第十話 そして動き出す2
そうしてすぐ、ポンはカイノを呼びつけ、カイノもすぐに現れた。きっと、洗濯物をすでに終わらせたが戻ることもできず手持ち無沙汰で待っていたのだろう。ポンは、カイノがそばにくるなりその薄い肩に厚い腕を回し、柔らかく彼の背中を押した。
「今日からラニのところに世話になりな」
「……うん」
カイノの目の赤に、三日前のような揺らぎはなくただ静かにジリジリと燃え続けていた。
諦観か、期待か、詳しくはわからないけれど彼の目は確かに、彼の運命自身を種火に燃え続けていた。
「カイノ、ラニだよ。よろしく」
ラニが右手を差し出すと、カイノは左手を差し出す。
そして手にひらを合わせて指を、小指から順に折り曲げていき、親指が互いの手の甲を押さえてから握手をした。
「よろしく、お願いします」
カイノの拍動とその温度と匂いとを手のひらに感じる。
確かに同じ血が流れている、が微かにそれは乱れていた。
「敬語なんかいらない。どうせ私も使わないから」
彼は、魔女と人間の子供か、とラニは違和感に対して合点がいったが、同時に、それが新たな疑問を彼女の中に生み出した。
その違和感に対する答えは簡単であったが、どうもおかしい。
「わかっ、た」
ラニは、自分の嗅覚に対して傲慢さを持っているわけではないが、彼が半血であることを嗅ぎ分けられなかったことに強い疑念を感じた。
「カイノ、君は両親の片方が人間だね?」
「うん」
「魔女の方の親のこと、わかる? もしくは人間の方でもいい」
カイノは小さく首を横に振った。
「シスター、何も教えてくれなかった。知らないって」
「そう、わかった」
魔女は、相手が魔女であれば、接近したことのある相手のことを分からないことは、ない。
それがどう言うことを表すかは分からない。ただ、その親、もしくはカイノ自身のことを思って取った行動であるか、何かを隠すために取った行動であるか。もし、ただそれだけならば、シスターの優しさという理由をつけて忘れることができただろう。
しかし、彼自身、もしくは彼の親には何かある。それがラニがカイノと手のひらを重ねた時に得た直感であった。
「どうしたんだ?」
カイノの手を取ったまま考え込んだラニに、ポンが声をかけた。顔を覗き込む彼の仕草から、自分がどうも優しさのない目で彼を見つめていたらしいことをラニは気づく。
「いや、なんでもない。」
ラニは優しく手を開き、一息ついてから平然を装うように呟いた。カイノの目にはまた、微かな揺らぎがあった。
脅かしてすまない、というべきなのか、気にしないで、というべきなのか迷ってしまってラニは言葉が詰まる。
動揺する自分に気づき、全く新しいことが始まったという自覚が芽生えた。百年や二百年は、全く新しいことを平穏に迎えるにはまだ短いということを知り、途方もない時間の長さと、魔女の成長の遅さを知った。
「これからどうする、また山に戻るのか?」
カイノが少ないが最低限の揃った荷物をまとめるのを眺めていると、ポンが口を開いた。その中には、シスターと呼んでいた人がくれたであろう宗教的意味のあるブローチがあり、それが強くラニの心を引いた。他でもなく、魔女が作った呪具の一種であったからだ。
「しばらくはね。でもそのあとは、旅に出るよ」
「旅?」
「うん。カイノに、世界を見せて回りたいからね」
いつものように、声色が変わることのない平坦なものの言い方が一入であったのに、ポンは目ざとく目を光らせる。
「へえ、三日で随分の変わりようだ」
「考えたからね」
「そうか。……まあ、経験はいいことだ。経験は人を育てる」
「魔女も?」
「魔女もだ」
「魔女じゃないのに」
「人間だから言ってるんじゃあないからな。年寄りだから言ってる。こればっかりは、お前さんと同じはずだかなぁ」
ポンの目は笑っていた。たまにこうして小馬鹿にするような目をするところも、ポンらしいところである。そしてその度に、ラニはどう反応していいのか困って返事をしない。
「準備、終わったよ」
カイノが、背丈にぴったりの袋を背負って立っていた。随分と頑丈そうなつくりであったが、年季も入っていた。その作りが魔女らしいとさえ思った。
「じゃ、行こう。忘れ物はない?」
「ない」
「おいおい、ラニ、お前さんが忘れ物してどうする」
挨拶をしようと向き直ったところにいたポンが呆れ顔で預けていた道具を持っていた。そしてそれは、驚くほど元通りになっていた。本当は彼がこの道具を作り出したのではなかろうか、とさえラニは思った。
「本当に大丈夫か?」
「変化に弱いのは魔女の性。慣れたら大丈夫」
「その魔女が慣れるまでにカイノが大っきくなっちまうよ」
ポンがカイノの頭を撫でる。そのごつごつとした手のひらに、カイノは居心地が悪そうに目を細めた。
「今度こそ、行こう。じゃあねポンさん、また今度」
「ありがとう、ございました」
「おうまたな。小僧も達者で生きろよ」
ポンは、その姿が視認できなくなるまでこちらを見つめていた。




