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魔女の血  作者: 津田ナオキ
第一章 ネムロ村
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第十一話 二人の始まり

 一人で降りた山を二人で登ることになることに、ラニは内心がざわめき立つのを感じる。それを一つ、二つを踏みしめては靴の裏で潰れてしまう木の葉の最後の響きが、さらに、さらにと煽り立ててついには口から声という形でそれが漏れ出てくる。


「……カイノ、どこか行きたいところはない?」


 空気感の掴めない相手との会話をどう始めるのがいいのかわからず、奇妙な間が空いた。目尻のところで横を歩くカイノを一瞥したが、カイノは彼女の内面を知ることはない。


 ラニはこの居心地の悪さ、しかし一言に不快とも言えないこの空気に、懐かしさと新しさを同時に感じ取っている。ただ、通り過ぎた店の人との言葉を受け流すのとは全く違う、対話という行為の形を百年越しに確かめる。

 この、不気味に大きく形に取り止めのないものに、真っ直ぐ向き合って、間違いながら、そして相手の動きに合わせながら自分と相手との間に収まる形にそれを当てはめる。あまりに無駄の多いが、同様に愛着のわく対話という行為の匂いを、ラニは今肺いっぱいに吸い込んだ。


「行きたい、ところ」

 子供は凄い。何も知らない。そして互いに何も知らないことを、相手も自分も何も知らない。そこに間違いと正解があることを、言葉が言葉ではない役割を併せ持つということを知らない。

 知らないからこそ、正しい対話を作る。彼らの世界に飲まれてしまうのがきっと簡単だと知って、ラニはそこで考えるのをやめた。


「そう。しばらくしたら旅に出る。どこか行きたい場所は?」

 カイノはしばらく悩んだ。大きな瞳の間に、細かい皺を寄せて。


 そうか、人里を離れた修道院で育った彼に行きたい場所というものはないのだ。ラニは言葉を補う。


 この世界にはとても素晴らしい場所がたくさんある。千を越える山々に、平野を切り裂くように流れる河川、私は詳しく知らないけれど、人はたくさんの国を作っている、それらを見て回るのもきっと面白いかもしれない。と。そこで、自分がこんなにもたくさんの言葉を、息を吐き出すようにしゃべっていることに気がついて黙ってしまった。 

 カイノの眉間には、変わらない柔らかな皺が影を作っていた。

 そして、閉じられた口をゆっくり開くようにして、音を溢すようにして一つの答えを出した。


「お母さん」


 静かな、それでも確かな音であった。森の全てが、まるで素晴らしい偉人の言葉でも聞くように静まり返って、彼の言葉に耳を傾けた。ラニの体の中の全てもそうだった。


「お母さんに会いたい」

「そう、なら会おう」


 こちらを向かないままのカイノを見ながら、ラニはそう言った。そしてようやくカイノと目があう。

「でも、どこにいるか教えてくれなかったよ。シスターは知らないって」

「知らないなら探そう。私たちは長生きだから、時間はある」

「でも、…………見つからないかも」


 会いたいと願うカイノが、見つからないかも、と弱音を吐いた意味を、ラニはなんとなくその不自然に空いた長い間の中に見つけた。しかし、推測がついたからこそ、ラニは困った。感情の慰め方を知らなかったからだ。だから、答えの出ていることを話すしか、彼女には方がなかった。


「……見つけるなら、元いた修道院に行くのがいい」「知らないって言われたよ」「私が言ったらわかることがあるかもしれない」「それに聞きたいこともある」「聞きたいこと?」

「色々。まだまとまってないから、どれから話していいのかもわからない」「でも僕、修道院の場所、わからないよ」「それは困ったね、どうやって来たの?」「海を渡って、馬車に乗って、そのあとは歩いた」


 歩幅が揃ってからは、二人の会話は流れるように続いた。これはカイノの中に半分流れる人間の血のおかげである。きっと魔女が二人では、会話の仕方がわからずに歩くことになっただろう。そして、魔女人間でも同じであっただろう。

「海を渡ったなら、近くの港に着いただろうね。ここで一番近いのは……」

 ネムロ村で新しく仕入れた地図を指で下の方へなぞっていくと、見知った文字の列で止まった。

「……やっぱり、ライザーノ」


 ラニの記憶の隅から、銀色の目の奥を突き刺すような光が差し込まれる。


 隣国との戦争中だというライザーノ、あの男たちがいなかったとしても行こうとは思えない国だ。しかし、そのような状況下であれば、そのほかの場所から海を渡るのはおそらく難しい。戦争中であるからこそ、そこを通らなければならないことに、漏れ出そうになったため息を噛み潰した。

「旅に出たら、まずはそこを目指そうか。修道院の場所の手がかりもあるかもしれない」

「うん」

 暗雲の立ち込めるラニの心境とは裏腹に、カイノは爽やかな返事をした。


 子供というのは、やはり母親の存在を求め続けるのかもしれない、と考えることで、その暗雲をしばらく忘れてしまうことにした。旅に出るのもしばらく後だ、その頃には戦争も終わっているかもしれない。

 山が朱に染まるよりも早く山小屋に帰り着いた。ラニ一人で歩くよりもずっと、二人で歩く方が早かった。

十五年後。二人は山をおりた、それは旅の始まりでもあり別れでもあった。

次回更新タイトル

第二章 鉱山街パウルア編

第十二話 十五年後

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