第十三話 魔物
「魔物だよ! 魔物が出たんだよ!」
「魔物!?」
魔物という言葉が、ラニの耳を通り、背骨を通り、全身に稲妻のように駆け抜けた。
それからは、あまりにも一瞬の出来事であった。
馬車を飛び降りたラニは、腰に刺していた短剣を握りしめて馬車の先で道を塞ぐ魔物の姿を複数認めると、それを魔物の首元を目掛けて突き刺した。
一連の動きは、カイノも行商人も声を上げる隙もなかった。
四つ足をついている状態で腰ほどもある、漆黒の毛皮を纏った狼のような魔物は、耳を劈くような断末魔をあげて、首元から血を吹き出しながら倒れる。魔物の黒々とした血が、ラニの真っ白な肌に降りかった。そして、その血は滴ることなく、まるで生きているかのように蠢き、短剣の方に吸い寄せられていく。
ラニはそれが見えないように外套で覆い隠す。
仲間の一人が道端に伏してしまったことで、他の魔物たちは目の警戒色を強める。赤く澱んだ瞳が四つ、ラニを捉える。彼らもわかっているのだ。ラニが魔女であることを、そして同様にラニも、カイノに会った時に似た匂いを鼻の奥で感じる。
魔物と魔女から感じる匂いはよく似ている。よく似ているが、少し違う。それは魔女がまだ理性を持った生き物であるから、かもしれない。
「ラニ! 大丈夫か!」
カイノは馬車から降りて、荷台の隣でこちらを見ている。
「大丈夫、だから下がってて!」
ラニは柄にもなく声を張り上げたことで、喉が掠れ語尾が上ずる。その音を皮切りに、残りの二匹がラニの両脇から突撃する。こちらの隙を読んだのだ。
ラニは飛びかかるうちの一匹の方に向かって踏み込んで、同様に喉を短剣で刺すと、背後からもう一匹が飛びかかる。
止むを得ない。
ラニは刺した魔物から噴き出す血が、針のように細長く変形するのを想像する。
その通り、吹き出した血は薄ぼんやりとした紫の光を纏うと、複数の針となって後ろから飛びかかる魔物に降りかかる。その一本が、魔物の脳天から喉元まで深く刺さり、背後の一匹も絶命した。
ラニは詰まった息を細かく吐き出して、ゆっくりと立ち上がった。
「す、すごいよ、姉ちゃん!」
「ラニ! かっけえ!」
行商人は、魔法を使ったことに気が付かなかったようだ。ラニは安堵し、顔に降りかかった血を拭う。
「カイノ、これ運ぶの手伝って」
道の真ん中に子供ほどの大きさの魔物が転がる。ラニ一人には少々重かった。
カイノは小走りで駆け寄ると、二人がかりで魔物を脇へ避けた。それからラニは、持ち前の短剣で魔物を解体して、近くの森に処分した。
どうしてこんな面倒なことをしなければならないのか、とカイノに聞かれたから、こうしないと他の魔物が寄ってくる、と答えた。
「魔物はこういうのに敏感だから」
「へえ。そんなことより、さっき魔法使ったよな! 俺にも教えてくれよ、約束だったろ!」
カイノが目を光らせて声を大きくするものだから、ラニは慌ててその口を手で覆い隠す。その手には魔物の血が付着していた。
「うえっ、やめろよ、汚いだろ」
カイノはぺっぺっと、唾を吐いて口元を袖で拭う。
「魔法のことは外では喋らない、ルールだった」
「ご、ごめん」
「罰として、魔法のことはまた今度」
「そんな、卑怯だぞ」
「言いつけを守ったら魔法を教えるって言った。ルールは破ってない」
「ちぇっ、ケチ」
「大丈夫、そのうち教える」
思わぬアクシデントというものはどうやら重なるようである。
馬車に戻ったのも束の間、暗雲が東の方から立ち込めてくる。風も不快な湿度をはらみ、すぐに雨が降るということは明らかであった。
ラニは今すぐにでも、返り血を浴びて汚れてしまった服と体を洗い流したかった。魔法を使えば容易であるが、不用意に人の前で使うわけにもいかなかった。行商人は血に濡れた外套は引き受けると自ら勝って出て、それを席の隣に置いた。
「それにしてもお強いですねえ。どこで訓練なされたんです?」
ラニはおしゃべりな行商人だと思った。しかし、悪意のない問いかけを蔑ろにすることもできずに、「若い頃に親に教えたられた」とそっけなく答えた。
「魔物の少ない地域だからと、気を抜いていたのがよくなかったですねえ」
「俺、初めて魔物を見たぜ」
ラニが困っているのを知ってか、カイノが代わりに会話を始める。
「あれはこの辺りじゃたまに出てきては、こうやって人を襲うんだよ。知り合いには馬を食い殺されたって人もいて困ったものだねえ」
「それじゃあ人は食わないのか?」
「人? もちろん食べるさ。でもあれはまだ小さい方だから、人を食べるってのはあまり聞かないねえ」
うえ、おっかねえ。とカイノは肩をすくめた。
「ラニ、魔物ってどんな生き物?」
カイノはそのままこちらに向き直って、そう尋ねた。
「魔法の力に干渉できる生き物を、総じて全部魔物って呼ぶ」
「それじゃあ、魔女も魔物だな」
「そうだよ」
冗談に対する淡白な肯定に、カイノは目を見開いた。
「魔女も、魔物?」
「うん。人間も生物の一部。それと同じ。もし生き物を分けるなら、人かそれ以外じゃない、魔物か、生物か」
そこまで言ってしまうと、カイノは黙ってしまった。彼の中に流れる血のことを思い、自分がそのどちらであるのか、を考えているのだろうとラニは思った。そして、昔の自分を重ね合わせた。同様に、母にそう教えられた時の幼い幼い自分を。
この世界は、魔女がいるように魔物がいる。それは魔女と人が外見では判別がつかないように、魔女でなければその他生物と見分けることはできない。一方、その特性においてはその他生物とは大きく異なる特徴を持つ。集団性と凶暴性である。
先の魔物が示したように、魔物とは動物とは比べ物にならないほどに凶暴である。理由はわかっていない。ある者は、生きるために動物よりも多くの食事を必要とするから、と主張し、またある者は、魔法的力の作用による者だと主張する。ラニは後者であると考えている。事実自分が人より多く食事をすることはないからである。
また、集団性、つまり群れで連携して狩りを行う。魔物は決まって少数の群れを形成し、その群れで連携して狩りをする。そしてその連携の練度が他の動物とは抜きん出ている。一つの獲物に同時に両側から攻撃するということは、動物にはできない。これは、魔女の特性とも一致する。魔女が、他の魔女を遠くからも認知できる、超感覚の利用である。
ラニは、カイノに得々と魔物の特徴について語った。カイノは最後まで口を開かなかった。
「……魔物をどう捉えるか。それだけ」
最後にそう付け加えた。
魔物を討伐することに成功したところで、雨が降り始める。
雨宿りのために、近くの鉱山街に立ち寄ることにした。
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第十四話 鉱山街パウルア




