。
メーベルは、越えるの、ついてきて、と柵の方を指して言った。しかしその柵は身の丈ほどしかなくて、誰か外部のものが入ってくるのを拒む目的というよりも、ただの仕切りと表す方が正しかった。
「正面から入ればいい」
カイノの言葉に耳を傾けることなく、彼女は登り始める。
あまり高い柵ではないが、雨が降っており濡れた鉄柵はよく滑る。しかし、彼女は器用に掴んでは、軽々と登っていく。
そして一番上でまたがったまま、
「入口から入ると怒られるのよ」
そう言い残して、反対側に飛び降りた。柵の隙間から彼女は、早く登りなさい、というジェスチャーをする。
カイノは彼女がしたように、手をかけ足をかけ、と登ろうと試みるが、あのように器用に登れるのは彼女の経験のなせる技なのだと実感する。何度か滑り落ちてしまって、ようやく登れたのは三度目だった。
雨のためか、幸いにも誰にも見られていないようだった。
柵を超えたところでようやくカイノの質問にラニは答えた。
「今から壊しにいくのよ、ついてきなさい」
「ついてきなって、俺厄介ごとに巻き込まれたくないんだけど」
「もう柵を越えたらやろうとやりまいとアタシといるところが見つかれば捕まるわ」
「見られなければ、壊しても壊さなくても同じって言いたいのか?」
「そう、物分りいいわね」
顔に張り付いた髪を払って、カイノはしたり顔を作る。そこにはいつもの元気の片鱗が戻りつつあった。
「それにしても、なんでこんなに設備を壊すことにこだわるんだ?」
二人は、小屋の裏手、人の通らないところで鉱夫や警備員が通り過ぎるのを待つ。答えないから、カイノが続けた。
「いつもこうやって、なんの意味があるんだ? 見つかったら捕まるんだろ。それにやってもすぐ直されて得もない、割に合わねえよ」
隣でメーベルは雨に静かに打たれる。きっと出会ってすぐでは、彼女の静かな一面に動揺していただろうが、今では驚くような一面には思えなかった。
そうね、そうよね、そうよね。彼女は震える声で自分を納得させるように呟いた。
彼女は一度深く息を吐いて、ゆっくりと口を開いた。
震えは止まっていた。
「意味って、そんなに大事かしら」
カイノはまたも言葉に詰まる。
適当な返事が思いつかない。その間が彼女をまた喋らせる。
「もし意味があるのなら、アタシの両親が殺された意味って何?」
パチパチと、雨粒が砂利に当たって砕ける音だけが二人の間を流れる。
「そう、何もない。意味なんて考えても無駄なことがあるのよ。そして意味を見つけた方がもっと辛いときも。そういうときに、大人は得って言葉を使うの。あれはただの説教する時にもっともらしいことを言っているように見せるためのお飾りよ」
彼女はそのまま続ける。
「でも安心して、アンタがここに来たのには意味があるから。この前捕まった時に一人じゃ超えられない柵を建てられたのよ、今度は壊せそうもないからそれを越えるのを手伝って」
カイノは彼女の顔に柔らかさが戻った瞬間が分からなかった。
いつの間にか、またこうして悪戯っぽく笑うのである。
「それは、いいけど。越えたら戻ってこないといけないじゃんか、俺それ多分越えられないけど」
「なんとかするの」
「はあ?」
「何、文句あるの?」
「それはあるだろ、こうしてやってきたのに肝心なところを考えてないなんて」
「何事も超えないと始まらないの、ここまできたんだからさっさ来なさい」
メーベルは小屋の石壁に背をそわせながら進み、巻上櫓の足元の柵まで到達する。雨が降っているため辺りに人はおらず、微かな話し声が櫓の横手にある建物の中から聞こえてくる。
メーベルはカイノに手招きをし、カイノは足早に近寄る。鉄柵は、施設を囲うものとは違い、上部に反り返りがあり侵入禁止を意図するものだとその姿が物語る。
メーベルはその柵に右手を添えながら、ゆっくりと後方の巻き上げ機のある方に回る。
そこには櫓の中に取り込まれた巻上機の外部に接続されている、奇妙に光る重々しい色をした鉄の塊があった。
しかし、その色は彼女の言っていたような紫ではなく鋭い赤色であった。
「おかしい、何か変」
彼女はそう呟いた。
あらすじ
柵を越えようと試みたカイノの耳に、あの馬車で聞いたような叫び声が届いた。
次回更新タイトル
第二十六話 魔物、再び




