第十四話 鉱山街パウルア
すると、パラパラ、と幌が軽快な音を鳴らし始める。
「姉さん方、雨が厄介になる前にどこかで雨宿りさせてもらいますねえ」
行商人は振り返ることなく、そのまま言葉を続ける。
「長雨になりそうなんで、街に寄ろうと思とります」
「街? この辺りならどこ?」
「そうだねえ、パウルアでしょうな」
そう言って彼は、前方から少し北、右の方にずれた方を指差す。ラニは身を乗り出して指の先にあたる方を眺めた。
気がつけば随分と景色が変わっており、ネムロ村はもう見えない。
道の北側には森と山、東側には川が流れる。そしてその森の向こうは、まるで森が世界を分断しているかのように違っていた。濃い靄の向こうには茶色い肌がのぞく山、緑色はそこにはなく燻んだ、死んだ山がそこにあった。
「酷いもんでしょう。あそこは古くから石掘ってますからねえ」
丸めた背中が、ラニの心情と重なる。
「鉱山街?」
「ええ。ライザーノの中で一番古いんじゃないかねえ。色んな意味で古い街ですよ」
ラニは沈黙し、行商人はそれに促されるように続けた。
「姉さんは、魔女狩りってのは知っていますかい?」
思わぬ言葉が出てきた。瞬間、彼女の脳裏に惨劇が思い起こされる。魔女の血、人の目、浄化の炎。その全てがラニの頭に一度に思い起こされ、ありったけの声で叫びたくなる。
知らないわけがないと、責め立てたくなる。そして同時に、自分の中に起こる感情の豪炎に動揺する。
「ここらにはつい十何年前まで魔女狩りが残っていたんですよ」
ライザーノの端っこだからねえ。と行商人はいつものように語尾を伸ばした。
………十数年前。
ラニはその時間がどれほど短いものであるかを見にしみて実感している。すぐ隣でいつもの笑みを取り戻したカイノがそれを象徴している。
行商人は続けた。この隣にあるタキという村が最もひどかった、関係ない人まで殺されていたらしい、パウルアでも同じようなことがあった、と次から次へと情報が出てくるたびにラニの気分は乱高下する。怒りと失望と動揺が同時に押し寄せる。ラニは馬車で一日も行かないような場所でまだ魔女狩りが残っていたという事実を受け入れることができなかった。
同時になぜ知らなかったのだろうとも思った。村同士の関わりはラニにはわからない。パウルアとネムロの距離は、馬車で行くよりもうんと遠いのだろうか、それともうんと近いのだろうか。ポンは知っていたのだろうか。知っていて、黙っていたのだろうか、本当に知らなかったのだろうか。今ではもう確かめることができない。
不格好に笑う彼の顔が脳裏に浮かぶ。
「まあ、もうそれはどこへやら、すっかり落ちぶれた鉱山街になってしまって、ほれ、見てみな」
行商人は右前方を指差す。ラニは幌の後方からそちらの方へ顔だけを少し出して覗き見た。
霞んだ黒い町。
それがラニが抱いた最初の印象であった。鉱山街というからには、そこには確かに平たい山が二、三観られた。山の影にはしばらくそれが続くようにも見えた。そして見える山には緑がなかった。死んだ山ばかりが、黒くなってそこにあった。その中の一段と大きい山の麓の大煙突から細く黒煙が湧き上がり、足元に広がる建物群と山と曇天を一つの大きな影へと変えていた。
ラニの鼻腔を嗅いだことのない微かな刺激臭が掠めて眉間に皺がよる。
「いつ来ても、匂うねえ。新鮮な野菜が腐ってしまうよ」
「なんだこの匂い」
カイノがたまらず苦悶を漏らす。
「あの煙突だよ。なんでも鉄を綺麗にする場所らしいんだがねえ、休む暇なくああやって動くものだから、街はすっかり煤だらけだよ。こんなに遠いのにもう霞んできたねえ」
「おっさん、じゃああの下に行くのか?」
「そうですな。仕方がない、長雨の中走る方がよっぽど大変さ」
行商人は手綱を握り直すと、迷いなく方向を転換してあの霧の街の方へと馬を向かわせる。
そうは言うけどよ、と吐露するカイノにラニも無言の同調を重ねる。あの霧の足元に行くという事実が、この旅路の全てを覆すほどに強大で受け入れ難かった。
ラニは静かに目を閉じる。するとその強烈な煤煙の匂いと共に、あの嗅ぎ慣れた匂いが届く。
魔法だ。
カイノにも聞こえないほどの声で呟く。横を見れば彼はその匂いから逃れるために鼻を塞ぐのに精一杯のようで、こちらの呟きに耳を傾ける余裕などないようであった。
あの街に確かにある微かな魔法の気配。それはとても微弱であったが、誰かが魔法を今使っている、という確かな気配であった。
魔女狩りのあった地域と、微かな魔法。灰色の向こうにあるものを思い、ラニの耳がピクリと動いた。
鉱山街パウルアはライザーノ王国の主要鉱山の一つを抱える古い鉱山街である。質こそよくはないが、巨大な鉄鉱床が眠っており、街の外部から労働力が流れ込んできて鉱山付近でスラムを形成している。なんてことない、鉱山街の一つである。
雨でぬかるんだ大通りからは、遠く山の裾に巨大生物の死骸のような巻上櫓が聳え立つのが見え、その側にはそれよりも高く積み上げられたズリの山が大きな影を作る。雨に濡れて黒々としたズリ山が背後にある禿山のやや茶色みがかった斜面を映させる。そして巻上櫓を挟んで向かいには同じ高さの黒ずんだ煙突がのそりと立っていた。
街に入ってすぐの道の両端には黒石造りの均一な作りの一般住宅と、不均一な作りの商業施設が並び区画整理の跡が見られる。しかしその風景も鉱山に近づく度に様相が変わっていく。整えられていた建物は大十字路を最後に途切れ、以降は簡素な作りの屋台と住宅と呼ぶには心許ない建築物群が広がる。鉱山周辺に漂う刺激臭と煤から逃げるように一般住宅は建てられており、残された土地に群がるように建築物群がひしめき合っている。
馬車は街の入り口から坑口まで真っ直ぐ伸びる大通りに入ってすぐのところで止まった。そして行商人はラニ達に贔屓にしていること宿を教えると、大通りを奥へと走り去っていった。
宿は商業区画を少し入ったところにあった。彼曰くそこが最も鉱山から遠く煤けていないと言っていたが、それでも石造りの壁は素材の黒さ以上に黒ずんでいた。石壁をしたたる雨粒は、外壁に付着した煤を溶かして黒い筋を引く。
二人は喉の奥にこびりつくような匂いから逃げるように宿に滑り込んだ。
宿の入り口の扉は、前後を数段の階段に挟まれた奇妙な作りをしていた。しかし、入ってみるとその答えが明らかである。建物の床に泥がついていなかった。
なるほど考えるものだ、とラニは感心しながら締め切られてやや埃っぽい店内を進む。
一階部分が吹き抜けの酒場になっており、料理や酒の染みが目立つ木造の年季の入ったテーブルと長椅子が所狭しと並んでいる。客は片手で数えるほどしかおらず、静かであった。
二階への階段の手前には宿用の受付が設けられていた。二人はそこで宿の一室を借り、薄暗い廊下の突き当たりにある部屋で腰を落ち着けた。
つい十数年前まで魔女狩りが行われていた鉱山街、パウルアに二人は到着した。
翌朝カイノが言い出す「ラニ、魔法教えてよ」
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第十五話 喧嘩




