第十二話 十五年後
ラニとカイノは、ネムロの村に卸しにきた商人の荷台の隙間に小さく座り込む。
買い込むような特産品のないネムロの村とはいえ、行商人という生き物は忙しくしないと死んでしまうのか、いつもの如くライザーノよりも安価なものを馬車の荷台のほとんどが埋まるほどに買いこんでいる。そのため、夏野菜のカゴに押しつぶされるような形で、二人は身を寄せ合うことになった。
出会った頃のカイノであれば、これほどまでに窮屈ではなかったろうに、とすっかりラニの身の丈以上になったカイノを疎ましく見つめる。
「そう見つめても、俺は小さくならねえぞ」
「どうしてそうも乱雑な口調になってしまったのか。ポンさんのダメなところまで受け継ぐことはないのに」
「いつまでも子供扱いするな」
カイノはあの時から変わらない赤い瞳を歪ませて、小さくなっていくネムロ村の方に目線を投げた。
幌にくり抜かれたどこまでも突き抜けるような夏空は、猛々しい雲を抱えている。その真ん中にあるネムロ村と、まっすぐ伸びる轍に影の落ちた道。時代に取り残されたような村も、どこかと繋がっていることを確かにそれが示している。
ガタガタと、木の車輪が小石に乗り上げるたびに振動が背中をつたって脳髄に響く。この揺れが、何よりも旅の証拠であった。
「それにしても、ポンの爺さんがくたばるとはねえ。人間永らえないものだよ全く、ねえ」
行商人の壮年の男性は、独り言にしては不自然なほどに語尾を跳ね上げた。ラニは答えない。ラニが答えないのを知っていて、カイノが答える。
「最期までポンじいらしくて、まだ死んだ気がしないぜ」
「ああいう最期を見せられちゃ、まだ弱ってられないねえ」
道の先の熱気で揺らぐ景色を見つめながら、行商人の彼はつぶやく。まるでそこに漠然とした死があるかのように、そしてゆっくりと、着実に歩を進める馬を受け入れるかのように。
三日前、ポンが死んだ。
彼曰く八十五まで生きたようだ。最期はなんてことない病にやられて衰弱していった。それが、彼らしいとラニは思った。ポンは、ラニにとってなんでもない村人の象徴のような存在であった。だから、村人らしい死に方だと思った。でも同時に、寂しさと悲しさも感じた。ポンはラニにとって唯一の村人であったからだ。
彼は健康であった頃と同じように、最期の晩まで酒を飲んでいた。そして彼は朝目を覚さなかった。
ラニは彼の死を見届けるつもりはなかった。ただ、頃合いを見て旅に出るためにネムロの村を訪れた際に、彼が病床に伏していることを知って最期まで見届けてから旅に出ることにしたのだった。
彼の葬式には村中の人が訪れた。村の外からも彼の親類が集まってきた。そこでラニは初めて彼に妹がいることを知った。彼とは似ないヒョロリとした白髪の老婆であった。しかし、涙に濡れるその目元だけは彼そっくりであった。
盛大な葬式ではなかったが、彼が灰になった夜は彼を偲んで盛大に酒を酌み交わした。ラニは、その夜だけは彼のためにその場に居座ろうと思ったが、どうしても無理で早めに切り上げ宿で彼を思って晩酌をした。
ポンが死んで、ラニはまた山籠りをしている隠者となった。そうなってしまっては、もうそこに居座る理由もなくて、肩の荷が降りた気持ちで旅に出ることができた。村を出る際、彼の妹に遺灰の一部を持っていってくれないかと言われたが、ラニは断った。村に戻ってこないで済む理由を、その時だけは作りたくないと思ったのだ。
「それで、兄さん方はどうしてライザーノまで?」
想いに耽っていると、気がつけばカイノが自分の隣から忽然と姿を消しており、代わりに新しい木枠のカゴと青々と実った野菜にすり替わっていた。振り返ると、彼はいつの間にか行商人の隣に座っている。
「母さんを探すんだ。でも海を渡らないとだから」
「ほお、お母さん。それはそれは、大事な用事だねえ。見つかることを祈っているよ」
「ありがとな、おっちゃん」
カイノは、ラニに似ず人懐こい性格に育った。
そして十五年ほどで、人間の見た目で五歳は歳をとった。この十五年間でラニは少しも変わっていない。
魔女の寿命は平等ではない。二百年で死ぬ魔女もいれば、一千年近く生きる魔女もいる。それは魔女がどう生きるか、に強く影響をされる。人として生きることを選ぶか、魔女として生きることを選ぶか、である。
カイノは人として育てられたから、早く成長する。もちろん、彼の中に半分人の血があることもそれを早めている。
「しかし、今はこんな時勢だからねえ。海を渡るのも大変かもしれないよ」
「戦況、イマイチなのか?」
「いや、そう悪くないって聞いてるけどねえ。やっぱり国を相手じゃ今まで通りにはいかないもんだよねえ」
ライザーノだが、十五年前の戦争とは別の、隣国ベルナ王国との交戦中である。旧帝国を形成していた両国の、中央派と大聖派の歴史的な一戦であると、皆が口々にいう。それが言霊となったのか、はたまた端からそうなっていたのかは一般民衆には知らないことであるが、戦況が悪化するにつれてベルナ王国は旧大聖派諸国の援助を受け始め、統合派の拡大を加速させているのだという。
……これじゃあまるで。
ラニはそう呟かずにはいられなかった。
この白い道の先にあの血塗られた戦場があるのだと思うと、ラニはこの馬車から飛び降りてどこか遠くの山へ逃げ出したいとさえ思った。今ほどライザーノに近づきたくない、と思えるような時もない。しかし走り出した馬はとまらない、戦場でも野道でも。ラニは運命を受け入れるしかない事実に、大きく、大きくため息を吐いた。
呼応してく野菜の入った木枠が揺れた。そういう信条でなかったから修道女にならなかったというのに、ラニは今だけは神にさえ祈りたいと思った。
しばらく過ぎて、小川のほとりで休憩したのちにカイノが隣に戻ってきた。
「ラニの目的聞いたことがなかったな」
赤い目が真っ直ぐこちらの黄色い目を捉える。
「目的?」
「旅のだよ。ラニが世界を見て回りたいなんて、理由がなくちゃ言わないだろ」
「随分と知った口を聞くね」
「それは、もう十年も一緒に住んでるんだ。あんたがどれだけ出不精かなんて、身に染みてわかってるぜ」
「カイノに色々経験させるため。前にも言った」
「それだけじゃないだろ」
その赤い目は、どうやら黄色い目を透かしてさらに奥の方までを覗き込んでいたようである。
確かに、ラニにはラニの旅の目的があった。カイノが自分のもとを訪れようと訪れまいと、ラニはいつか旅に出ていた。しかし、それだけは誰にも悟られまいと、何一つとして口にはしてこなかった。村人にも、ポンにも、カイノにでさえ。それに、ラニは自分が感情を表に出さないことも自覚していた。
だから、そう言い当てられた時に、驚かずにはいられなかった。
「どうした、分からないと思ったのか?」
カイノは得意げに鼻を鳴らす。そしてニヤリと頬を歪めるその顔に、ラニは腹立たしさと少しの嬉しさを感じていた。
「まだ魔法は教えていないはず」
「そうじゃんか! 俺、言いつけ守ってきたのに」
まだカイノには早い、と言おうとしたその時。馬車が急停車した。
積荷の野菜たちが、ラニとカイノの上に降りかかる。
「うわっ」
カイノは反射的に声を漏らし、ラニは身を屈める。
「おっさん、どうした!?」
カイノはいち早く身に降りかかった物を払い除けると、操縦席で何かを取り出そうとしている行商人に声をかける。
「魔物だよ! 魔物が出たんだよ!」
ラニ達の行く手を阻むように魔物が立ちはだかる。気づくと、ラニの体は動き出していた。
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